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64件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-11-20 第203回国会 衆議院 文部科学委員会 第4号

日本でも、古くはプロ野球球団の黒い霧事件がありまして、法制定当時のプロ野球コミッショナーだった川島広守さんも懸念をしていたわけですよ。そして、何とおっしゃっているか。スポーツ振興というのは、本来、国や自治体によって担われるべきものですと。本当に私は正論だと思うんですね。  しかも、子供たちの大好きなサッカーに、更にバスケットボールなんですよ。しかも、今SNSです。

畑野君枝

2017-05-10 第193回国会 参議院 政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会 第2号

それが、いわゆる東京都議会の黒い霧事件という中で一九六五年に特例法として作られたという経過でありますし、しかもこの特例法は、解散による選挙によって当該地方公共団体の住民の意思を聞く方法ということで作られていることでありまして、そうでなく短縮をする、私は一度でもやっぱり短縮をした先例をつくるということは、今後に及ぼす影響を考えるならば相当慎重な検討が求められると思います。  

井上哲士

2015-02-27 第189回国会 衆議院 予算委員会 第11号

二十年前の件なんですが、これはもともと、黒い霧事件、ロッキード事件リクルート事件、こういうものがいろいろあって、小選挙区導入と一緒に、政治四法を全部変えようということで、政治資金規正法改正になりました。そのときの趣旨は、政治家への企業団体献金をやめていきましょうということで、先ほど江田代表もおっしゃいましたけれども、政党は許しましょうということで始まったんです。  

今井雅人

2002-10-30 第155回国会 衆議院 農林水産委員会 第2号

私は、大臣文部大臣をされてあるときに、プロ野球界を襲ったいわゆる黒い霧事件で処分を受けた元西鉄ライオンズのエース、池永選手復権について質問をいたしました。そのとき大臣は、所管外のことと断られながらも、そのときの大臣の人間味あふれる答弁は、関係者の方々に大きな励みを与えていただきました。そのような大臣が、今問題になりました政治と金にかかわる問題の渦中におられることを私は残念に思います。  

楢崎欣弥

2001-03-01 第151回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

私は、結局、ネームバリューのあった池永氏を追放することによってこの黒い霧事件収拾を図ったプロ野球機構政治的な犠牲になったのではないか、そういう疑念が捨て切れません。そしてまた池永氏も、私自身も、もっと深い政治的な理由があったのかもしれないということを今思っているところです。  しかし、これで池永氏の復権運動がストップしたわけではありませんでした。

楢崎欣弥

2001-03-01 第151回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

そして、池永氏にとって入団五年目、昭和四十四年の秋、あのプロ野球界を震撼させた黒い霧事件の幕があきました。この事件は、八百長賭博をもくろんだ人物複数球団現役選手八百長を依頼された事件で、プロ野球ファン信頼を裏切る事件でした。その八百長を依頼されたとされる選手の中に、池永氏の名前も挙がりました。先ほども言いましたように、この事件昭和四十五年五月八日、当時の文教委員会でも取り上げられました。

楢崎欣弥

2000-11-10 第150回国会 衆議院 文教委員会 第2号

そして、池永氏にとって入団五年目の昭和四十四年の秋、プロ野球界を震撼させたあの黒い霧事件が幕をあけました。この事件は、八百長賭博をもくろんだ人物複数球団現役選手八百長を依頼された事件で、プロ野球ファン信頼を裏切る事件でありました。そして、八百長を依頼されたとされる選手の中に、この池永氏の名前も挙がりました。

楢崎欣弥

1997-10-30 第141回国会 衆議院 予算委員会 第4号

そして、そういう中で、その黒い霧事件も含めまして、さまざまな場面を通じて、政治資金規正法あるいは公職選挙法を初めとした制度の改革がなされてきたというのが、今日につながる一連流れだったのではないでしょうか。そして、ある意味では、選挙制度改正というものもそうした全体の流れの中に入って行われ、その選挙の洗礼を経て我々が当選をさせていただいた、そのような流れになるのではないかと今思っております。  

橋本龍太郎

1993-05-18 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会公聴会 第1号

それは、その当時、黒い霧事件あるいはロッキード事件、こういう事件を踏まえて、企業献金は非常に問題が多過ぎるということで、政治のあり方として、まあアメリカに倣って、もう企業献金は廃止すべきである、そういう考え方が審議会委員の中で合意となって、ああいう表現になって今日まで来ているわけであります。  企業献金がなくなれば政治資金が全くなくなるということは、私は、ないと思うのですね。

阪上順夫

1992-03-02 第123回国会 衆議院 予算委員会 第9号

というのは、先ほど申し上げたんですけれども、昭和四十一年に黒い霧事件が起こって、さっき申し上げたとおり、大体すぐ何とか委員会、何とか審議会におろすんですよね。この四十一年のときは第五次選挙制度審議会にあれして、それでそのもとにさっき言った「当面緊急に措置すべき事項に関する特別委員会」というものを設けて答申を、そしてその答申は先ほど一部を読みました。

楢崎弥之助

1992-03-02 第123回国会 衆議院 予算委員会 第9号

私が記憶しておる中では、昭和四十一年のあの佐藤内閣時代の黒い霧から始まってずっと続いたスキャンダル、四十一年のその黒い霧事件のときに、実は翌年の四十二年の四月、政治資金規正等改善事項について、いわゆる審議会が、第五次選挙制度審議会がこういう答申をしているのです。昭和四十二年です。「当面緊急に措置すべき事項に関する特別委員会」を設けました。そして答申をした。名前はこういう名前です。

楢崎弥之助

1992-02-04 第123回国会 衆議院 予算委員会 第3号

時間が少のうございますからずばり本論に入りますけれども、私も国会に籍を置いて三十年になりますが、まあ昭和四十一年の、印象に残っている事件から言えば佐藤内閣時代の黒い霧事件そして五十一年のロッキード事件、五十三、四年のいわゆるダグラス・グラマン事件、そしてリクルート事件、なぜこんなにこの種の事件が後を絶たないんでしょうかね。私は、大きく考えて二つあると思うんです。

楢崎弥之助

1991-10-01 第121回国会 衆議院 本会議 第13号

黒い霧事件、ロッキード事件リクルート事件、さらには今回の事件へと続いています。依然として政界・官界・経済界構造汚職事件の続発に対して、いまなお政治が有効な対応をなし得ないでいることに、私は、自らの力不足を反省するとともに、憤りを強くするところであります。政治家国民との間に結ばれた信頼関係の崩壊は、民主政治の根幹を危うくすることをいま実感するのであります。

櫻内義雄

1989-06-14 第114回国会 衆議院 地方行政委員会 第7号

・これは四十七年九月の日通事件東京地裁判決でありますけれども、「政治家を金銭によって利用しようとする財界との結びつきについては、この風潮が浄化されない限り、黒い霧事件は根絶されない。」これはもうきっぱりと日通事件でそういう判決を下しておるわけでしょう。これをなぜやらないのか、我々は不思議でならないわけであります。

経塚幸夫

1985-05-28 第102回国会 衆議院 大蔵委員会 第26号

政治資金規正法は、黒い霧事件、田中金脈ロッキード事件と、政界の三つの腐敗事件とこれに対する世間の批判を経て現行の形に改正されてきた。 企業献金の制限と、派閥や個々の政治家の収支もガラス張りにするというのが改正の眼目で、」「昭和五十年のこの改正の際、野党は企業献金の全廃を主張し、政府・与党はその方向で努力し、五年後に法改正を図ると約束した経過もある。」  

簑輪幸代

1980-10-29 第93回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第2号

ただ、政治資金の問題というのは、審議会におきましても、もとはと言えばやはり選挙制度の問題に非常に密接に関連をしてまいる問題でありまして、本来であれば、現在のような個人に金がかかり過ぎるような選挙制度でなしに、政党が政策で争い得るシステムを立てた上で、それと一連の問題として政治資金の規制を行うべきだというのが大多数の意見であったわけでありますけれども、当時のいわゆる黒い霧事件といった特別な政治情勢がございましたために

大林勝臣

1979-07-11 第87回国会 衆議院 航空機輸入に関する調査特別委員会 第9号

つまり、先ほどお話ししたように、過去に同じようなことを、黒い霧事件のときにも再発防止みたいな議論があってそういうことが行われた。五十一年のロッキード事件のときにもそういうことが行われた。二度も口ではやるようなことを言いながら、結局本気では取り組まなかったとしか言いようがないような、そういう結果に終わっておるわけです。抽象的な口約束では国民は納得しないと思う。

中川秀直

1978-03-01 第84回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第3号

ところで、昭和四十五年の五月八日に衆議院の文教委員会におきまして、いわゆる黒い霧事件というものが発生し、そのときにいろいろ論議になりました。いま振り返って当時の議事録を読ませていただいて、当時の文部大臣が言っておられる言葉を改めて大臣にお聞きしたいと思うのです。  ここでこういうことを言っておられます。

寺前巖