1991-09-24 第121回国会 衆議院 政治改革に関する特別委員会 第6号
したがいまして、現行二区につきましては、残りました部分が安芸郡の残りの各町でございまして、倉橋町、下蒲刈町、蒲刈町、音戸町、江田島町それから呉市、それに加うるに豊田郡と竹原市でございますが、合わせまして三十七万六千人という人口で新しい五区とされたところでございます。
したがいまして、現行二区につきましては、残りました部分が安芸郡の残りの各町でございまして、倉橋町、下蒲刈町、蒲刈町、音戸町、江田島町それから呉市、それに加うるに豊田郡と竹原市でございますが、合わせまして三十七万六千人という人口で新しい五区とされたところでございます。
とられた例といたしましては、やはり瀬戸内海にございます音戸大橋、それから九州の天草五橋、同じく九州の平戸大橋、この三例では、架橋事業が主体になって行ったわけではございませんけれども、関係の地方公共団体におきまして諸般の事情を考慮しまして、それぞれその補てんあるいは利子補給といったような措置がとられておる例がございます。
ところがとられている例もあるわけでございまして、音戸大橋、天草五橋、それから平戸大橋、この三例におきましては架橋の事業主体は何もいたしていないわけでございますが、関係地方公共団体におきましていろいろの情勢を考慮されまして、助成措置あるいは融資の措置といったものがとられております。
それで、この三月四日の松浦氏を励ます会で三谷議員が問題にしたのは、出席をした音戸の町長さんが、知事、副知事から出てくれと言ってきたのでやむなく出席した、こういうことを言ってみえるわけです。それから川尻の町長さんは、例の山林火災の問題もあるので出席しなくてはと思って出席した、こういうふうに言っているということまで挙げたわけですね。
ただ、それをお受けになった市町村長さんなりが、何々があるからどうとかいう、これは市町村長さんの中身の気持ちの問題で、そういう音戸ですかどこですか、何か具体的な問題があるからなんということは、それを知事が口にして、それがあるからおまえ行ってと言うのはいけませんけれども、一般的に、こういう会合があるんだが出てくれませんかいなと言って、出ましょうと言えば、一向差し支えないことだろう、かように考えます。
本件の場合、まさに広島県知事あるいは副知事が、音戸町長あるいは川尻町長初め市町村長に対して、この励ます会への出席を要請しているじゃないですか。まさにこれは該当する行為だと思うのですが、どうですか、重ねて。
いま私は名前を特に申し上げずに幾つかの町長の言い分を申し上げましたけれども、もしも調査の必要があるとしますならば、たとえば音戸の町長であるとかあるいは川尻の町長であるとか、これは分明しておるわけでありますが、どうでしょうか。こういう一般的な状況ですが、なお、わからぬとおっしゃるならば、調べてもらえるかどうか、お答えいただきたい。
というのは、あそこは音戸大橋とか早瀬大橋という橋ができて陸続きになりましたので、これが指定が外されますと、校舎建築の場合三分の二の補助が二分の一に減るわけなので、財政の苦しい町としては早く払い下げていただいて、この年度に間に合わしたいと、こういうことでございますので、この払い下げの見通しと手続を速やかにやっていただきたい。このあたりの大体見通しについてお尋ねをしたいと思います。
これは音戸の瀬戸も同じことです。あるいは水島狭水道もそうでしょう。明石水道もそうでしょう。こういうところをたくさん持っている瀬戸内の海としては、当然運航監理官等もふやし、実際自分が乗ってみ、あるいは抜き打ち的に検査をしてみ、あるいはその船舶状況については、船舶検査官と一緒になってどこかに故障がないかというような点も調べる。
これも時間の関係で単刀直入に聞かざるを得ないわけでありますが、広島県に音戸大橋というのがございます。これは昭和三十六年の十二月、ざっといまから考えてみまして十二、三年前ですが、にできた。要するに、広島県は島が多うございますけれども、島を結ぶ橋として道路公団の手によっていま供用開始されておるわけであります。具体的に、これはいまどの程度ペイをしておるのですか。
いま申し上げております音戸大橋というのは、広島県の呉市の中で音戸町――これは倉橋島と呼んでおりますが、倉橋島とそれから本土を結ぶ橋なんです。これが昭和三十六年にできた。いまちょっと報告がありましたように、当初、一日平均千九百台しか車が通らないだろうということで料金その他をはじいてまいりました。現実にはいま八千台をこしておると思うわけであります。
○平出参考人 音戸大橋は非常に成績がよろしゅうございまして、現在の時点で償還それ自体はおおむね終わっているんではなかろうかと、こういうふうに――まだ四十八年締めておりませんので確実なことは申し上げられませんが、ただいまいわゆる、ちょっと説明はめんどうになりますが、公差期間におそらく入っておるのではなかろうか、かように推定しております。
この船は、呉沖それから音戸を経て愛媛県に入りまして、午後九時四十二分ごろに高浜港に入港いたしました。この間、被疑者の家族を岡山県から呼び寄せるなどして、説得をしようといたしましたが、被疑者は犯行を断念しませんで、同港で乗客全員三十三名、乗り組み員一部四名を降ろして、そうして五月十三日午前零時五十八分同港を出発いたしまして、今治のほうに向かいました。
船を出させましてから、船は呉沖から音戸を経まして愛媛県に入りまして、夜の十一時四十分過ぎに高浜港に入港をいたしたのでございます。
ぷりんすは、午後五時三十分出港し、音戸瀬戸、安芸灘を経まして松山港高浜桟橋に着桟いたしました。そして乗客全員及び乗り組み員四名を下船させて、十三日午前零時五十七分出港いたしました。速力は約四ノットで、来島海峡を通航して今治沖に至り、午前五時二十五分、反転いたしまして広島向けに航行いたしまして、午前八時五十四分広島県営桟橋に着桟いたしました。
わが国の橋梁の経験では、西日本においては尾道大橋、あるいは音戸架橋、いまかけつつある関門架橋、完成した若戸大橋、天草五橋、そして西海橋、このような実績を日本道路公団は今日まで持っております。水深三十メートル以内でありますれば、ニューマチック・ケーソン工法であり、それ以上になりますと、オープン・ケーソン工法であります。
先ほども御指摘がありましたが、五月の一日の二十二時二十分ごろ、音戸2号という急行列車が京都駅ホームに到着いたしました際に、列車の側面に約三千枚ばかりのビラが張られておったのでございます。そこで、現地対策本部長の指示によりまして、当局員がこのビラをはがし始めたわけであります。
平清盛の音戸瀬戸の開発、ヒトラーがアルプスのほうへ向かって非常に大規模な軍用道路をつくりましたね。開発というものは悪い者がやりましても後世に大きな役割りを発揮していくということになると思うのです。
そして、いままでここに陸揚げし、一部をこれからこの狭い有名な音戸の水道を通ってこの黄播と——これが問題の黄播なんですね。これから論議しますが、ここに揚げて、そして、これからこれが呉市の中の広町、これは三、四万の市街地ですよ、これをこう通って、こういうように運んで、これからここの八本松の、川上のここに運ぶのだ、こういう関係で、広島県下では百二十万坪というものが接収されているのですよ。
それに呉の音戸の瀬戸に橋をかけたところが、これはまた観光と両面にかけてもううんと成績が上がって、もうあれは間もなくして償還ができるという状態である。
視察いたしました個所を順路を追って申し上げますと、岡山県水島工業地区、国道二号線及び三十号線、広島県福山地区、二級国道呉−三原線、音戸橋、広島、呉及び大竹工業地区、山口県岩国、徳山、宇部・小野田及び下関工業地区、二級国道八八号及び九〇号線等で、臨海埋立工事を中心に行なわれております地域開発事業とその計画並びに中国縦貫道自動車道の調査、計画等について事情を調査して参りました。
まず、今回視察いたしましたところを順次申し上げますと、呉においては呉造船所と海上保安大学校を視察し、音戸の大橋を見て、さらに広島に行きました。
二十日は水島工業地帯及び音戸大橋を調査いたしました。水島工業地帯は、岡山県倉敷市の水島地区、玉島市の南部、水島港及びその背後地の一帯を総称し、高梁川河口に形成された三角州及び川口付近の遠浅海面を埋め立てて造成された地域であります。
たとえば音戸橋だとか、あるいは若戸橋だとか、蔵王道路であるとか、あるいは東伊豆(熱川)道路であるとか、あるいはまた霧島道路であるとか、榛名道路であるとか、白浜道路、中の谷峠道路、別府−阿蘇道路、あるいは東伊豆(稲取)道路、こういう道路のために三十五年度に残り事業もまだだいぶあるようでございますが、こういう道路からも不用額、繰越額が出ておるのでございますが、これはまことにもったいない話で、緊急措置令まで
たとえていえば、音戸の瀬戸は漁業権を設定していない。そんな所は航行令であろうと、特定水域であろうと、何であろうと、漁業者は何ら損失を受けない。 防衛庁に御質問をいたしますが、防衛庁の掃海ということは、私どもはただ船舶の航行を目的としてやっておるように思っておった。ところが、こういうように研究してみると、非常に漁民に影響がある。