1997-06-05 第140回国会 参議院 逓信委員会 第12号
先生御指摘ございましたように、郵政省にも逓信省電気試験所以来、昭和二十七年には郵政省電波研究所として発展をし、さらに昭和六十三年でございますが、現在の郵政省通信総合研究所ということで、電波も含めました情報通信技術全般につきましての総合的な唯一の国立試験研究機関ということで郵政省は運営をいたしております。
先生御指摘ございましたように、郵政省にも逓信省電気試験所以来、昭和二十七年には郵政省電波研究所として発展をし、さらに昭和六十三年でございますが、現在の郵政省通信総合研究所ということで、電波も含めました情報通信技術全般につきましての総合的な唯一の国立試験研究機関ということで郵政省は運営をいたしております。
研究といいますと、本来ですと逓信省の電気試験所だったのが、昭和二十七年に分割をされたわけですね。それで一部が郵政省の通信総合研究所になり、通産省の電子技術総合研究所にもなった、三つですね、電電公社の電気通信研究所と。この三つの研究所に分けられたわけなんですが、それぞれ得意な面があると思うんです。
それで、現在の日本の進んだスペースチャンバーだったらかなりのものが多分あるのでしょうけれども、私の知っているのは四半世紀ぐらい前の電気試験所ぐらいしか知りませんからあれですけれども、そのスペースチャンバーなどでどの点まで地上実験、地上試験でさらに前進できるのか、あるいは、それをもっと前進させようと思ったらどういうものにこの装置の改良を加えていかなければいけないかとか、その辺も少し伺っておきたいと思います
これは通産省の関係の方ですが、電総研というものは昔電気試験所と言ったはずだということを思い出しまして、それとアメリカのビューロー・オブ・スタンダーズというものを連想したわけでございます。アメリカのこの新しい光源をつくろうという意欲はビューロー・オブ・スタンダーズがまず初めに描いたわけでございます。そこからこのSORの話が発展してきたんだと思うんですね、二十何年も前の話ですが。
今電総研というのは昔は電気試験所と言っていたわけで、つまり研究所じゃなくて試験所であったわけです。つまり、スタンダードをつくるということの方が主なお仕事であったわけです。それが、世の中が先端的研究でにぎやかになりまして、皆さんそちらの方に魅力を感じられたんでしょうか、スタンダード的な、縁の下の力持ち的研究をやるべきところがみんな先端的研究をやるようになってしまったんじゃないかと思うのです。
こうした状況を踏まえまして、昭和四十五年に名称を電気試験所から電子技術総合研究所と改めまして、電気、電子それから情報技術を中心に研究を進めてきております。
研究所の中にいろいろな研究所がございまして、先ほど長官に御質問したように、それぞれ歴史的な理由があるわけなんですが、そういう歴史的な理由の中でちょっとお伺いしたいのは、通産省関係の、昔電気試験所というものであったのが今電子技術総合研究所という形になっているわけですね。それから昔中央計量検定所といわれていたものが今は計量研究所という形になっている。
工業技術院傘下の電気試験所というのがございまして、それがただいまは電子技術総合研究所という研究所になっている。いろんな試験所が研究所というふうに看板を塗りかえているんですが、これはどういう変化であったのかということを教えていただきたい。どういう必要があって、どういうふうなことで試験所が研究所になったか。
○伏見康治君 そこで伺いたいのは、私にはごく具体的には電気試験所のことしか頭にないんですけれども、電気試験所時代には、いろいろなメーカーがおつくりになる電気器具類の試験、検定といったようなお仕事をやっておられたと思うんですね。
○政府委員(内田勇夫君) かつて電気試験所が持っておりました試験、検定部門は、日本電気用品試験所あるいは日本電気計器検定所というような格好で国立電気試験所から分離独立いたしまして、ルーチンの仕事として実施をされております。
それを応用研究に結びつけようとしていろいろな研究所、そのころの電気試験所などが中心になっていろいろやられまして、それを企業が実相化したというサイクルができて、そうして世界に先駆けてフェライトという材料の実用化ができたわけであります。
そのときの団長は通産省の電気試験所の電力部長だったと思うのですが、つまり政府が中心になって編成をして調べに行ったわけですね。
武蔵野市の電気試験所において、黒沢君という人、京都大学を出て、しかも彼は非常に優秀な技術者でした。彼はついに奥さんと子供さんを残して自分の郷里の京都に帰って、しみじみと話して、相模湖で自殺をしたのです。その黒沢君には何のテーマも与えない。そして電話は全部室長やあるいは責任者のところに通じて、本人には全然外部に連絡津させない。
斎藤青山学院大理工学部教授、それから中川工業技術院技官、金指電気試験所材料部の技官、丸田通産省化学工業局技官、沼倉武蔵工大工学部教授、上田名古屋大学工学部教授、それから河村とおっしゃる電力中研の方、鈴木とおっしゃる日本鉱業の方、木村とおっしゃる日本石油の中央研究所の方、松岡とおっしゃる鐘淵化学の方、高とおっしゃる松村石油の技術課の方、若菜とおっしゃる昭和石油の製品技術部の方、山片とおっしゃる三菱モンサント
ウラン濃縮でも、動燃が遠心分離であれば、理研のほうはガス拡散のほうでいろいろと研究が行なわれているのではないか、あるいは電気試験所とか、いろいろそういうふうに、政府が行なっている研究所のいろいろな安全性の具体的な研究、それが各テーマごとになされているはずでございます。
○説明員(平松守彦君) 現在、日本でタイムシェアリングということで使われておりますシステムは八つばかりでございまして、たとえば慶応大学でございますとか、大阪大学でございますとか、電気試験所とか、そういったようなところに、現在八カ所でまず試験的にやっております。
それから現在開発中のものにつきましては、まだ十分詰めておりませんけれども、電気試験所なり、あるいはそういったところでこれを実用に使っていくということになるだろうと思います。
この研究開発は現在順調に進められております それから、電気試験所を中心といたします情報処理関係、特にそれに関連いたしました電子技術の研究、それからさらにソフトウエアの研究を含めまして、特に四十五年度からは力を入れまして、機構も拡充をいたしまして研究を現在進めている段階になっております。
そういったもとにおきまして、やはり私どもの電気試験所——今度、電子技術総合研究所ということになりますが、そういったもの。あるいは郵政省関係におきましては、それぞれ電電公社その他りっぱな研究機関を持っております。
また、電気試験所におきましては、宇宙電子技術に関する研究、それから大阪工業技術試験所におきましては、人工衛星軌道解析用スーパーシュミットカメラの試作研究、大体おもな項目はこの三つでございます。
この計画に従って、現在、大学でございますとか、あるいは民間企業等の協力のもとに、日本原子力研究所、それから電気試験所、理化学研究所等におきまして研究開発を進めておる段階でございます。
この計画に基づきまして、現在、大学、民間企業の協力のもとに、日本原子力研究所、電気試験所、理化学研究所におきまして研究開発を進めておりまするが、これは少し実用化までに時間のかかることでございまして、おそらくこれは短期には実用化されることはむつかしかろうと存じます。
それから、これはたいして大きな問題ではないのですが、民間のほうへ行きますと——電電公社と通産省の両方でいろいろな研究をやっておるわけですね、片方は工業技術院でたいへん超高性能の相当の成果があがりそうな明るい見通しが立っているようにも聞いておりますけれども、電電公社は電電公社で、電気試験所のほうでいろいろ、これは電気試験所ではありませんでしたか、いろいろやっている。
○黒川説明員 私どもの研究所と、扱っております電気試験所とよく打ち合わせをいたしましてやっておるわけでございますが、趣旨といたしましては、電気試験所でおやりになっておるのは、非常に将来の大型のあるいは性能の高いモデルをつくる、それで私どものほうのは、それよりもう少し小さい、すぐ使えるもの、先ほど申しましたように、いろいろデータ通信をやりますと、ソフトウエアが同じような業務でみんな違う。
○国務大臣(大平正芳君) 人事院からお答えございましたが、特別の俸給表をわれわれのほうはお願いをしておるんでございますけれども、人事院のほうでいま調整額というようなことでの配慮を今日までいただいておるわけでございますが、私はきのうも実は電気試験所に行って現場を見て、幹部の諸君とも懇談をしてきたんでございますけれども、ちょうど官民の間の給与のバランスというようなものが、国家公務員法で一応の目安になってきめられているわけでございますけれども
各試験所——電気試験所等の試験所あるいは電電公社等を使っております。まあその実績を見ますと、大体三十五年からそういう制度にいたしまして、現在まで件数でいいますと三百七十六件ございます。非常に効果をあげておるとは言えません。いろいろ理由はございますが、御承知のように現在までは、出願公告までは秘密でございますので委託その他を選択する場合に非常に困難でございます。
そういう場合には、たとえばでございますが、電気試験所で一年間技術の習得をしてもらい、そういった素養に基づいて審査をやっていく。それから学校の技術知識が、数年間役立つ分野がございます。