2015-04-16 第189回国会 衆議院 安全保障委員会 第6号
違いがあって、それで政府のやり方と沖縄県のやり方が合わないことは、これまでも、屋良朝苗さんを筆頭にして、屋良朝苗さん、そして、今までに七人の県知事が生まれましたけれども、そのうちの半分は革新県政でありますから、全く政府の考え方と合わない人がいることだけは間違いないんです。
違いがあって、それで政府のやり方と沖縄県のやり方が合わないことは、これまでも、屋良朝苗さんを筆頭にして、屋良朝苗さん、そして、今までに七人の県知事が生まれましたけれども、そのうちの半分は革新県政でありますから、全く政府の考え方と合わない人がいることだけは間違いないんです。
そのときずっと大田時代でも伸びてきたんですよ、革新県政でもずっと伸びてきた。しかし、大田さんが辺野古について受け入れをしないと明言をした次の予算から、予算は減ったんです。 今度は、稲嶺さんが誕生して、稲嶺さんが誕生したときもずっと予算はふえてきたんです。
その当時、沖縄県政は大田革新県政の絶頂期であり、特に、基地の町である宜野湾において自民党公認として県議会議員になるということは、非常に強いアゲンストでありました。マスコミ各社からも厳しい予想をされておりましたが、橋本・クリントン会談という歴史的な節目に沖縄県政に乗り込んでいって、普天間問題を解決していこうという思いでいっぱいでありました。
革新県政時代は、県の公共事業というようなのは県内企業に優先して発注されているわけですね。ただ、それの変化、最近地元の建設業者も、例えばサミットのときなどは、本当に沖縄の業者には仕事が回ってこなかったという怒りが爆発しておりました。
この選挙は、大田革新県政が現在の稲嶺県政にかわった大きな政治戦でありました。尾身大臣も、当時は自民党の本部を代表して派遣されて、現場で直接この選挙の指導をされていたというのもマスコミの報道されているところでありました。 ちょうどこのときの影響力が支えとなって、一九九九年九月に沖縄の経済界の呼びかけで、先ほど説明があったように沖縄幸政会が結成された。
○山口(泰)分科員 今、私もるるいろいろ質問させていただきましたけれども、本当に埼玉県は、東京の隣、しかし革新県政が二十年も続いたものですから大分この道路行政も含めておくれております。特に、今度大宮へ関東地方建設局が移りました。
そして、昨年の十二月には、日本共産党が参加しています革新県政の会が英文のパンフレットをつくったのです。こういうパンフレットでございます。これを大きく拡大して持ってまいりました。こういうパンフレットなんですね。もちろん英文で書かれております。こっちがオオタカで、これが海上の森、これが新住計画や道路建設のイメージで書いているパンフレットでございます。 この中身なんですけれども、「自然の叡智?
しかし、政府は、経済振興という名のバルブを閉め、兵糧攻めによる大田革新県政陥れをいたしました。 一昨年四月、米軍用地強制使用のための屈辱的な特措法大改悪が強行されました。その際は、さすがに大政翼賛会的の懸念も表明されましたけれども、しかし今また再改悪がもくろまれているのであります。
この選挙は、大田革新県政が進める米軍基地返還アクションプログラムや、昨年来の一連の米軍基地問題に対する態度が中心的に問われた選挙だったのであります。 その結果は、大田革新県政と鋭く対決する立場から県政の奪還を訴えた県政野党の自民党が大敗したことなどにより、これまでの二十一対二十五という野党過半数の勢力分野が逆転し、二十五対二十三へと大田県政与党が過半数を制することとなったのであります。
先生は、当時の革新県政に果敢に論戦を挑み、一歩も引けをとらず、「栃木県議会に渡辺あり」と称されました。さらに、先生は国政参画への夢捨てがたく、昭和三十五年の第二十九回衆議院総選挙に栃木県第一区から立候補しましたが、善戦わずかに及ばず、苦杯をなめられました。しかし、先生は、自来三年間、捲土重来を期して、昭和三十八年の第三十回総選挙に再度立候補、見事初当選の栄に輝いたのであります。
この法案は沖縄県を初め広範な関係各機関、団体の意見を集約してつくられ、一九七八年に革新県政が策定した要綱案の基本的な考え方をも踏襲したものでありました。だからこそ一九九四年六月に提出された原案を最大限に尊重して成立させてほしいという県民の声としても示されてきたのであります。 今回、衆議院で採択された本法案には修正案が盛り込まれ、当初の原案より後退した部分も少なくありません。
それで、保守県政から長洲革新県政にかわりました。そこで、革新県政は御承知のように、自衛隊は違憲だという立場をはっきりとっておられました。また同時に、日米安保については、反対、即時破棄という主張を続けておられたわけです。
今回の革新県政誕生は、日米両政府のこれまでの冷淡な態度に対する沖縄県民の抗議が噴出したものといえよう。」こう言っているんですね。私はここのところをぜひまともに受けとめてほしいという気がいたします。前にやった世論調査も同じような結果が出ているわけですね。
○竹村泰子君 沖縄は来年五月、復帰満二十周年を迎えるわけですけれども、沖縄振興関係に大きなネックとなっており、また県民生活に多大の影響を与えている米軍基地の抜本的な整理縮小は百二十万県民の悲願であり、革新県政に対する国の姿勢に変化が見えるという疑いをかけられないよう、政府は誠意をもって交渉に当たるべきだと思います。そのお願いをしておきます。
念のために確認いたしますけれども、昨年十一月に県民の選択によりまして保守県政から十二年ぶりに革新県政に移行したわけですね。谷沖縄開発庁長官は二月十六日に視察にいらっしゃいまして、そこで記者会見をしておられます。その中で基地問題への県の対応について、「政治の現実と理想の両方をみながらやっていかなければならない。
我が沖縄県では去年知事選挙が行われまして、十二年ぶりに革新県政を実現したわけです。 ところで、沖縄県の施策に対して総理が、あるいは政府が、冷たい態度や、ずばり言いますと差別をするようなことがあってはいけないと思うんですが、県民の不安でありますので、まず見解をお尋ねいたします。
県議会議員時代の先生は、琉球政府の要職にあった間の人脈を駆使しての豊富な情報と巧みな弁舌をもって当時の屋良革新県政を厳しく追及し、爆弾男の異名をはせ、沖縄政界の一翼を担う実力者としての地位を確固たるものにしていくのであります。
その点は、福岡の革新県政はさすがだと思います。これは有明海福岡県地先全域における陥没の現状を調査する、これは三井が陥没させたわけですよ、それでも福岡県の問題だというので福岡県が調査する、ただ福岡県だけが金を出す理由はないから政府にも協力を求めるということで協力を求めて、筋としてはなかなか理解できるけれども、出す筋が発見できないということのようです。
革新県政であった前屋良知事のもとでつくられた。よもやそういう差で物を考えているんじゃないでしょうな。どうですか。
革新県政時代もそうだった。これを声を大にしてみんな言っている。しかし、いまの保守県政だって、未執行、未執行で同じことじゃない。そういった、国の直轄事業でないから県に責任を転嫁するというのはあきませんよ、どういう態様の県政であろうが。見通しは立つのですか。五十六年度、たしか未執行になっていますよ。五十七年度はどうなんですか。もう年度末でしょう。
革新県政時代は振興開発計画を立て切れぬとか企業誘致ができないとか、何とかかんとか盛んに言っていたけれども、保守県政になって四カ年、何をやった。じゃ、逆に、企業の一つでも誘致できましたか。これだけ重要な法律を審議しようというのに、いままで県の素案さえできていないじゃないですか。屋良県政時代、平良県政時代は基本計画というものを立てておったでしょう。このことを明確にしておきたいと思うんだ。
決して保守県政になったからそうなったというあれでなくて、革新県政の時代に契約の仕方がまずかったと言い切っても私はしようがないのではないか。そういうことで、今後契約の内容について検討し、これを改善する意思、そのようなアドバイスをする意思がおありかどうか。そしてまた汚水ではかるべきか、上水ではかるべきか、その点についての見解を承りたいと思います。
その契約は昨年保守県政にかわってやったものじゃないというようなことを言っておりますが、それでは契約がそうであるというようなことであったとした場合、革新県政のときには払うが、保守県政のときにはまあまあいいかげんでいいやというようなことであるのかどうか。