1994-11-25 第131回国会 衆議院 厚生委員会 第8号
そういう話になりますと、私の質問もぐっと変えなくてはならないんですけれども、要するに、もう本当にお見舞いを申し上げながら、その精神的な苦痛にどうおこたえを申し上げるか、そして同時に、もう二度と戦争、そして非核、戦争をしない、これを広島、長崎の皆さん方と国民が一体となって、この法案前文にあるように、盛り込むわけですね。精神を入れていくわけです。
そういう話になりますと、私の質問もぐっと変えなくてはならないんですけれども、要するに、もう本当にお見舞いを申し上げながら、その精神的な苦痛にどうおこたえを申し上げるか、そして同時に、もう二度と戦争、そして非核、戦争をしない、これを広島、長崎の皆さん方と国民が一体となって、この法案前文にあるように、盛り込むわけですね。精神を入れていくわけです。
大前提は、非核戦争が長期化するという、そういう判断ですか。
同時に、非核戦争の場面でも同じであります。ベトナム戦争に見られるように、非戦闘員の大量殺戮と生活の破壊は、そのことを明確に物語っているではありませんか。 第二に、武力によって国を守ろうとする考えは、相互に際限のない軍備拡張を招き、軍事産業の発展とともに、産軍複合体をつくり出し、その結果、財政と国民の負担を重くし、国内の不安定を増大し、国際紛争の原因をつくりやすくするのであります。
しかし、それについては核戦争にならないぎりぎりのところまで、いまの防衛力整備計画の前提になっておる局地非核戦争というものは、あの弾頭に高性能爆薬を装備して攻撃してくるということも、これは想定からこれだけ除くということはちょっとおかしいと私は思うのです。
その非核戦争の演習をしている。しかし、その中で参加した人の四分の一くらいは戦死するという想定でしょう、自衛隊の人は。自衛隊の人にこんなことをあまり宣伝すれば、募集があまりうまくいかないかもわからないけれども、あなたの立場は気の毒かもわかりませんけれども、発展していって、それが核戦争にもなるということを考えてのやはり演習というものも入っているのじゃないですか、それに。
現実的に見ましても、世界各国で全面戦というものが二次大戦後は全くございませんで、おおむね大部分が局地的な紛争でございますし、しかも、それもいわゆる非核戦争——非核による限定戦争という形をとっておるわけでございますが、わが国の自衛隊の防衛ということにつきましても、やはりそういう核を用いない在来の兵器によりますところの侵略というものを考えまして、それに対する自衛力の整備ということを考えておるわけでございます
それから、さらに、非核戦争の場合には、これは当然通常弾頭、これは火薬を使いました通常弾頭あるいは通常無害というものを使用するわけであります。
六十時間の間に戦争が済んでしまいますから、抑制戦略をとっている現段階においては、全面戦略、極地戦略、これは非核戦争と核戦争を二つまぜます。それから、ゲリラ戦等のあらゆる事態に即応し得る装備、これが現代の軍事学の常識でありまして、これを無視しては当然問題にならないわけであります。