1948-06-29 第2回国会 参議院 文化委員会 第9号
過日の委員会において國会が表彰するということを申したことは、先頃幸田露伴翁が亡くなりまして、文化委員長たる山本勇造君が、議場において國会に関係のない故人に対して追憶の辞を述べられた、ああいう方法によつて表彰するということを意味したものでありまして、勲章を贈るというようなことについては考えはないということを御承知を願いたいと思います。
過日の委員会において國会が表彰するということを申したことは、先頃幸田露伴翁が亡くなりまして、文化委員長たる山本勇造君が、議場において國会に関係のない故人に対して追憶の辞を述べられた、ああいう方法によつて表彰するということを意味したものでありまして、勲章を贈るというようなことについては考えはないということを御承知を願いたいと思います。
露伴翁の業績につきましては、今更事新らしく私が申述べるまでもないと思います。すでに明治の後半期におきまして尾崎紅葉と共に並び称せられ、いわゆる紅葉、露伴時代というようなものが作り出されておるのであります。その時の露伴はまだ二十台三十台の年輩であります。それにつきまして私ふと思い出しましたことは、勝海舟の氷川清話の中で、この海舟が二人のことについて申しておる言葉であります。