1948-06-07 第2回国会 参議院 決算委員会 第20号
次は、昭和二十年度末に集團歸農者就農施設に對する補助金といたしまして農地開發營團に四百三十四萬一千二百圓、日本開拓協會に十萬圓を交付いたしたのでありますが、右の補助金は事業施行の實情に副わない交付であるとの批難でありますが、本補助金は疎開者就農應急施設費としまして戰時中要求された經費でありまして、終戰後九月中旬に閣議の決定を見ましたものを、終戰後の情勢の變化に應じまして集團歸農者就農施設として使用したものでありますが
次は、昭和二十年度末に集團歸農者就農施設に對する補助金といたしまして農地開發營團に四百三十四萬一千二百圓、日本開拓協會に十萬圓を交付いたしたのでありますが、右の補助金は事業施行の實情に副わない交付であるとの批難でありますが、本補助金は疎開者就農應急施設費としまして戰時中要求された經費でありまして、終戰後九月中旬に閣議の決定を見ましたものを、終戰後の情勢の變化に應じまして集團歸農者就農施設として使用したものでありますが
そうしてただいまお話のございましたこの未確定の金額もその關係の補助金でございまして、内容を少しく申し上げますれば、ただいま申し上げました通り開拓の増産隊の施設の補助であるとか、開拓農場あるいは模範開拓村の補助であるとか、集團歸農者の就農の補助であるとか、食糧増産隊の設置補助といつたような、主として開拓の關係の補助金であるのであります。
これが實現いたしますれば、小鶉、木間内等隣接部落の産業施設の圓滑な活躍はもとより、東京都よりの集團歸農者の入植を初め、復員者、外地引揚者の入植を利使ないしむるものもまた多々あるのでございます。 以上大體要約して申し上げましたが、何とぞ部落民の熱望を容れられまして、請願の通り實現相なりますようにお願いするものであります。