2012-03-29 第180回国会 参議院 総務委員会 第8号
衆議院の審議でも、今日の午前中からの御審議でも、大卒が多いとか、あるいは頭脳集約型の労働だとかいうことをおっしゃっているので、私は、在京の民放四社との比較を持ってきてくださいと申し上げました。 ここに在京四社の有報があります。この本社の平均給与は確かに千二百万円台で、千二百十五万円台とやや高いんですが、こういう資料を私にくれるのは、どちらかというと飛んで火に入る夏の虫ですね。
衆議院の審議でも、今日の午前中からの御審議でも、大卒が多いとか、あるいは頭脳集約型の労働だとかいうことをおっしゃっているので、私は、在京の民放四社との比較を持ってきてくださいと申し上げました。 ここに在京四社の有報があります。この本社の平均給与は確かに千二百万円台で、千二百十五万円台とやや高いんですが、こういう資料を私にくれるのは、どちらかというと飛んで火に入る夏の虫ですね。
そこで、まず最初に、いろいろな今までの過去の分析をされて、こういった中心市街地の活性化のための法律案が出されてきたわけでありますけれども、日本全体もそうですが、地方都市において、これから観光事業というのも大変大事でありますけれども、マルチメディアの時代、そういった電脳の時代にもなってくるわけでありますから、頭脳集約型の産業が地方の豊かな環境の中に立地する可能性があるのかどうか、また、基本的にはどういった
商業ということに加えまして、デザインとか設計とか、そういった頭脳集約型の産業、あるいは新たな地場産業を起こしていく、そういう可能性を秘めているかと思います。そういう意味におきまして、私ども、新しい産業を起こしていくということに中心市街地の活性化というのは大きく資する面がございまして、そういう観点から、産業政策上も大変意義の高い取り組みと認識をいたしているところでございます。
頭脳集約型の組織というのは非常に運営が難しいかもしれませんけれども、郵政省もさっき申し上げた研究所をお持ちなんですね。特に、これは電波関係が主体だろうと思いますが、経験も十分お持ちだと思うんですけれども、この点、総合的な研究体制ということについての郵政省の御意見をお伺いしたいと思います。
○和田教美君 我が国の経済は頭脳集約型産業やサービス産業の基調がだんだん高まってくるという状況の中で、従来の土木重視一本やりの公共投資、公共事業だけでは景気浮揚効果も十分ではないというふうなことは、先ほどからの議論で大体最大公約数が出てきたと思うんです。
そういう意味では農業というものは大変な頭脳集約的な産業であるということで、高校生あるいは中学生、小学生の時代から農業というものについて積極的な関心を持たせ、誇りを持たせるような、そういう教育というものが必要だと思うわけでございます。
したがいまして、例えばテクノポリスというのはまさにそういう高度技術ということでございますから、頭脳を非常に必要とするわけでございまして、テクノポリス地域の頭脳集約化というもののためにも、この頭脳集積構想は当然大いに役立つわけでございます。
○小澤(克)委員 若干違った点からお尋ねしたいと思うのですが、頭脳立地ということになりますと、頭脳集約型の産業を分散立地するということになりますと、普通の工場等の立地と違いまして、ただ単に工業用水や電気を引いて地べたを用意すればいいというわけにはいかないのじゃないかと思うわけでございます。
技術集約型ということは、要するに技術は結局のところ人間の頭脳に依拠するわけでございますから、これはこれで頭脳産業型、頭脳集約型の産業を対象としていたものというふうに言えようかと思うわけですね。今回のこの通称頭脳立地法は、これとは全く別のものなのか、あるいはその発展形というふうに見たらいいものなのか。
そうしますと、頭脳集約型産業にこれから生きていかなければいけないわけであります。こういう一連の問題を含めて、やはり時短というものが、次の労働に対するあるいはまた次のあらゆる問題に対する具体的なエネルギーにするためにも、時短あるいは有給休暇というのは必要であるということを改めて強調しながら、ぜひ御検討いただくことをお願い申し上げて、時間が参りましたので、質問を終わります。ありがとうございました。
まして頭脳集約型産業が今盛んに進められているわけでありますから、そういう点では新たな発想をするために、労働者福祉というものに対する制度上の問題を含めて、この資金の活用というものをぜひやっていただきたい。 そこで、最後になろうかと思いますけれども、円高等によって事実上、賃金の中身は別にしても、日本の労働者の賃金そのものが世界的に高くなったと言われているわけであります。しかし中身はどうだろう。
このところはいわば人間がデータを一つずつ集めまして、それを評価し編集するプロセスでございまして、頭脳集約的にデータベースを生産するところでございます。したがいまして、ここでは大膳コストがかかるわけでございます。
バラ色にするためには、そこで新しいものを生み出して、付加価値の高い産業、頭脳集約型の産業をこしらえていく以外にない、そう思っております。だからこれには、政府も議会もよく認識をしてもらって、金はやはり重点的につき込んでいくことが大切だ、そう思っております。
農業も立派な頭脳集約型の産業で、今後この分野ほど研究開発による技術革新、施設、機械の行使、経営合理化等による影響で著しい進歩を見る産業はないのではないかと考えております。その暁には、農業も先進国型産業として十分に国際自由化にも対抗して自主自営していける能力を持つと思います。しかし、今はこのための国の強力な後押しが必要でございます。
そういうむずかしい問題が一つあって、将来は日本がそれらの国と仲よくしていくためにはさらにどんどん頭脳集約の産業に日本自体を転換さしていって、そしてもう日本の旧式なもの、旧式なものと言っちゃ仕方ありませんが、どんどんそれらの発展途上国に与えて、それらの国が生きられるようにして共存共栄を図っていくという大きな図式は、中長期的に見れば変えることはできないんじゃないか、そういう気がいたします。
ですから日本としては、長期的に見れば、頭脳集約型産業に転換をだんだんしていく、そして衰退産業はもう仕方がない、だから、隆昌する産業の方に民族移動が行われるということにならざるを得ないのではないだろうか。
と申しますのは、われわれの方では、いささか口幅ったいのでございますが、頭脳集約的な作業をやっておりまして、私どもでやらなければならぬ仕事以外はなるべくほかのところにお任せをするということをやっておりますので、どうしても役付とかあるいは管理職の数が多くなる、かように存じております。
それで、この前通産省の方では産構審の見直しをされまして、これからの先行きのビジョンをこの中にきわめて細かく、またロングのレンジで書いていらっしゃるわけでありますけれども、私はそういう中の結論としては、頭脳集約的な産業というものが日本の将来産業の一つの目標だということはわかりますけれども、いま私たちは現時点において、この中に生きていなきゃならない。
もうすでに日本の農業というものは、私はこういう言葉は科学技術のみに使う言葉だと思っていたら、現在の農業者自体の方へ使わなければならないときに入ってきているというのは頭脳集約という言葉だと思うのです。したがって、現在の農業者は、本当に物の生産という面は、消費が目的で生産されるのだとするならば、もっと頭脳集約的な方向づけをしなければならない、したがってこれを指導する面においてもそのとおりだと思います。
ですから頭脳集約というさっきの言葉があったけれども、全く頭脳集約して、農業者は農業者としての頭脳集約してやっていけば、これだけすべてを征服することができる。雪に驚いたり、風があるからできないのだ、そういう問題じゃなくて、これを征服するだけの力を持っていかなければならないだろうと思うのです。
そういう時代に入ってきておるのですから、いままでの農業と違って、ただ気魂があったからいいとか魂があったからいいとかいう問題ではなくて、やはり現在の農業というものは非常に頭脳的な農業に変わってきておりますから、先ほども申し上げたのですけれども、農業だって頭脳集約——頭脳集約なんというと科学者か言う言葉だと思っていたところが、現今においては農業自体が頭脳集約的な農業を行っていかなければなかなか現状を突破
○長谷川国務大臣 農業といいましても、本当に現今の農業というものは頭脳集約的な農業に変わってきておる。これに対して指導を行う方も必要であることは当然であります。機会がありましたらば、その旨を、ただいまのお説を私の方からもお話し申し上げ、なるべく支障のないような方向づけをしてもらうように、よくお話を申し上げておきます。
そこで私どもは、そういうものに対してはこれはもう経済自由の原則で、それを輸入を防遏するというようなことはできませんので、できるだけ頭脳集約的な産業、繊維一つつくるにいたしましても、非常に高級なものをつくるという方に向かわざるを得ないんじゃないかと思うわけでございます。
まあそういうことで、いかにも日本がこれからますます頭脳集約的な産業に転換していかなきゃならぬという段階でございますので、私はそのことを非常に痛感するわけでございますが、大臣の御見解をお伺いいたします。