2018-12-11 第197回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号
この委員の中には事務局長を務められました宮路拓馬さんもおられまして、北海道に行かれたそうでありますけれども、ちょうど折からの大雪で、大変なスケジュールの中で、難行苦行しながら根釧地区あたりに行かれたそうであります。 この関東と北海道と九州の視察団の報告から挙がってきたものも、やはり、家族経営に対する支援がなくては今の日本の酪農は衰退していくばかりである、そういう報告でございました。
この委員の中には事務局長を務められました宮路拓馬さんもおられまして、北海道に行かれたそうでありますけれども、ちょうど折からの大雪で、大変なスケジュールの中で、難行苦行しながら根釧地区あたりに行かれたそうであります。 この関東と北海道と九州の視察団の報告から挙がってきたものも、やはり、家族経営に対する支援がなくては今の日本の酪農は衰退していくばかりである、そういう報告でございました。
地球温暖化防止とかCO2の削減というのは、難行苦行で辛抱しなくちゃいけないんだよというふうにとっているんじゃないかと思う。そうじゃなくて、グリーンビジネスのチャンスだというふうにとってもらわなくちゃいけないんじゃないかと思います。そういう姿勢がなさ過ぎるんですね。
見るも無残な難行苦行の社会だったかというと、違うと思うんですよ。ほのぼのとしたいい社会だった。それは、経済的にはこんな巨大な国じゃなかったですよ。非常にバランスのとれた国だったんじゃないかと思います。 この点については、もう一回質問の機会が与えられたら、もっと資料をきちんとつくってきてやりたいと思います。
政府の医療法改正案は、良質な医療を提供すると称し、医師不足にあえぐ医療機関に、無意味でエビデンスのない書類を山のように書かせる難行苦行を強いるもので、劣悪な医療へと拍車をかけるだけであります。
しかし、大体が高等裁判所の判事、それから間もなく最高裁判所に入って、そういう方でありまして、直接若いころに弁護士や検事として世間を駆け回って、汗を流していろんな人に会って事実関係を確かめたりする、そういう一種の難行苦行を経験していない方ですから、私、あの方をどうして担ぎ出したのか、しかも七十何歳、もう相当な御高齢ですから、そういうふうな大変な仕事はまず期待できないと。
しかし、その際、北方領土に行くための船に乗ったんですけれども、私にしてみたら難行苦行とでもいうんでしょうか、このごろ非常に物質文明になれっこになっていた日本人の私にとっては大変な苦痛でした。小さな船で揺れるわ船酔いはするわ、腰かけようと思ってもベッドに頭がぶつかってしまって腰かけもできないというようなことで大変苦痛な思いをいたしました。
ぜいたくは言いませんけれども、難行苦行にならないような船をぜひともひとつお願いをいたしたいというふうに思います。
だが、そうはいったって、一坪共有地主が拒否しているからこれだけ、ウチナーグチでナンジクンジと言うんだが、難行苦行しておられるわけでしょう、皆さん。それが民主主義のコストなんですよ、ある意味では。だから、そのことについては、契約者の皆さんに対しては謝礼金とかいろいろやったわけでしょう。
○山口証人 政治活動をしていますと、いろいろ民族派の方の街宣車が選挙事務所に押しかけてきたり、いろいろな難行苦行もございます。そうした中で、一つの脅迫状のようなものが自宅に舞い込んだわけでございますが、私は全くいたずらだというふうに認識をしておりまして、今でも事実関係はちょっと証明できないと思うわけですけれども、特別な事故もございません。
極めてさまざまなネックがございまして、日本最大の小売業にも御参加をいただけず、難行苦行でありましたが、四カ月にわたるデポジットの実験を二カ所で終えてみて、やはりやってよかったなと思っております。特に、八潮団地では八割近い回収ができまして、市民の関心も、この制度をもっともっと拡大して実施すべきだという力強い回答をいただいております。
非常に何となく漫画チックですけれども、本当に足の運びのお悪い方にとっては意外と難行苦行です。それから松葉づえの方もそうです。それから、局長が先ほどからいろいろおっしゃってくれますエスカレーターにしても、車いすの乗るエスカレーターというのはよほど幅がなきゃいかぬでしょう。そうすると、これは費用は高くつくし、かえって余計な費用になります。
そこで幾つかの質問をさせていただきたいのですが、午前中三省庁がわざわざ御説明いただいたにもかかわりませず、私はちょうど健康診断に当たっておりまして難行苦行に耐えておりまして、説明を聞けなかったことを大変おわびいたしたいと思います。さぞや高邁な理念に基づいた高齢化社会への展望を御発表になったことと思います。 そこで、通産省にお伺いさせていただきます。
浪江町というのは全体で四十五億くらいの予算規模ですから、そこから一年間に四億も五億も返すということになったら、これはとても何の事業もできない、こういうことになりまして、償還期間を二十五年に延長して、一年に返すお金を少なくして、県が補助金を出していろいろやって、やっと今、二十五年間これからこの負債を返していく、大体一年間三億近い金を返すという難行苦行が続くわけですよ、この町は。
ですから、従来の政治感覚、政治意識、政策決定のプロセス、あるいは決める場合の決定するプロセス、政策をつくる場合のプロセス、あるいは国内調整を求めていく、合意をつくるプロセス、こんなものを根っから変えない限り、この話は本当に大変な難行苦行を強いられるのではないか、こう思うのですね。
冷えを防ぐためにじゅうたんを敷けば、そこにダニやシラミが多発するということで、その点からも基地を撤去する以外に根本解決はないということですけれども、そういう中で難行苦行の学校の姿になっているわけですね。
大手町まで五十一分ところか銀座まで一時間半、帰りは二時間、こういう難行苦行の中にいるわけで、大変な被害者、こういう状況に置かれているわけでありますが、こういう方々に対して住宅・都市整備公団としての責任はお感じになりませんか。
私は、大臣になりましていろいろ難行苦行しておりますけれども、そのときによくどういうものが名大臣と言われてきたか、名大臣とされるかということをいろいろな人から聞きます。
そういう人と違って、宇野長官が一人でいま奔走しておられる姿は本当に頭が下がりますが、たとえば一電力会社が、いま申し上げたような問題について、いま難行苦行しております。政府として何らかの手を差し伸べて、また国会でも与野党一致してこういう解決について手をかしてあげると。
○神田委員 これで質問を終わりますが、どうぞ大臣、これから訪ソされます中で大変な難行苦行でございます。私ども誠実な大臣のいろいろな御答弁を大変ありがたく思っておりますけれども、日本国民の悲願でございますこの領土問題、そして魚の問題、とにかく全力投球で、体に十分気をつけて交渉に当たっていただきたいと思います。 ありがとうございました。
○石原国務大臣 相変わらず関係省庁との間に非常に基本的な意見の違いがございまして難行苦行しておるわけでございますけれども、しかしこれは具体的に接点が非常にとらえにくい種類の意見の相違もございますので、やはり高度な政治判断ということが必要だと思います。
そこで、その当時は原子力の先進国と言われるところの、たとえば最初の平和利用に初めてつくったイギリスのコールダーホール、ヒントン卿が難行苦行してつくったコールダーホールその原子力発電所を、その二十九年以後からたびたび科学技術庁の人や産業会議の方や、与野党を問わず衆議院も参議院の方も見に行って、そのモデルを東海村へ持ってきたことは御存じのとおりであります。