2018-11-16 第197回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号
陸軍時代から続いているということについては、まあそうなのかなというふうに思ったところでございます。 理由といたしましては、練度のことについて強調されているわけでございますが、この点も含めてちょっと若干、それこそまた、一般職の方との比較で議論を進めていきたいと思いますけれども。
陸軍時代から続いているということについては、まあそうなのかなというふうに思ったところでございます。 理由といたしましては、練度のことについて強調されているわけでございますが、この点も含めてちょっと若干、それこそまた、一般職の方との比較で議論を進めていきたいと思いますけれども。
この文書を読んでいただきますと、真ん中の三段目のところでありますが、「三十三連隊は、陸軍時代にあっては、日露戦争、支那事変に参戦し数々の戦果をあげ精強部隊として名を轟かせましたが、大東亜戦争では、無念にもフィリピンのレイテ島において玉砕を遂げられました。」
というのは、これもやはり、陸上自衛隊にそういう最高司令部を設けなかったというのは、旧陸軍時代の陸軍の暴走があったから、その反省に立って陸上自衛隊の場合にはそういう最高司令部機能がなかったんだと理解するんですけれども、その点を含めて御答弁ください。
また、その近辺にはちょうどあそこに小倉山というのがございますが、その南側に当たる部分等に民公有地等もございましたが、旧陸軍時代には、買収になりました後も、旧陸軍の演習管理の経過に応じまして、桑とかソバとかそういったものの植栽につきまして地元の農民の方たちに認めていたという事実が終戦まで続いたわけでございます。
○平井(啓)政府委員 演習場としての開始を申せば、旧陸軍時代ということを、先ほど私ちょっと申し上げたのですが、これは申し上げる必要もなかったことでありまして、周辺整備法として考えるのは、米軍の演習場として使用しているという実態を考えるべきであったと思います。
○平井(啓)政府委員 演習場であった以前ということになりますと、まず旧陸軍時代が一つあると思います。しかし旧陸軍時代には、付近住民の演習場内への立入りというものは、相当緩和された状態であったわけでありますが、米軍が演習場として使用することになってから、立ち入りというものが制限されてきているという実態でございます。
したがいまして、いまいろいろ御指摘がありましたように、防衛庁長官あるいは防衛施設庁長官が、かつて入り会い慣習あるいは入り会い慣行を尊重するということを何度か申してまいりましたが、これは旧陸軍時代から長期にわたり、国の統制のもとではありますけれども、周辺住民が場内国有地で小芝、下草等の採取を認めてきていたと、これが一つの事実行為として、周辺住民の生業に必要であったので、行政上の問題としてこの長年にわたる
ただ、村道、道路台帳にちゃんと載っておるものが事実上は廃道になっておる、あるいは維持管理をしておらなかったんだというようなことを言われても、施設になっておるのだから、維持管理のしようがないわけですから、そういう問題も起こるわけですし、これは旧陸軍時代からの経過がありますけれども、いまごそっと基地になってしまったというところに問題があるわけですから、この道路及び道路敷の問題を、早急に現地の調査をきっちりやって
それで、現在の基地というのは旧陸軍時代から受け継いだものというのがあるわけです。たとえば一例を申し上げますと、町田市の郊外に戦車の試験道路があるわけです。町田市の郊外というのは、戦争前は足柄山の延長のようなところだったと思いますが、現在じゃもう完全な東京のベッドタウンでありまするし、急激な伸びを示しております。
これは旧陸軍時代に兵器補給廠でございまして、それを米軍が接収した形でございますので、その後も、占領時代に引き続きまして、いわゆる補給関係の施設、区域として米軍が使用をし、それが今日に至っておる、こういう状況のようでございます。
○政府委員(島田豊君) 御指摘のように、当時陸軍が買収をしたわけでございますので、確かに御指摘のように、旧陸軍時代でございますから、はたして十分な、適正な買収費が払われたかどうかということについては問題があろうかと思います。しかしながら、私どもは今日米軍に提供いたしております。
○鶴崎説明員 大久野島に旧陸軍時代に製造した毒ガスがあるというようなことが新聞に報道されております。
○若松政府委員 国立療養所の中で、旧陸軍時代から精神専門でやっておりました施設が三つございましたが、現在六つの施設が精神療養所となっております。したがって、新しい三つの施設が転換したわけでございますが、やはり、転換時の人事管理というような面から、旧結核の専門家が所長をしておりましたけれども、最近は二つの施設が転換いたしました。
そしていまやたびたび総括質問などで問題になっておりますように、防衛の方法としても科学兵器を使う、精密機械を使うというようなことから、その演練の実況も旧陸軍時代とは全く変わってきておるはずなんですね。歩、騎、砲、工、軽重といったような、自分で馬を使い足をもって匍匐前進というようなことが演練の中心であったような時代とは違ってきておる。
そんなことでは、これは国会の建前上いけませんよ、旧陸軍時代はいざ知らす、はっきりこの草案の性格というものを明確にしなくちゃならないのですが、これは答えられないようですが、検討してこの次答弁していただきたい。 最後に私は申し上げたい。あなた、いろいろ申されましたけれども、一昨年暮れ岸内閣によってたくらまれました警職法案の改正の問題がございました。
○国務大臣(赤城宗徳君) いろいろ相対的な関係もあると思いますが、現在の陸の管区隊の火力あるいは機動力、こういう点から比較いたしますと、旧陸軍時代より数等進んでおります。
そうしてかつての陸軍時代にあった陸地測量部、これが、今ようやくその古い地図が、五万分の一の地図、よく登山家なんかが持って歩く地図、あの地図だけが頼りなんです。 ところが、御承知のように、山は木を切り、治山というものは、もう忘れておった。そうして現状、年々の災害によって、国土の形は変貌しているのです。
これは旧陸軍時代の二十三万に比べると、数においては劣っておるわけですけれども、いわゆる旧師団に相当する管区隊の戦力を見ると、大体毎分発射の鉄量は約五倍、これに機動力等を加味計算すると、軍事専門家の話では、大体九倍、約十倍ぐらいの戦力がある、こういうふうに評価しているわけです。そうだとすると、これは旧陸軍時代よりはるかに強い戦力となっている。
そのうち約百十万坪というものが、旧陸軍時代からの演習地でありましたが、その百十万坪にプラスアルファをいたしまして、合計約三百六十万坪の国有地が、二月三日に広島財務局の国有財産審議会で突然防衛庁へ所管がえになりました。その件について防衛庁、管財局、並びに農林省の関係の皆さん方に順次お尋ねしたいと思うのであります。
たま拾いをしたいのは、これは従来から陸軍時代から契約が行われて堂々と行なっておった地方の権利なんです。
○秋山長造君 これは戦前に、たとえば旧陸軍時代、あるいは旧海軍時代なんかにちょいちょい潜水艦が沈むというような事故がありましたね。ああいう時代に私の記憶ではやはり潜水艦が沈没するというような大きな事故の場合は、単に海軍部内だけでなしに、たとえば大学あたりの造船学の学者だとかその他の専門家を入れた、これは相当総合的なやっぱり調査団を作って、そうして徹底的な究明がやられたと思うのです。