2019-10-01 第199回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号
しかし、発災当初、台風で屋根が飛ばされ、ブルーシートで覆っただけの自宅で雨露をしのがざるを得なかった被災者もたくさんいらっしゃいました。そうした場合に、本来、災害救助法でホテルや旅館を避難所として利用することも可能だったわけですね。また、移動の費用も支援できたのではないかということです。 三つ目に、市長さんからは、復興には三年かかる、そういう構えでいるんですというお話を伺いました。
しかし、発災当初、台風で屋根が飛ばされ、ブルーシートで覆っただけの自宅で雨露をしのがざるを得なかった被災者もたくさんいらっしゃいました。そうした場合に、本来、災害救助法でホテルや旅館を避難所として利用することも可能だったわけですね。また、移動の費用も支援できたのではないかということです。 三つ目に、市長さんからは、復興には三年かかる、そういう構えでいるんですというお話を伺いました。
また、間取りについても、非常に、生活や家族形態などとは適していないために、また、音の問題など、大変ストレスがかかるという意味においては、とりあえず雨露はしのいだけれども、健康を害する方、また、生活再建への意欲というものも薄くなるというようなことも聞こえてまいります。
このこと自体で、やはり長期間住む生活の本拠という場所ではないんじゃないかというふうに思いますので、こういう、福祉事務所があっせんして、一時的に、とりあえず雨露しのぐためにというところで紹介しているようなアパートについては、私はきちんと整理をしていく必要があるんじゃないかと思います。
だったら、劣悪であったとしても、ピンはねされていたとしても、食事も出て雨露しのげる方がいい。それで出ていかなかったと。 そのとき私は思ったんです。もう悪いところは徹底的に規制せんとあかんと。でも、規制するだけでもあかんと。やっぱりこういう人たちのためにちゃんとした自立できる受皿が必要なんやと思ったわけなんです。済みません、急に関西弁になりまして。
雨露をしのぐ場所がない人たちに帰れというわけにいかないと。 私は、少なくとも、無届けであるなら、そこで生活保護をかけるということはストップをして、ほかのアパートなり別のところを探してくるように、またはケースワーカーがあっせんをするなりする必要があるんじゃないかと思います。 無届けのところで生活保護をかけて暮らさせるということを、運用で何とか認めないようにはできないものなんでしょうか。
第三段階までは、実は、とにかく腹いっぱい食いたい、安全でいたい、雨露しのぐ家に住みたい、こういう要求というのはほとんど人類共通でありますから、これは別に、自由主義だとか資本主義じゃなくても、社会主義だって共産主義だってそこまでは持っていけるんです。だから、ある時期まで共産主義国もソ連も、第三段階までは何とかいったんです。
雨露をしのぐ場というところが長期化するというのは、やはりこれはおかしいのであって、法定受託事務として国が自治体にやっていただいている限りは、厚生労働省としても責任を持って、どういう運用が生活保護についてされているのかということは、しっかり見ていかなければいけないんだろうというふうに思います。
しかしながら、仕事もない、家も、仮設住宅は確かにあって、雨露はしのげるというものではありますけれども、日本には建築基準法というきちんとした法律があって、そういうものに住めないでいる、劣悪な環境にある、そして、生活できないので、この地域には住めないで離れていくという現状があるということは、先ほど言った憲法の調査において、きちんと達成できているかどうかといったときに、そうではないというふうに私は考えております
雨露をしのぐ家は持ったけれども、そのクオリティーをどうやって上げていくんだ、ここに我々の幸せもあるし、新しい産業も起こってくる。 さまざまなところ、例えば、今、中国のGDPがふえておりますけれども、PM二・五の問題が話題になっております。日本は、あれはもう既に克服したんですよ。そして、生態系も相当取り戻してきてございます。多摩川には、去年、アユが千百万匹遡上いたしました。
今回の竜巻被害のような場合に、屋根の応急修理などが雨露をしのぐために至急必要なんですね。すぐやらなきゃいけない。しかし罹災証明が出てからでないと応急修理ができない。こういう現状では私はやはり問題があると。
私は、今回、二次対策も早くするべきだと思いますが、ぜひこういう現場の、今、患者さんがいて、雨露の中で、日差しの中で外でいすを並べて、待合室ですよ、屋外で待合をしている、どこにそんな病院がありますか。被災してこんな悲惨な状況になっていて、今でもこんな立場で診療せざるを得ない。仮設住宅だけじゃないんです。病院だって同じような状況になっている。しかもこの南三陸町は、すべて病院がないんです。
雨露をしのぐという言葉がありますが、高齢になって、ともかく住宅が確保されているか否か、ここが非常に重要でありまして、樋口恵子さんなんかも、日本において、やはり年金、医療、介護は必要だが、住宅政策が非常に欠けているという御指摘もいただいております。
こういう中で、終戦直後の四百二十万戸の絶対的な住宅不足に対応して、言うなれば雨露しのぐ場所あるいは冬を越す場所、こういったものを造るために努力したわけでございますが、各々、昭和二十五年ぐらいになると、こういったものをもう恒久的な制度でやっていこうと、こういった機運が盛り上がりました。
ただ、高齢者なんかの場合は、三食つきで雨露しのげるだけでも、ある意味で彼らにとってメリットがあるというようなこともあると思いますので、それはそれで、出所した後の、どういうふうな処遇をするかということまで含めた考えをしていかないと、出戻りというのは、再犯というのは防げないと思います。ですから、そういったことをやはり総合的に考えていかなきゃならないということをまず申し上げたいと思います。
当面は組合員の部屋などで居候してもらいながら、雨露をしのぎ、若干時間はかかりましたが、再度寮に入居させることができました。 女性のFさんも、十二月に解雇されましたが、何も知らされず退寮し、友達の部屋を転々としていました。しかし、組合員から労働組合を勧められ、組合に加入し、早速会社に要求し、寮に再入居することができました。本当に助かった、ありがたいと感謝しています。
だから、ほとんどの方はどうしていいかわからないという状況の中で、とりあえず今住んでいる寮にそのまま住もう、そして、事業者の方とまず話し合いをして、当座の雨露をしのぐ場所を確保しようというのが私たちが選択した道です。 国の制度としてそのような制度があるのは大いに歓迎したいと思います。
○国務大臣(舛添要一君) それは、基本的にまず再就職をして仕事をきっちり持つ必要がありますけれども、雨露をしのいできちんと生活するために住居というのは基本的に大切なものである。したがって、例えば雇用促進住宅、これも提供する。
少なくとも企業は、雨露をしのぐ寮、アパート、そういうところはきちっと保障するぐらいのことはやってしかるべきじゃないですか。総理、どう思いますか。
例えば、フランスでも、ホームレスをなくそうということで、やはり公共の社会資本として、では雨露をしのぐところをまず確保ということですから、二万円、三万円という家賃で、家は古くても、そこに入れるならということで次の生活設計ができる人もいますので、もう一回位置づけていただきたいと要望します。 もう一点だけ、年金記録問題で。
○本間参考人 豊かな住居、住生活のイメージでございますけれども、昔は、住居というのは、雨露しのげばいい、あるいは、起きて半畳寝て一畳あればよし、そう言われてきたわけですね。それから、親子三人川の字になって寝れば幸せだと。しかし、親子三人川の字になって寝ることが本当に住生活上の幸せと言えるのかどうなのか。恐らく、プライバシーなんかないわけですね。
しかし、現実を見れば、余りに心もとない事例がたくさん見受けられて、中越地震に際しても、被災住民から学校の体育館など広いスペースを確保できる施設開放をという切実な要望がありながら、老朽化等が甚だしいために、やむなく自己責任を求めた上で、雨露をしのぐ程度のものとして開放に踏み切る苦渋の選択を下した例もあるというふうに聞いております。