本日の随行席には、エンジニアだった御主人を四十歳で裁量労働制の勤務で過労死された渡辺さん、報道記者だった三十一歳の娘さんを裁量労働制的勤務で過労死された佐戸さん、同じく四十三歳だった御主人が過労自死された小林さん、また、高度プロフェッショナル制度を先取りした働き方でもある学校の教員だった御主人が過労死された中野さん、最後に、飲食店店長だった二十四歳の息子さんが長時間過重労働とひどいパワハラを受けて過労自死
随行席の全国家族の会東京代表の中原のり子さんは、一九九九年に小児科医だった御主人を四十四歳で過労死で亡くされました。 勤務状況は、月に五回から八回の当直と救急患者、入院患者の対応をし、眠る間もなくそのまま日勤をこなし、三十二時間連続勤務という疲労こんぱい、過重労働の末に過労死されました。
随行席には、SEだった二十七歳の息子さんを過労死で亡くされた西垣さんがいらっしゃいます。報道記者だった三十一歳の娘さんを過労死で亡くされた佐戸さんもおられます。エンジニアだった御主人を過労死で亡くされ、幼い子をお二人抱えて大変御苦労された渡辺さんもいらっしゃいます。同じく、四十三歳だった御主人が過労死された小林さんも来ていただきました。そして、学校の教員だった御主人を過労死で亡くされた中野さん。
本日は、随行席には、全国過労死家族の会東京代表の中原のり子さんです。一九九九年に小児科医だった御主人を四十四歳で過労死で亡くされました。 勤務状況は、月に五回ないし八回の当直と救急患者、入院患者の対応をし、眠る間もなくそのまま日勤をこなし、三十二時間連続勤務という疲労こんぱいの過重労働の末の過労死でした。
随行席の渡辺しのぶさんについてもそういう見解でした。ですから、今労政審で審議されている、国会で、裁量労働制、高度プロフェッショナル制度、それにつきましても、本当に十分な説明、詳細な説明がなされているのかということが疑問に思います。 労政審の中でも、やはりその二点については、労働者代表の連合さんの方からその二点については反対だというような趣旨のことが、私も確認しました。
○寺西参考人 今御指摘の職業というか職場というか、本日、随行席にもドクターを亡くされた御遺族がいらっしゃいます。やはりドクター、そして看護師さん、そしてまた介護職場、全て、今思い浮かぶだけでも、家族の会に御遺族がいらっしゃいます。
内容は、私たちの会員で、随行席にお座りの西垣さんが作成したものを読ませていただきます。 私の息子は、大手電機メーカーIT関連子会社、千人規模にシステムエンジニアとして就職しました。