2020-11-20 第203回国会 衆議院 文部科学委員会 第4号
日本でも、古くはプロ野球球団の黒い霧事件がありまして、法制定当時のプロ野球コミッショナーだった川島広守さんも懸念をしていたわけですよ。そして、何とおっしゃっているか。スポーツ振興というのは、本来、国や自治体によって担われるべきものですと。本当に私は正論だと思うんですね。 しかも、子供たちの大好きなサッカーに、更にバスケットボールなんですよ。しかも、今SNSです。
日本でも、古くはプロ野球球団の黒い霧事件がありまして、法制定当時のプロ野球コミッショナーだった川島広守さんも懸念をしていたわけですよ。そして、何とおっしゃっているか。スポーツ振興というのは、本来、国や自治体によって担われるべきものですと。本当に私は正論だと思うんですね。 しかも、子供たちの大好きなサッカーに、更にバスケットボールなんですよ。しかも、今SNSです。
それが、いわゆる東京都議会の黒い霧事件という中で一九六五年に特例法として作られたという経過でありますし、しかもこの特例法は、解散による選挙によって当該地方公共団体の住民の意思を聞く方法ということで作られていることでありまして、そうでなく短縮をする、私は一度でもやっぱり短縮をした先例をつくるということは、今後に及ぼす影響を考えるならば相当慎重な検討が求められると思います。
しかし、政界の腐敗が明らかになった黒い霧事件を機に、七五年改定で政治資金規正法に入れ込み、政治活動に関する寄附全般を禁止したものであります。公職選挙法第百九十九条には、公共事業受注企業からの選挙寄附の禁止が規定されています。
二十年前の件なんですが、これはもともと、黒い霧事件、ロッキード事件、リクルート事件、こういうものがいろいろあって、小選挙区導入と一緒に、政治四法を全部変えようということで、政治資金規正法も改正になりました。そのときの趣旨は、政治家への企業・団体献金をやめていきましょうということで、先ほど江田代表もおっしゃいましたけれども、政党は許しましょうということで始まったんです。
古くて新しいということが出ましたので、あえて申し上げれば、かつてこの政治資金規正法をめぐる問題では、黒い霧事件以降、本当にそれなりに企業献金禁止についての検討もされました。
私は、大臣が文部大臣をされてあるときに、プロ野球界を襲ったいわゆる黒い霧事件で処分を受けた元西鉄ライオンズのエース、池永選手の復権について質問をいたしました。そのとき大臣は、所管外のことと断られながらも、そのときの大臣の人間味あふれる答弁は、関係者の方々に大きな励みを与えていただきました。そのような大臣が、今問題になりました政治と金にかかわる問題の渦中におられることを私は残念に思います。
私は、結局、ネームバリューのあった池永氏を追放することによってこの黒い霧事件の収拾を図ったプロ野球機構の政治的な犠牲になったのではないか、そういう疑念が捨て切れません。そしてまた池永氏も、私自身も、もっと深い政治的な理由があったのかもしれないということを今思っているところです。 しかし、これで池永氏の復権運動がストップしたわけではありませんでした。
そして、池永氏にとって入団五年目、昭和四十四年の秋、あのプロ野球界を震撼させた黒い霧事件の幕があきました。この事件は、八百長賭博をもくろんだ人物に複数球団の現役選手が八百長を依頼された事件で、プロ野球ファンの信頼を裏切る事件でした。その八百長を依頼されたとされる選手の中に、池永氏の名前も挙がりました。先ほども言いましたように、この事件は昭和四十五年五月八日、当時の文教委員会でも取り上げられました。
そして、池永氏にとって入団五年目の昭和四十四年の秋、プロ野球界を震撼させたあの黒い霧事件が幕をあけました。この事件は、八百長賭博をもくろんだ人物に複数球団の現役選手が八百長を依頼された事件で、プロ野球ファンの信頼を裏切る事件でありました。そして、八百長を依頼されたとされる選手の中に、この池永氏の名前も挙がりました。
結局、ネームバリューがあった池永さんを追放することによってこの黒い霧事件の収拾を図った、そういうプロ野球機構の政治的な犠牲者となった、このような疑念を私は持たざるを得ません。 しかし、これで池永さんの復権運動がストップしたわけではありませんでした。
プロ野球界でかつて賭博事件、黒い霧事件があって、国会でも大きな問題になったことがあるそうですね。プロ野球界はこの歴史の教訓を肝に銘じているというふうにも私は伺っているんです。 それで、こうしたスポーツ界からの反対の声をどんなふうにごらんになっているでしょうか。
そして、そういう中で、その黒い霧事件も含めまして、さまざまな場面を通じて、政治資金規正法あるいは公職選挙法を初めとした制度の改革がなされてきたというのが、今日につながる一連の流れだったのではないでしょうか。そして、ある意味では、選挙制度の改正というものもそうした全体の流れの中に入って行われ、その選挙の洗礼を経て我々が当選をさせていただいた、そのような流れになるのではないかと今思っております。
それは、その当時、黒い霧事件あるいはロッキード事件、こういう事件を踏まえて、企業献金は非常に問題が多過ぎるということで、政治のあり方として、まあアメリカに倣って、もう企業献金は廃止すべきである、そういう考え方が審議会の委員の中で合意となって、ああいう表現になって今日まで来ているわけであります。 企業献金がなくなれば政治資金が全くなくなるということは、私は、ないと思うのですね。
(拍手) 私が初当選した昭和四十年は、日韓基本条約が批准された年であり、それ以後、沖縄の返還、日中国交樹立等、日米安保闘争の余震が続き、また黒い霧事件など政治腐敗が渦巻いた政治激動の時期でありました。
というのは、先ほど申し上げたんですけれども、昭和四十一年に黒い霧事件が起こって、さっき申し上げたとおり、大体すぐ何とか委員会、何とか審議会におろすんですよね。この四十一年のときは第五次選挙制度審議会にあれして、それでそのもとにさっき言った「当面緊急に措置すべき事項に関する特別委員会」というものを設けて答申を、そしてその答申は先ほど一部を読みました。
私が記憶しておる中では、昭和四十一年のあの佐藤内閣時代の黒い霧から始まってずっと続いたスキャンダル、四十一年のその黒い霧事件のときに、実は翌年の四十二年の四月、政治資金の規正等の改善事項について、いわゆる審議会が、第五次選挙制度審議会がこういう答申をしているのです。昭和四十二年です。「当面緊急に措置すべき事項に関する特別委員会」を設けました。そして答申をした。名前はこういう名前です。
時間が少のうございますからずばり本論に入りますけれども、私も国会に籍を置いて三十年になりますが、まあ昭和四十一年の、印象に残っている事件から言えば佐藤内閣時代の黒い霧事件、そして五十一年のロッキード事件、五十三、四年のいわゆるダグラス・グラマン事件、そしてリクルート事件、なぜこんなにこの種の事件が後を絶たないんでしょうかね。私は、大きく考えて二つあると思うんです。
黒い霧事件、ロッキード事件、リクルート事件、さらには今回の事件へと続いています。依然として政界・官界・経済界の構造汚職事件の続発に対して、いまなお政治が有効な対応をなし得ないでいることに、私は、自らの力不足を反省するとともに、憤りを強くするところであります。政治家と国民との間に結ばれた信頼関係の崩壊は、民主政治の根幹を危うくすることをいま実感するのであります。
・これは四十七年九月の日通事件の東京地裁判決でありますけれども、「政治家を金銭によって利用しようとする財界との結びつきについては、この風潮が浄化されない限り、黒い霧事件は根絶されない。」これはもうきっぱりと日通事件でそういう判決を下しておるわけでしょう。これをなぜやらないのか、我々は不思議でならないわけであります。
政治資金規正法は、黒い霧事件、田中金脈、ロッキード事件と、政界の三つの腐敗事件とこれに対する世間の批判を経て現行の形に改正されてきた。 企業献金の制限と、派閥や個々の政治家の収支もガラス張りにするというのが改正の眼目で、」「昭和五十年のこの改正の際、野党は企業献金の全廃を主張し、政府・与党はその方向で努力し、五年後に法改正を図ると約束した経過もある。」
ただ、政治資金の問題というのは、審議会におきましても、もとはと言えばやはり選挙制度の問題に非常に密接に関連をしてまいる問題でありまして、本来であれば、現在のような個人に金がかかり過ぎるような選挙制度でなしに、政党が政策で争い得るシステムを立てた上で、それと一連の問題として政治資金の規制を行うべきだというのが大多数の意見であったわけでありますけれども、当時のいわゆる黒い霧事件といった特別な政治情勢がございましたために
つまり、先ほどお話ししたように、過去に同じようなことを、黒い霧事件のときにも再発防止みたいな議論があってそういうことが行われた。五十一年のロッキード事件のときにもそういうことが行われた。二度も口ではやるようなことを言いながら、結局本気では取り組まなかったとしか言いようがないような、そういう結果に終わっておるわけです。抽象的な口約束では国民は納得しないと思う。
私は、そういう選手の皆さん方が積極的に社会的使命を背負って立っていこうという立場に立っておられるというこの声に、それなりに文部大臣としても、四十五年の黒い霧事件のときのことを考えるならば、積極的に打って出られてもしかるべきではないかというふうに感ずるわけです。
ところで、昭和四十五年の五月八日に衆議院の文教委員会におきまして、いわゆる黒い霧事件というものが発生し、そのときにいろいろ論議になりました。いま振り返って当時の議事録を読ませていただいて、当時の文部大臣が言っておられる言葉を改めて大臣にお聞きしたいと思うのです。 ここでこういうことを言っておられます。