その辺のところが非常にあいまいであるし、あるいは、この図を見ましても、皆さんのお出しになったこの図を見ましても、これですね、これを見ましても、大体その隈機が二万八千フィートあたりのところを飛んできたのではないか、市川機がさらにその上にいたのではないかという推定も立たないではないのです。その疑問が解けない、いまもって。
○参考人(山県昌夫君) 先ほど上田先生の御質問にお答え申し上げたとおりでございまして、ただいま岩間先生からのお話、この原因の探求が非常におくれるということは、これは航空機の安全確保という面からも避けなきゃならぬ、こういう観点、それから今度の場合は、一方、全日空機はフライトレコーダーを持っておりますし、また市川機、隈機、ですから隈さん、市川さんは現在おられるわけでございます。
前回の全日空機との衝突事故、あれだって、隈機の左後方と発表しておいて、今度右に変わって、何でそうころころ変えなければいかぬのですか、あなたのほうは。何でこんなに不正確な発表をするのですか。
たとえば事故発生時における市川機と隈機とそれから全日空機との関係位置というふうなものについては、二人の供述は必ずしも一致してない。これは当初から一致しておりません。あるいはそういう何か誤認するような状態があったのかどうか、それらもあわせまして専門家の意見も聞きながらいま調査をしておるところでございます。
市川、隈機ということの技術的な問題ではなくて、基本的にその訓練計画に、いまお認めになったが、その訓練計画の基本にある防衛体制そのものに問題が所在するというふうに考えます。
このことは許しがたいことですが、私どもは、たとえば隈一尉あるいは市川機、隈機、こういう具体的に直接的に事故を引き起こした当事者のところにだけ問題がしわ寄せされるということがたいへん間違いであると思っております。問題の責任の所在は、つまり軍用機優先という訓練計画に基づいてこの飛行機は飛んでいたのであります。