1990-06-13 第118回国会 衆議院 逓信委員会 第11号
○秋葉委員 実は、これは電波新聞だと思いますけれども、そこに「映像産業の未来を考える」という記事がありまして、郵政省の内部資料として、幾つかの通信と放送についての区別があるということを挙げた記事なんです。例えば、ニッケンサテライトという会社が工務店向けに建築関連情報を提供しているサービスは放送だけれども、一定規模未満は通信だというような記述がある。
○秋葉委員 実は、これは電波新聞だと思いますけれども、そこに「映像産業の未来を考える」という記事がありまして、郵政省の内部資料として、幾つかの通信と放送についての区別があるということを挙げた記事なんです。例えば、ニッケンサテライトという会社が工務店向けに建築関連情報を提供しているサービスは放送だけれども、一定規模未満は通信だというような記述がある。
それでもう少し具体的な話に入っていきたいのですが、例の業界を扱っている新聞で電波新聞などを見ますと、昨年一年間新聞を繰ってみても、全国各地で量販店の進出というのは大変物すごい勢いで、これは東京の周辺だけでなしに関西でも、あるいはもう全国各地でそれが大きなトラブルを起こしているわけです。
せっかく家電の調査をされているのですが、もとの資料は何かというと、公取自身の調査ではなしに、電波新聞とか週刊エコノミストとか日経流通新聞、そういうたぐいのものに依拠した調査であって、公取らしい調査というのがない、通産省は通産省でどこかに委託してさせた簡単な調査に終わっている、これはちょっとまずいのじゃないかというふうに考えるので、この仕入れ価格差、これが諸悪の根源だと小売商の団体の代表者も言っていることでありますから
それから新聞協会のファクシミリ多重といいますか、これに対するものは、別の言葉で言えば電波新聞とも言われておりますので、これからの技術の可能性、あるいはそれがどういう形で出てくるのか、プリンターと申しますか、そうしたものの開発もあろうかと思いますけれども、技術の可能性がいろいろ考えられるということで、その時点においてまだわからないので意見を十分聞いてくださいよ、こういうことだろうと思います。
プリンターというものが考えられて、そして電波多重のファクシミリまで発展していく、そしてまた、そこにはキャプテンシステムを含めて電子新聞であるとか電波新聞、そういったものにまで今後このニューメディアが発展していくことは十分考えられるわけです。
次に、文字多重放送は、将来を考えると、電波新聞の可能性があるとは新聞界でよく言われていることです。私も、パターン方式から高能力のコード方式に進み、これに高性能のハードコピーが組み合わさったときには、まさしく電波新聞としての機能を備えることになると思います。これに対し、新聞側が特に注目していることは当然であります。
ある人に言わしめれば、文字多重放送は電波新聞の性格をも持つのではなかろうか、極端な言い方をしますと、現在の新聞がだんだん先細りになって、こういった電波新聞の性格の文字多重放送に国民の関心が移行してしまうのではないか、そういうことも考えました場合には、それなりにローカル情報の充実、あるいはまた現在ローカル紙の置かれております立場というものをも十二分に尊重をいただきます中における多重放送であってほしいということを
いま一つ、文字放送につきましてはマスメディアの集中排除という見方が言われるわけですけれども、新聞の方からながめてみましたら、文字放送というのは文字を使っているんだ、放送で音声だけでなくて文字を使っているという意味と、将来に向けて、これが家庭においてハードコピー等で紙面にとることができたような場合には、これは電波新聞とも言えるんじゃないか。
情報の量が余り多くないということでしたが、ここで仮に少量でも電波新聞的なものが芽生えた場合に、この次に大量のものを送れるものが出てきたときに、それが一体新聞の分野なのか、それとも今回の文字多重の発展的な姿なのかというのが先で誤解を招くことがあると思いますので、情報が少ないから新聞の未来の姿ではないという結論をここで出されても、その先で多量のものが出てきたときに非常に大きな問題が起こると思いますので、
○塩出啓典君 それはこの電波新聞というのはテレビの所有率と書いているのですね。テレビを持っている人を調べたのだったら、テレビ所有率は一〇〇%じゃありませんか。そういう点が非常に私納得しかねる点がございますが、まあこれはあなたがそうおっしゃるならばそれでもよろしいですから、あとでそういう資料をもってこの調査の内容を御説明願いたいと思うのです。それはあとでいいですよ、きょうじゃなくても。
作曲家の団伊玖磨氏は、昨年一月四日号の「電波新聞」に次のようなことを書いている。団伊玖磨君といえば、日本でも一流の作曲家ですよ。その一流の作曲家がNHKをどういう感じを持って去ったかというと、団伊玖磨君はこういうことを書いている。 僕をこんなにまで放送ぎらいにさ せてしまった原因の一つはNHKで ある。戦後、六年の間、僕はNHK の契約作曲家として働いていた。