1952-02-06 第13回国会 衆議院 運輸委員会 第4号
津軽海峡におけるところの濃霧と風雪の関係からして、あの太平洋岸、わけて大三沢の海岸、八戸から尻屋崎に至る海岸は、非常に難航路でありまして、あそこで一万トン級の船が二、三年間の間に二、三隻擱坐しておるのであります。そういうところに対して燈台の施設がない。
津軽海峡におけるところの濃霧と風雪の関係からして、あの太平洋岸、わけて大三沢の海岸、八戸から尻屋崎に至る海岸は、非常に難航路でありまして、あそこで一万トン級の船が二、三年間の間に二、三隻擱坐しておるのであります。そういうところに対して燈台の施設がない。
このくらい船長が無線を利用することを知つたればこそ、千何航海十八ノットでもつて、神戸、長崎、上海というような、最も難航路を無事故でやれたのでありますこのことをよくわきまえておられたならば、一種船を二種船に下げるだの、二種乙に下げるだのというような、小さいそろばんではなく、いつそ通信士を三百人も乘せて、船を安全にした方がよい。私はそれだけの自信を持つておる。それで十分に日本の海運経済が成立つ。