1984-10-03 第101回国会 衆議院 農林水産委員会 第29号
こうなりますと、鹿児島県の場合、特にサツマイモというのは台風常襲地帯で最も強く、今さら青木昆陽の故事をひもとくまでもなく、鹿児島県の農業を支えている主要な基幹作目でありますから、これの価格の決定については重要な関心がある。生産農家だけではなく、でん粉業界だけではなく、鹿児島県の経済界挙げての関心事である、こう言っても過言ではないと思います。
こうなりますと、鹿児島県の場合、特にサツマイモというのは台風常襲地帯で最も強く、今さら青木昆陽の故事をひもとくまでもなく、鹿児島県の農業を支えている主要な基幹作目でありますから、これの価格の決定については重要な関心がある。生産農家だけではなく、でん粉業界だけではなく、鹿児島県の経済界挙げての関心事である、こう言っても過言ではないと思います。
また、日本の国では青木昆陽が広めました。沖縄に芋の神様がおりますことを初めてお聞きしました。いざというときには芋は非常に災害に強いので、享保の災害にも芋が人命を救ったという歴史が残っておるわけでございます。
文化交流の一番、つまり文化のあけぼのだろう、こういうように思うのですけれども、青木昆陽だとか新井白石なんかは、そのために大変努力をした。したがって、私は、そうした日本の歴史に足跡を残してきておる人々はぜひ顕彰をしていくべきではないか。昨年もそのことは申し上げておいたわけですけれども、これもさらに積極的に取り組んでいただきたい。いま「峠の群像」が出ております。
大臣も十分御承知だと思いますけれども、日本の歴史をひもときましても、物の本を読んでみますと、八代将軍吉宗の時代に西洋学術奨励の方針を立ててから、青木昆陽等が蘭学でオランダ語訳等に対する先鞭をつけてきた、こういうふうに言われておる。たかだか二百五十年ないし二百年の歴史ですけれども、いまだに学科としては十八カ国ぐらい。
しかし、私のところへこうやって熱心な方々からこういう手紙なり資料なりを送ってきているのを見ますと、たとえば解体新書を出した杉田玄白だとかあるいは適塾を開いた緒方洪庵だとか華岡青洲だとかあるいは探検家の間宮林蔵だとか青木昆陽、さらには雪舟とか北斎とか、いろいろな国際的にも知られた人々がいるし、また肖像なり著書なり業績なりの残っている人もいるわけです。
それは食糧自給のために、わが敬愛する河井参議院議長、すなわち今様青木昆陽先生のサツマイモの増産と利用とを忘れないでいただきたいことであります。 最後に簡単に伺いたいと思いますことは、現在の供出制度にせよ、予約買付制度にせよ、何分の統制を残す限りにおいてやはり別に米の自由市場を開かなければ、国民の全部が依然として不明朗なやみ米生活を送らなければならないことであります。
「さつまいも」は三百年前支那から沖繩に持つて来て沖繩より薩摩のほうへ行つて、それを青木昆陽先生が全国に広めたわけですが、これは古い話でありますが、丁度日本が戰争の頃にガソリンが不足でそれに無水アルコールを入れ、その無水アルコールの原料が「いも」であつたので、農林省においては非常に向うに力を盡しまして、そうして向うは丁度「いも」に花が咲くのですからその花から実をとつて置く。