その当時におきましては、農業全体一般と他産業との生産性の格差が大変広がってまいりまして、離農現象が起こったわけでございまして、そういったことを受けまして、たばこの耕作につきましても生産者の数も耕作の面積も大変減ってまいったわけでございまして、そういった中で何とかして国内の生産の規模を一定の限度で維持をしてまいりたいということから、昭和四十八年から五十三年まで六カ年の対策を立てまして、第一次生産対策という
永井幸一
そういった中で離農現象が起こりまして、葉たばこ生産も減退するという事情にあったわけでございます。
永井幸一
あわせて、自創法による災害の自創資金ですね、これは維持資金ということで、こういう資金を出してやらなければ農地の窮迫販売とかあるいは離農現象が激化するということで、それを防止するために維持資金を政令で最高限度をきめることができるということになっておるわけでして、私の記憶ではいままでの災害の中で最高が八十万であったと思うのですよ。
芳賀貢
ですから、従来は激甚法が発動された場合には、天災資金と合わせて、相当積極的に自作農維持資金等も配慮されたわけですが、この災害による離農現象に対して、この際どんどんやめたらいいのじゃないかということで農林省はいくのか、この災害対策を十分に講じて、そうして来年の再生産ができるように、所有農地の維持あるいは農業の経営維持をやらすということで、一体取り組むのか、こういう点も農民は非常に不安に思っているわけですから
芳賀貢
申すまでもなく北海道は非常に離農現象の激しいところで、屯田兵時代においても、同一の条件のもとで暮した者で、二十年後にはほとんど三分の二離農をいたしておるというような統計が上っておるのであります。むしろ戦後の緊急開拓で農民として不適格者と思われるような人々がずいぶんがまんをしておられる。
林唯義