2014-02-26 第186回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
その点につきましては、先週の月曜日に実は廃炉・汚染水対策に関する福島評議会というものを設定させていただきまして、この評議会では、当該十二市町村の首長の皆さんはもとより、関係団体の代表だけではなくて、NPOの女性の代表ですとか、青年会議所の青年代表として皆さん幅広く出ていただいて、こういったことについてのリスクコミュニケーションのあり方についての協議会を定期的にやるということも始まっておりますので、何
その点につきましては、先週の月曜日に実は廃炉・汚染水対策に関する福島評議会というものを設定させていただきまして、この評議会では、当該十二市町村の首長の皆さんはもとより、関係団体の代表だけではなくて、NPOの女性の代表ですとか、青年会議所の青年代表として皆さん幅広く出ていただいて、こういったことについてのリスクコミュニケーションのあり方についての協議会を定期的にやるということも始まっておりますので、何
そして、市内の議会、各種団体長が副実行委員長を務めて、そして青年代表は大学生、高校生代表は女生徒でございましたが、みんな悲痛な訴えをしておるんです。聞いていても、聞いておる人がたまらないほどのそういう悲痛な訴えをやっております。そして、老人クラブの代表の方は、私たちが生まれた墳墓の地はあの普天間飛行場の中にある。集落も幾つもあったわけです。私たちはそこに帰りたいと。
この入札に関してなんですが、中国から青年代表受け入れに関して企画競争という形をとられているんですけれども、この企画競争というのはどういった形で審査をされて、どういう基準で委託先を決定しているのか。外務省として、調査というかチェックをするようなことはされているんでしょうか。
このパンフによりますと、その表題は、大きな活字で「日本」と書かれて、その下に「訪日ロシア青年代表団のための案内」と書かれている。中身は主要都市の観光案内、こういうパンフが配られている。 このパンフの中に、「日本の主要都市についての情報」の中の一つに、東京の赤坂の紹介がある。赤坂の由来を注釈して、主に赤坂の飲食店を地図上で案内したもの。ここには三十三のお店が紹介をされている。
一年置いて昭和三十二年ですが、中国から初めて十名青年代表を招いて、日本を約一カ月回ってもらった。そのときに来たのは、中華青年連合会の国際部長だった呉学謙さん、それから日本科長であった楊振亜、いずれも外務大臣、副総理、また駐日中国大使としてその後活躍をしました。
それから、翌三十二年に中国から初めて十人の青年代表を迎えました。
翌年の三十二年に中国の青年代表を十名日本に初めて招いたわけですね。これも来てもらうのがなかなか大変で、行くのも大変だったのですが、来るのも大変で、私たちが中国から三月ほどおって帰ってくると、毎日お巡りさんが一日ずつ訪問に来る。
しかし、経営委員会にも私はやはり若い人の非常にフレッシュな、しかも思い切った意見が出ることが望ましいと思うんですが、経営委員会の中に青年代表というか、男女を問わず、若い二十歳、三十歳台の人を入れるということはあなた方考えませんか。
そのことは具体的に何人の任期が終わって、そこに国会でお約束いただいた線に沿って何人の婦人を入れました、あるいは青年代表として何人入れましたというふうにお答え願えないものでしょうか。
○津金委員 あなたはそういうふうにおっしゃって問題の焦点をはぐらかそうとされておるわけでありますが、たとえば、現実の事態として岩国においては、原水禁運動の中で原水禁世界大会、この平和行進に対しジープでこれを尾行する、あるいはその宣伝内容を録音にとる、あるいは沖繩の青年代表を迎えて開かれた岩国の医師会館における集会の参加者を写真撮影をする。これは一般市民を写真撮影をしておるわけであります。
その承認につながるような場合には入国について否定的な考え方をするけれども、そうでない限りは積極的にするということを、この委員会では外務大臣から私も青年代表の問題についてお聞きしましたし、そのほかの委員会でも外務大臣から外務省の見解として述べられたというふうに思っております。
二人の青年代表が南ベトナムから臨時革命政府側であるけれども日本に入国申請をして入ってくるということについて、私は日本として認めて一向に何ら差しつかえないのじゃないか。そこのところで、なぜそういうところにこだわらなければならないのだろうかということについて、これは国民だれも関心を持つことではないかと思います。
私もちょうどそういう関係の仕事を前にやっておりましたが、そのときに来た青年代表、これは民主団体として初めて正式な代表として本土に来た。昭和二十八年の三月ごろであったと思います。そのときに、いま沖繩の農民は米軍の飛行場拡大によって全部その農地や家を取り上げられている。農地はもちろん自分の家にもガソリンをぶっかけられて火をつけて燃やして、あとはブルドーザーで整理をしている。
それから青年代表が立ちましたが、この青年がこう言っています。現在の農政は、おれたち青年から希望を奪い、乱開発などを進めて、農民を土地から追い出そうとしている。こんな自民党と農政には黙っていられない。いままで十年間、農民の米価要求は一度も実現していないが、ことしこそ総力をあげて戦っていく。こういう決意を表明しているわけですね。
そこで一応政府の見解をお尋ねしたわけですが、もう一つお聞きしたいのは、大臣も一御承知だと思うんですが、日本民主青年同盟及び全学連それから全建労青年部などが招待しておりましたいわゆる南ベトナム解放区の青年代表二人の入国問題であります。
そこで実は時間的な問題も田中法務大臣の答弁の中ではないわけですから、具体的な問題としてひとつ伺いたいのですが、実は日本民主青年同盟とグエン・バン・チョイ病院建設運動連絡会議、これが共同でベトナム民主共和国の青年の代表と、南ベトナムの臨時革命政府の統治下にある青年代表、つまり南ベトナム解放青年同盟の代表を招待し、その入国のためにビザの申請を行ないました。
事業内容といたしましては、啓蒙宣伝事業が主でございまして、機関誌の発行、いろいろなパンフレット、ポスター、新聞、テレビによる広報、講演会、北方領土展、北方領土復帰促進国民大会を開催する、署名運動を実施する、キャラバン隊を各地方に派遣をする、協力団体への助成、それから全国の青年代表の現地研修をする、それから北方少年と沖繩少年の交流の実施もやっておりますし、それから主要都市へ北方領土の復帰の啓発宣伝広告塔
そういう意味で、外務省がこういう芸術分野にも深い理解を持ち、ことに青年代表などがそういうものを見たいというときの利便のことも十分御勘案をいただきたい。 こういうことを列挙しまして、愛知外務大臣は頭がいいからみんな覚えていると思うのです。それらをひっくるめて御答弁いただいて、私の質問を終わるわけであります。
現にヨーロッパ各国を歩きますと、日本からごまんと青年代表が来るというのです。個人で来るものは金を持っているからしかたがない、これは当然なんです。かってなことだ。グループで来てもそうだ。代表で来て方々見せてもらうが、今度日本へ青年代表が行くと、だれも引き受け手がない。幸いにして世界青少年交流協会というものがあって、それがやってくれるので、相互交換方式というのは外務省の係としても非常に助かる。
ところが、京都のある青年代表が、棄権するのはやはり知らされないからだと、政策争点がわかれば必ず投票している、これは真実の一票だから若年層のほうが真実の投票率はいいのだと、こういうことも言っているようでございますし、また、昨年の総選挙に対して公明選挙連盟というのが四十五年の二月に世論調査を行ないました。棄権した理由を問いただしたところが、やはり政策がわからないというのが五・三%、非常に多いんですね。
構成のメンバーにつきましては、労働界、青年代表、婦人代表と、こうはっきりカテゴリーを分けるような法制化の必要は私はないのじゃないか。しかしながら、いま御指摘のような、広く意向を代表するような人選ということは当然必要なことであります。その人よろしきを得、国民各層の意見を反映せしめるように配意されるべきものであり、その点は今後もよく検討いたしたいというふうに思っております。