1949-05-20 第5回国会 衆議院 内閣委員会 第26号
しかし失業対策の最終的な解決の形は、國民経済の新しい活動と、その新しく開かれた雇用面の中に最終的な形でもつて吸收して行くという形でなければ仕上げにはならない。これもごく平凡のことでありますが、その通りだと思います。
しかし失業対策の最終的な解決の形は、國民経済の新しい活動と、その新しく開かれた雇用面の中に最終的な形でもつて吸收して行くという形でなければ仕上げにはならない。これもごく平凡のことでありますが、その通りだと思います。
○鈴木國務大臣 しばしば申し上げたのでありますが、ただいま木村さんから御指摘の、輸出産業を中心とする、ことに雇用面への吸收という問題も、失業対策の究極の收束方法の有力な一つの面としてむろん考えておるのでございます。数字等につきまして、安本、商工省当局と打合せたものはすでに一應申し上げた通りでございます。
失業対策の根本は何といつてもこの國民経済の中に最終的に失業者の新らしい雇用面を見付けて、そうして吸收して行かなければ、最終的には完成しないことは分り切つておるのでございますが、といつて今の情勢の下において、早急に半年やそこらで以て簡單に新らしく出て來る失業者の方々を吸收してしまうということは事実上困難であり、而もこれは安本或いは商工省方面と、実際の各生産部面についての計画、資金の関係等と突き合せて、
率直に申し上げまして、百四十万人もただちに最終雇用面に向けるということは、日本の國民経済の関係から、でき得ないということだけは、赤松さんにも認めていただけると思います。
必ずしも十七万人の人に対して、全部その事業へ轉換できるかということは、きわめて困難でありますけれども、考えの根本といたしましては、最終的には國民経済の新しい雇用面に吸收されて終るのでなければ、失業問題は解決しないのであります。
それから本年度はわが國の戰後経済の大きな轉換期に際会いたしておりまして、戰後長い間続けて参りましたいわゆる竹馬経済と申しますか、温室経済、そういう点から雇用面におきましては生産と雇用の不均衡、それから労働生産性の低位、いわゆる水増し雇用の状態を、インフレーションの收束、為替一本レートの設定によつて、正当の経済に引きもどしますとともに、これを契機といたしまして、いよいよわが國経済の安定と目立への発足の
御承知のように、学生、生徒の内職の雇用面に現われております問題といたしましては、從前におきましては、家庭教師といつたような仕事が非常に多かつたのでありますが、最近におきます学生、生徒の経済上の理由からいたしまして、各方面に仕事を求めて行こうという傾向に相なつておりますので、学生、生徒の職業紹介につきましては、今日まで文部当局または地方におきます各教育行政官廳とも十分緊密な連絡をとりながら、学校におきましてもいろいろごあつせん
又廣い意味で以て最終的の失業対策の施策は新らしい雇用面に吸收しなければならないと、この面を調査立案するに当りまして、労働省もありますけれども、政府自体の考え方の纒め方として、失業対策審議会というものは考えられるものと思つております。労働省といたしましては、失業対策審議会の活動によつて労働省自体の活動を援助し、又連繋してやつて行くように、そういうように考えておるのであります。
その大体の考え方は、飽くまでも國民経済を新らしく拡大強化されたところの雇用面の引上げられた面に、最終的に失業者諸君が吸收し終えるのでなければ、失業問題は徹底的に片付かないというのは、これは当然のことであります。
それから行政整理で六十万人程首が飛ぶ、そうすると、それをどの方面へ吸收するかという問に対して、こういう頭脳労働者は何やらに随伴する調査面へ廻すというお答えがあつたのですが、私よく分りませんでしたから、どういうものに随伴して生じて來る調査面へ吸收する見通しだというのであつたか、及びそういうふうな調査活動が段々できて行くのに並んで、新らしい雇用面も開けて行くだろうという話でしたが、その新雇用面はどういう
それから結局失業対策は窮極するところ、今申しましたように失業保險とか、或いは緊急的な過渡的な段階的な失業対策以外に、最終的な基本産業の拡充の面からする國民経済の最終的雇用面の拡充、及び吸收がここまで至らなければ本当の完成とは言い得ないのではないかという御指摘でありますが、全くその通りでありまして、この点につきましては本國会の初め衆議院の本会議における淺沼議員だつたと思いますがの御質問に対しましても、
そうして直ちにそれを最終雇用面に持つていく。そうすると今申しましたように、中間的な失業対策というものが必要になつて來ますが、御指摘の通りに行政整理の面から出る筋肉労働には向かないところの知識階級というものの失業対策は、同じ緊急失業対策であつても、亦そこに一般的なものとは相当違つたものが考えられなければならないということも考えております。
究極は新らしい國民経済の拡充によつて雇用面が開けて、そこで最終的に吸收するのでなければ失業問題は解決されないとこう考えておりますが、極く大雜把に手許にある数字だけで申上げますと、そういう考えの下に國民経済の配置転換でなければならないという考え方に私達も立つておるのであります。
結局雇用面のしわ寄せを、農村の窮乏とか、小賣商にしわ寄せして行く、そういう形の上に立つた資本的な再建方式というものには、どうも昭和の初めごろの金融資本のにおいがしてしかたがないのであります。 その次の問題といたしまして、本予算の実施を中心とする財政金融の情勢にマッチするような生産計画はないという点であります。その結果、予算そのものにどうも納得できないものが多多見受けられます。
それにいたしましても、厖大な失業者に対しまして、今確実に予想されるところの雇用面は、この貿易面の二十万と、それから國内民需の自由業、サービス業その他をひつくるめた二十万、合せて大体四十万人くらいと出考えております。