2009-04-01 第171回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号
それで、二番目の場所、広元市青川県の喬庄鎮という、先ほどお話があったように、漢方医学院の職員の宿舎。左上の写真を見ていただきたいと思いますが、今指している建物がこの右側の方まで全部つながっていたんです、本来の建物は。今、重機があるようですけど、重機で崩したわけじゃなくて、地震とともにこのように真ん中がそっくり崩れてこういう瓦れきの山になってしまった。
それで、二番目の場所、広元市青川県の喬庄鎮という、先ほどお話があったように、漢方医学院の職員の宿舎。左上の写真を見ていただきたいと思いますが、今指している建物がこの右側の方まで全部つながっていたんです、本来の建物は。今、重機があるようですけど、重機で崩したわけじゃなくて、地震とともにこのように真ん中がそっくり崩れてこういう瓦れきの山になってしまった。
その後、車両によって、六時間四十分、六時間半余りを要して、午前十時に成都の北北東四百キロに位置する青川県の関庄鎮というところに到着しました。現場へ行く途中の道路、到着した現場等がそこに映し出されております。 活動一日目。五月十六日でありますけれども、最初に到着した現場は、山崩れで土砂が村を一のみした、約二百人が生き埋めになった現場でありました。
例えば下府川だとか浜田川支流青川川 等々典型的に、我々が過去二級河川の問題にもっと力を入れて改修、改良しなければならぬじゃないかということをたびたび、この災害が起きたたびに集中的にお願いをしておるわけでございますが、河川の激甚災害対策緊急事業だとかあるいは改良復旧事業等々を見ますと、従来原形復旧だということでやられてきた。
午後には清川村に向い、北楯大堰を視察し、さらに鶴岡市に至りまして農村工業展示会を視察、また青川堰、揚水場につきまして説明及び陳情を受けたのであります。 二十日に鶴岡を出発、新潟に到着いたしまして、翌二十一日新潟県庁において県内情勢につき説明を受けました。