2012-08-24 第180回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
ここをもって、あるいは君父に従わず、また隣里にたがう。しかれども、上和らぎ下むつびて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理おのずから通ず。何事かならざらん。 第十条でありますけれども、十にいわく、怒りを絶ち怒りを捨て、人のたがうを怒らざれ。人皆心あり、心おのおのとるところあり、彼是とすればすなわち我は非とす。我是とすればすなわち彼は非とす。我必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。
ここをもって、あるいは君父に従わず、また隣里にたがう。しかれども、上和らぎ下むつびて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理おのずから通ず。何事かならざらん。 第十条でありますけれども、十にいわく、怒りを絶ち怒りを捨て、人のたがうを怒らざれ。人皆心あり、心おのおのとるところあり、彼是とすればすなわち我は非とす。我是とすればすなわち彼は非とす。我必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。
これをもって、あるいは君父に従わず、また隣里にたがう。」したがって、君父に従うための和なんですよ。その当時、すでに「人皆党あり」だ。人は徒党を組むというんだ。徒党を組むからけしからぬから、和の論理でもってまとめようというのが聖徳太子十七条憲法の一条なんですね。あなたの言う和は、この和とは違うんですか。どういう和なんですか。