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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2003-06-04 第156回国会 参議院 憲法調査会公聴会 第1号

攻撃は三月二十日、大統領官邸周辺への集中爆撃で始まります。アメリカが一国の元首を抹殺しようとしたケースはこれまでもありますが、これほどあからさまな殺人行動は今回初めてです。また、アメリカイラク国民の解放と言っていますが、いまだに略奪、暴行は日常茶飯事で、治安は混乱の極です。  アフガニスタン戦争は、そしてイラク戦争は石油と天然ガスのためだったのでしょうか。

尾形憲

1992-03-10 第123回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

今お尋ねの沖縄戦における最後のとりででありました三二軍ですか、旧軍の陣営があの地下にあったがために集中爆撃を食らったということで、そこには大変大きな犠牲があって、おっしゃるとおり、我々としては襟を正さなければならぬ聖地であると存じておりますが、ただいまの御質問にお答えするのには、今まだそこまでの構想は入っておりません刀しかし、これは沖縄県民のコンセンサスを仰いで静かに考え直さなきゃならない問題だと

伊江朝雄

1978-03-02 第84回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第4号

特に、ベトナム戦争の末期のハノイ地域での集中爆撃が、集団殺害罪を構成する、こういうふうに批判されたことは周知のことだろうと思うわけであります。憲法第九条の規定はもとより、一九五一年より効力を発生しておりますところのいわゆる集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約から見てもそのことははっきりしておるのではないか、こういうように思うわけであります。  

上田卓三

1974-03-05 第72回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

沖繩は、ほんとうにあの戦争中、鉄の爆風の中で、中部、とりわけ南部、ひどいところになると坪当たり実に十二、三発も集中爆撃を受けたことは、これは現実に沖繩の戦史が物語っておりますが、いまだに三月二日に起こりましたあの爆雷による爆発、これを見る場合に、戦争の傷あとがいかに深く、そして日本国民である沖繩に住む県民は、安心して生活ができない。

瀬長亀次郎

1972-04-19 第68回国会 参議院 予算委員会 第15号

小笠原貞子君 いまの討論を聞いていますと、口で平和であってほしいと、希望するということばだけであってね、私が先ほど言った、こういう非戦闘員までに集中爆撃をして殺していくという、この事実に対しても、人道的立場に立っても、それについて何ら意見を言うことができないと、そういうことなんですね。

小笠原貞子

1959-11-21 第33回国会 衆議院 外務委員会 第13号

これに向かってアメリカ空軍集中爆撃しておりました。そのためにまた現地人の傷害も相当出たとわれわれは見ております。またこの木造船を作りましたために、かなり無計画に山林の伐採をやったということは、われわれは自動車なんかでよくそれを見ました。そういうような意味で、私は私の見聞しました当時の日本占領下におけるインドシナ人の大体の被害状況というものを申し上げます。  

福永英二

1952-02-23 第13回国会 衆議院 予算委員会 第22号

そうして上陸いたしました日本軍集中爆撃を浴びせたのでございます。そのためにフイリピンの多くの民衆は、その巻添食らつて多数の被害者を出したことは総理十分御存じであると思うのでございます。また南鮮におきましても、これまた安全を保障するといつて、国連軍が出てくれましたけれども、今日南鮮におきまする朝鮮人の悲惨なる状態も、総理十分御存じであると思うのでございます。

赤松勇

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