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22件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-10-10 第200回国会 衆議院 予算委員会 第1号

改めまして、日本は、申し上げるまでもなく、四方を海に囲まれ、遣隋使、遣唐使、そうした時代、また、その昔から他国との貿易を通じて日本は豊かに、また彩られてきた、そういう国であります。まさに自由貿易が成長の礎となってきました。しかし、今、世界では保護主義的な動きが台頭しつつあるように思われます。  

小渕優子

2018-11-21 第197回国会 衆議院 外務委員会 第3号

おい、杉本、何か阿倍仲麻呂だったらしいぞという言葉があって、どんな意味かなというふうに思ったんですけれども、要は、やはり中国、大臣はそういう経験は何度もされているかと思うんですけれども、遣隋使があって、遣唐使があって、唐の時代遣唐使として行かれたのが阿倍仲麻呂であって、その阿倍仲麻呂から歴史をひもといて中国は話をしてきた、こんなようなお話であったやに聞いています。  

杉本和巳

2017-03-09 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第3号

ですから、もう十七条の憲法からそうですし、あるいは外交にしても遣隋使を送って対等外交を目指した、これもすごいことだと思いますし、あるいは仏教伝来で、仏教を排除せずに神道と融合をもって日本の中で位置付けさせた、これも大変なことです。これはみんな聖徳太子の偉業として学んできているんですよね。  

松沢成文

2008-05-15 第169回国会 参議院 国土交通委員会 第8号

これは長安を見てカルチャーショックを受けたと思うんですけれども、そういう遣隋使、遣唐使という人たちがその技術を学んで、そして日本でこういう平城宮を造ったということで、中国日本のいわゆる交流の原点はここにあるんじゃないかということを僕も申し上げたわけですけれども、そのように歴史、ここは、文化庁造っていただいた周辺は国営公園としてこの二十年度から造成をさせていただいております。

冬柴鐵三

2006-11-01 第165回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第5号

伊吹国務大臣 今先生のお話を伺っていまして、私が私の子供に昔話したことをちょっと御紹介しますと、かつて、中国という国は非常に日本文化の父のような国と言われて、あちらで知識を取り入れるということは、遣唐使、遣隋使と言われて、当時としては大変名誉なことであったようですが、隋の国へ行こうというときに、大きな国へ行くことに非常に、遠い国でもありますし、恐れおののいていた人を励まして、山上憶良が詠んだよく

伊吹文明

2005-07-20 第162回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号

これは文化交流使遣唐使、遣隋使にちなんでいるんだと思うんですけれども、非常に目玉的におっしゃるんですけれども、一体どれぐらいの方が向こうに出ていかれて、どれぐらいの方と交流されて、どれぐらいの方がこっちに来られたりしているんですか。人数ですよ。二十五という数字を役所の資料で見たんですけれども、二十五名の方が約四百万円ぐらいかけて海外に出ていって活動されたんですか。

大谷信盛

1999-08-03 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第5号

日本が遣隋使とか遣唐使をしたときには日本は文字も知らないような非常に非文明的な国家でしたけれども、明治維新の時点では日本だけがアジアではヨーロッパ並み識字率を誇り、中国をはるかに越していたという。  これは、我々日本人が平和な社会を築いたその結果として天皇制が続いた。天皇制が続いたから平和な国家だとは言いませんけれども、平和な国家を持続させたがゆえに天皇制が残った。

杉原誠四郎

1999-07-22 第145回国会 衆議院 本会議 第47号

国旗の日章旗日の丸は、七世紀の初めの遣隋使中国へ持参した国書には日出る処と記し、みずから日本という国号を使用して以来の由来があり、日本という国号を如実にあらわしております。  国歌君が代の歌詞は、我が国の最も伝統的な国語表現である五七調の和歌であり、しかも敬愛する君の長寿と繁栄を祈る賀歌として、十世紀初めの古今和歌集に由来します。

三沢淳

1999-07-16 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

しかし、七世紀の初めごろ、遣隋使中国へ持参した国書には、日出るところと記しており、また倭と称されることを嫌って、みずから日の本、すなわち日本と書く国号を用いるようになったとほかならぬ中国の正史に伝えられております。  その「日」は、先ほど来お話がありましたように、太陽でありましょう。地球上の万物に光明をもたらす太陽丸印であらわすことは世界に多く見られます。

所功

1995-03-10 第132回国会 参議院 文教委員会 第3号

私のおやじがたまたま歴史の学者でございまして、特に遣唐使、遣隋使については当時も非常に立派な業績を残し、戦前にも立派な著書をつくりました。そして、それをそのときに改訂いたしまして、新しく模様がえをして、当時は日華文化交流史と言いましたけれども、実は原稿が書き終わって、そして冨山房という本屋に、出版するというんで原稿をその出版社に送った。

木宮和彦

1993-11-12 第128回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第16号

そのスタイルを、修行僧が見てきたのか、遣唐使だか遣隋使が見てきたのか、そのことを取り入れたわけで、制度とかそういうものを模倣するというか取り入れるときに、その素地だとか土壌であるとかそういったものを正しく取り入れているかどうかということなんかを、もう一回考えてみなけれはいかぬのではないかというふうに思います。  また、アメリカ、ヨーロッパでは、人種も違い、民族も違い、文化も伝統も違う。

奥之山隆

1988-10-20 第113回国会 参議院 文教委員会 第3号

これはもう文化庁も御存じのとおりと思いますけれども、奈良、平安時代から大陸それから朝鮮半島、こういったところは、いわば九州北部が窓口であったわけでございまして、遣唐使あるいは遣隋使それあたりの出発も博多を中心としたところから出ておりますし、またその出るときの準備その他もあすこで全部果たしておるようですし、帰ってきてもあすこでやっぱり整理をし、そしてその部分が地元に文化、文明として落ちていく、こういう

安永英雄

1986-11-05 第107回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第2号

遣唐使、遣隋使のころに漢字というものが日本に参りまして、それを仮名に展開したりなんかしたのも我々の祖先の知恵というものでございましょう。  こんなふうに今日の日本文化というのを考えてみましても、これは過去における諸外国との、とりわけアジア近隣諸国との交流の結果物であったということをこの際認識しておきたい。

加藤秀俊

1985-06-18 第102回国会 衆議院 決算委員会 第11号

我が国が今日の繁栄をしておるその原因をたどってみますというと、今から千数百年前あたりは、主として中国などから、あるいは韓国などからもそうでございましたが、産業技術あるいは学問、そういったものを習って、そしてまた、その当時は日本から積極的に中国の方に遣唐使、遣隋使というような形で学問の勉強に行って、その人たちが帰ってきて我が国学問を広め、あるいは産業を興した、そういうその当時の外国から恩恵を受けたという

松永光

1979-04-10 第87回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

たとえば推古天皇の聖徳太子時代から遣隋使というものの派遣がございましたように、すでにその前の時代から、わが国におきましては、大陸の新しい文物を取り入れようという意欲が非常に旺盛であったということは、ささやかな歴史知識におきましても記憶いたしているわけでございますので、そうした背景の中で、やはり一つの改新のときの考え方としてそういうものが採用されたということであったように理解いたすわけでございます

清水汪

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