2006-06-07 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
それに加えて、国家論というのは膨大なものがあるわけですね、それこそ、一方では階級支配の国家論もあれば、多元的国家論もあれば。そして、今度の原案に即していいますと、教育目的のところで、愛国心云々のところで国家が問題になっているわけですね。そこでは統治機構ではないという了解が得られている。 自分の生まれた郷土そして国を愛する、これはだれも否定する必要のないことです、だれも否定しないと思います。
それに加えて、国家論というのは膨大なものがあるわけですね、それこそ、一方では階級支配の国家論もあれば、多元的国家論もあれば。そして、今度の原案に即していいますと、教育目的のところで、愛国心云々のところで国家が問題になっているわけですね。そこでは統治機構ではないという了解が得られている。 自分の生まれた郷土そして国を愛する、これはだれも否定する必要のないことです、だれも否定しないと思います。
過去を振り返ってみますと、明治維新のときも、そのときの支配階級、支配体制を壊して、下級武士たちを中心に新しい国家、国づくりをやった。それから、昭和の改革のときにも、そのときの支配階層に一応リタイアしてもらいまして、若い力で国をつくった。
だから、単に政府対民衆なんという図式じゃだめで、階級支配の構造としての国家というのを見なきゃいかぬと。これがマルクス主義の立場で、マルクス主義の人は比較的国家ということを言っていたようであります。
たとえば、「マルクス主義の国家観」とか、ここに私が持ってまいっております「国家と革命――マルクス主義の国家学説及び革命におけるプロレタリアートの任務」という、これは有名な論文がありますが、この論文によりますと、「資本主義国家は、一見公正なように見えても、その本質は階級支配の暴力機構であり、搾取機構である」と定義づけております。
それから無法地帯だということを提案者は非常に強調なさいますが、私は、あなた方の世界観では、国家というものは決して階級支配の道具ではないと信じていらっしゃると思うんです。道義的な存在だと思っていらっしゃると思うんですね。それならば国民もだれかが無法な状態を現出したからといって、こちらも対応的に無法的なことをしていいということにならぬのです。
また、共産主義については、共産主義というものについても歴史的にいろいろ動いておりますけれども、まずわれわれが共産主義を理解するときには、マルクス、レーニンの著書というものから考えてまいりますと、そこに階級の対立とかあるいは国家観というものにおきましても、御承知のように――これは私か申し上げるのはたいへん恐縮に存じますけれども、階級支配の権力機構だという規定のしかたをしておりますもので、それと日本国憲法
なるほど裁判所も大きな意味では国家機関だから、そういう意味ではマルクス・レーニンの例の考え方からすれば上部構造で、国家機関というものはすべて階級支配の道具である、こういうような説明をするわけですが、そういう意味からすれば、なるほど裁判所も階級支配の道具であるということからすれば体制かもしらぬ。しかしながら、いまの憲法のたてまえはそうじゃないですね。階級の問題は問題にしてないですね。
でありますから、ソ連では、勤労者の階級支配が行われなくなったのでは、ソ連国家が滅びたこととなるのであります。ソ連がこの階級支配国家体制擁護のために、あらゆる工夫をし、あらゆる努力をしているゆえんであります。ソ連では、基本的人権と申しましても、それはこの階級支配の精神的基礎を脅かさない限りにおいてのみ認められておるのであります。