2006-02-22 第164回国会 参議院 経済・産業・雇用に関する調査会 第3号
戦後の日本の社会経済システムというのを一言で表現すれば、これは集権的管理のメカニズムであったというふうに思いますね。非常に強い中央集権的な力をもって、いわゆる生産資源、これは、まあ今流に言えば人、物、金ということになるわけですが、そういうものを徹底的に管理し、そして中央で一元的に、中央発で一元的に配分していくと、そういう中で交付税なぞも大きな役割を果たしたわけでありますけれども。
戦後の日本の社会経済システムというのを一言で表現すれば、これは集権的管理のメカニズムであったというふうに思いますね。非常に強い中央集権的な力をもって、いわゆる生産資源、これは、まあ今流に言えば人、物、金ということになるわけですが、そういうものを徹底的に管理し、そして中央で一元的に、中央発で一元的に配分していくと、そういう中で交付税なぞも大きな役割を果たしたわけでありますけれども。
また、金融コングロマリットは複数の業態から構成をされているために、グループ全体の集権的管理が困難になるという経営管理上の問題も生じさせるおそれがあります。この問題は、ディスパージョン・オブ・マネジメントコントロールの問題と呼ばれておりますけれども、傘下の組織における過度のリスクテークや不公正な内部取引を発生させる懸念があると指摘されているところであります。
文部省による中央集権的管理強化教育を、地域社会、保護者、学校の三位一体による自主性尊重の学校運営に転換すること。このことが教育改革の出発点になければなりません。総理の御見解をお伺いいたします。 私は、一九六四年、ちょうど東京オリンピックが開催された年に生まれました。
○高梨公述人 私、先ほど細かい点を落としたのですけれども、要するに、国鉄の今までやってきました中央集権的管理が行き詰まったことは確かでありまして、私は、それは分割よりも分権管理でということを提案したペーパーがございます。
企業分割というのは経営管理の適正規模の問題で出されているわけですけれども、この適正な規模ということを地域別に分割することは私は不適切だと考えるのですが、現状で見る限り、国鉄は一社体制で大変な中央集権的管理であります。そのためにしばしば官僚制的な管理に基づく弊害がさまざまなされてきております。
それならば中央集権的管理主義を根本から洗い直し、教育現場に自由の風を吹き込み、教育の活性化を図るということになります。それならば、これもまたよしと言うべきでありましょう。 しかし、教育制度の自由化だというのであれば、一部の委員が主張するように、民間活力の利用を含め競争原理を一層導入し、かつ、父母や子供の学校や教師の選択権を認めるということになります。
第五は、筑波大学では、中央集権的管理方式をとられるのか、とられないのか。とられないとするなら、その保障はどこにあるのか。これも明確にしてもらいたい。 第六、一握りの参与会をつくることによって、大学の社会的責任がほんとうに果たせるのかどうか、その根拠を明確にしてもらいたい。 第七番目、学生の正当な自治活動を保障されるのかどうか、これも答弁漏れでございますから、明確にしてもらいたい。
第五に、中央集権的管理方式をとるかとらぬかということがございましたが、先ほど来申し上げておりますように、人事委員会等、主として企画、連絡調整、どなたかの委員が御発言になったようなことで運営されることが中心になるのじゃなかろうかと、こう思っております。 第六の参与会は、私は重要な役割りを果たしてくれるものと、かように考えております。
すなわち、わが国の科学者の総意を集めた日本学術会議では、去る四月二十六日の総会で声明を発表し、「研究・教育の専門家集団が自ら決定権をもちえない中央集権的管理の下では、自由にして自主的な研究・教育の場にふさわしい大学自治の制度上の保障がほとんど欠落している」として、筑波大学法案を激しく批判しております。
いわゆる学長スタッフの全体の集権的管理のかなめになっているわけです。しかも一学長、評議会の定める基準に従って学長を選ぶんですよ。基準に従って。基準に従ってとは書いてあっても、評議会の議に基づくとか、はかってということはないのですよ。ばく然たる基準に従ってということですからね。別に、前に言うとおり評議会にはかるとか、あるいはもっと言えば議に基づくとかいうような、そんなことは書いちゃないのです。
そこで、第二次大戦中からこの是正を考えまして、一九四四年に、いわゆるバトラ・エデユケーシヨン・アクト——教育法をつくつたのでございますが、それも、ある程度中央集権的管理権を文部大臣が持つという立場に立つて、その足らざるところ、あるいは水準の維持ができないところに対して、その水準を維持向上させる役目を持たすために、文部大臣の権限を強めたのであります。