2014-10-29 第187回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
平城宮は、千三百年前、七一〇年から七八四年、長岡京に遷都するまでの七十四年間、難波宮などに遷都された一時期を除いて、我が国の政治、文化の中心として栄えた都であります。平城宮跡の特徴は、造営当時の建造物は現地では何一つ現存しておらず、当時の痕跡は地下において遺構や遺物として残り、今日に至っているというところにあります。
平城宮は、千三百年前、七一〇年から七八四年、長岡京に遷都するまでの七十四年間、難波宮などに遷都された一時期を除いて、我が国の政治、文化の中心として栄えた都であります。平城宮跡の特徴は、造営当時の建造物は現地では何一つ現存しておらず、当時の痕跡は地下において遺構や遺物として残り、今日に至っているというところにあります。
ですから、それが出てきたら、難波宮のところはそういうふうになっているんですよ、大阪の人だったら知っていますけれども。 ですから、そんなに断定したらいけませんよ。発掘調査か記録調査か埋め戻しか、それから路線を変えるとか、これはいろいろな方法があるということでございます。
だからね、難波宮跡ですよと看板立ててあるけれども、そんなものだれも関心持ちませんわな。それは大変な大極殿に匹敵する難波宮ですよ、これ。本当に歴史的価値からいえば。
先生からお話がございました史跡難波宮跡は、これは先生御承知のように、七世紀から八世紀末まで我が国のまさに政治権力を知る上で大変重要な遺跡であるというふうに考えている次第でございます。
それで、大阪に難波宮というのがあるんです。これは非常に大変な史跡です。それで今公園みたいな格好になっているんですよ。日本の文化というのは悲しいかな、木の文化ですから、諸外国の文化と違って、石の文化と違いますから発掘をしたって何にも出てこないんですよ。いわゆる遺物といえば穴ですわ。柱穴とそれからかわら、かわらけとかね、そんなものしか出てこない。それで私は、難波宮はああいう状況になっている。
○渡海国務大臣 この遺跡は、奈良時代、天平十二年、聖武天皇が天平十六年に難波宮に移るまでの五年間、これは平城宮にかわる首都としての旧跡であり、我が国古代の政治権力及び宗教を知る上で大変重要な遺跡と、史跡に指定をされているというふうに承知をいたしております。国でも、従来から、京都府や木津川市が実施している発掘事業や土地公有化事業について国庫補助事業を行い、支援をいたしております。
つい先ごろも、大阪難波宮、難波宮跡とも言いますけれども、七世紀中ごろの万葉仮名が書かれた木簡が発見されてちょっと話題になりました。木簡というのは古代の文字史料として非常に貴重だ、また歴史的な史料だというふうに思うんですが、今、平城宮跡のすぐそばに地下にトンネルを掘って高速道路を建設するという計画があります。平城宮跡は、申し上げるまでもなく、国指定の特別史跡であります。
これは、大阪市の難波宮遺跡から大阪城公園に至る連続一体化の構想の一環といたしまして、旧NHK会館の西隣に大阪市と一緒に建設をされたものであります。これは、大阪市の歴史博物館とNHKの新放送会館が合体して建っているわけですね。そして、そのつなぎといいますか、その間を球形の、ちょっと変わった設計ですね、球形の空間でつないでおりまして、非常にその球形の空間がにぎわっているわけですね。
仁徳天皇は難波宮におられたわけでありますけれども、宮殿が古くなりまして、これの建てかえの話が起きたときに、高台に上って満天下を見はるかすと、民の家からかまどの炊事の煙が全然上がってこない。それだけ民というのはもう食事にも事欠くありさまなのかと。
当時、人や物の流れというのは大陸から九州そして瀬戸内海を通って、難波宮あたりのところから大和川、石川を上って河内飛鳥へ、そこから陸路、山を越えて大和へという、そういう点では交通の要衝にも当たっておったし、当時の強大な権力を持っておった蘇我一族の根拠地があり、蘇我といえば御存じのように天皇と姻戚関係のあった人でもありますし、それからそういうところだから大陸からの渡来人とか、近ごろは移民という言葉も使ったりもするようでありますが
大阪市の中央体育館の敷地、ここに大阪市とNHKが共同で開発をして、大阪市は体育館、NHKは放送会館をつくろうではないか、こういうことで移転要請がございましたけれども、あの敷地には御存じのように難波宮の文化財が埋蔵されているということで、この文化財の発掘調査をこれまで三年間かけて行ってまいりました。
したがいまして、予定地は先ほども御説明がございましたように難波宮跡、こういうことになっております。したがいまして、まさに二十一世紀の文化とその拠点、そして千二百年ぐらい前の文化がまさに融合する、そういうことも可能性としてあるわけでありますから、その遺跡保存と市民への公開、こういうことを含めた開かれた放送会館にぜひしていただきたい。
ところがその移転先が、かの有名な難波宮跡ということで、ごく最近の新聞でもごらんになったと思いますけれども、五世紀の建物群が十二棟も出てきて、学者によれば仁徳天皇の高津宮の跡ではないかというようなことになってまいりました。こうなりますと、考古作業がどんどん進展するに従って、相当重要なものが出てくる可能性もある。
○参考人(井上豊君) 先生お話しのとおり、この用地は、大阪市の大阪城公園と難波宮遺跡公園の連続一体化構想というものに私ども協力をするということで、現在のこのBKの会館から移転するということで進めているわけでございますけれども、私どもが放送会館を移転し、大阪市はそこへ体育館を建てかえになられる、こういうことで進んできているわけでございます。
○中村鋭一君 大阪は、我々大阪人から言わせると、大阪こそが日本列島の中心であるという自負を持っておりましてね、そういうこともありますし、今難波宮跡という非常に歴史的にも意義のある場所でございますので、苦しいお台所ではございましょうけれども、ひとつ立派な会館をつくっていただきますよう、府民の期待も非常に大きゅうございますので、よろしく早期実現に向けて御努力をお願い申し上げておきます。
大阪の放送会館につきましても整備を行うことにしておりまして、先般大阪市の当局から、現在のNHKの放送会館を含む難波宮跡と、それから大阪城公園を一体化しまして全体を史跡公園として総合整備するためにNHKに建物の移転を要請していると聞いております。
たとえば難波宮の跡あるいは伊場遺跡というようなところで訴訟問題さえ起こっておるのでありますが、こういうふうな遺跡の活用とか、あるいは現状変更とかあるいは解除というような問題につきましては、やはり文化財保護といえ立場で行われなければならない。
山口市の古代鋳銭所あとの遺跡、浜松の伊場、武蔵国分寺の史跡、風土記の丘、山陽新幹線福山市の福山城、三原城の保存の問題、難波宮、歴史的飛鳥保存、死にかけている装飾古墳の問題、また近ごろの高松塚古墳の問題など、いろいろな問題が出ている。
そこで、一つの具体例といたしまして、わが国でも最も古いといわれる難波宮跡でございますが、過去にもずっと発掘調査というものが行なわれておるわけでございますが、ここの保護については、具体的にどういう措置をとられておりますか。
○安達政府委員 文化庁といたしましては、先ほど来申し上げておりますこの難波宮跡の重要性にかんがみまして、追加指定については、積極的な方針で府、市、あるいは日赤と協議をいたしていきたい、こういうことでございます。
○安達政府委員 難波宮跡でございますが、御案内のとおり、大阪市の東区法円坂町にございますが、これは山根徳太郎先生の調査等によりまして、天武、持統天皇の宮殿の経営が行なわれた場所であることが明らかになっておるわけでございます。
あるいは難波宮址の問題、これがその次の問題でして、そしてやがて藤原宮址の問題へいかなければならぬというのが、大体この文教委員会で検討した問題ですよ。したがって平城京の問題、難波宮社の問題、今度は藤原宮、飛鳥宮、飛鳥の里というふうに、私どもは政府に話をしてきたものですが、これだけは力を入れるけれども、あとのことはまた文化財でかってにやれというふうな態度だったらば、これは私はおかしいと思うのですがね。
っても何メートル下に何があるかというのは実はわからないので、偶然にもそういうようなあやまちがまた功名をもたらしたという事実もございまして、開発と保護というふうなものは非常に矛盾しているようで、またそれも一カ年半以上かかりまして解決したんですが、藤原の問題は、もうすでにあすこはどこまでが藤原の遺跡であったかという発見がおそくなったということもあるのでございますが、だから開発のほうが先になって、いまの難波宮
また、近畿公安調査局、これが昭和二十六年の建築の木造でございますが、相当いたんでおります上に、史跡になっております難波宮の区域内にございますために、何とか手当てをしなきゃならぬ状況にございます。
それ以外にも実は都のあったところがございますけれども、すでに難波宮のように大阪のまん中だったり、それ以外の理由で、現在の段階で歴史的な遺跡を中心にして自然的な一体をなす地域の保存をはかるという法律の趣旨から見て、指定してもたいして意味がないというところもございます。現在のところこの市町村に限っておりまして、私どもただいまのところ新たに指定をしようと思うところは考えてないわけでございます。
しかし、実際は予算はそれほどまだ多く組まれてないから、いつも予算とにらみ合わせて仕事が消極的にならざるを得ないのじゃないかという事情はお察しいたしますが、平城宮であるとか、藤原宮であるとか、あるいは難波宮であるとか、こういう直接日本の皇室等に関連あるところについては、これもなかなか多くの民間の運動等が陰にあったのですけれども、比較的政府としては積極的に取り組んでいただいておると思うのですが、鎌倉は直接皇室
○福原説明員 難波宮跡につきましては、ごらんいただきましたように、平城、藤原宮跡と違いまして、現在旧跡の上にいろいろな施設が立ち並んでいる。これを大きく分けまして、国の機関が、もと練兵場であった関係もありまして相当建ち並んでおるわけでございます。
これにつきましては大臣の御答弁で一応了承いたしまして、もう一つ難波宮でありますけれども、これは大阪府、市も非常に力を入れて、万博とも結びつけてその保存に力を入れておられるということはたいへん心強く思いました。
○剱木国務大臣 難波宮趾の問題につきましては、いろいろの建物がございまして内容は複雑でございますので、局長から説明いたさせます。