1984-07-25 第101回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号
六月一日に在日米軍司令部参謀長補佐の陸軍大佐フランク・L・デェイさんに横田基地で二時間にわたってひざ詰め談判をいたしました。その答えがこういうことなんです。あの被弾が、跳弾があって名護市民は生命の脅威を感じて抗議をしたから演習はストップさした。名護市民の要望は、危ない演習はすぐやめよ、そしてその演習場は直ちに撤去せよ、この二つでした。
六月一日に在日米軍司令部参謀長補佐の陸軍大佐フランク・L・デェイさんに横田基地で二時間にわたってひざ詰め談判をいたしました。その答えがこういうことなんです。あの被弾が、跳弾があって名護市民は生命の脅威を感じて抗議をしたから演習はストップさした。名護市民の要望は、危ない演習はすぐやめよ、そしてその演習場は直ちに撤去せよ、この二つでした。
被告人は昭和十五年十二月に徳川齊宏を改名いたしまして、連合軍特務協力捜査監、日本公民黨總裁を名乘る者でありますが、徳川家達の甥と稱しまして、連合軍最高幹部や宮家と昵懇であるように吹聽いたしまして、連合軍最高司令部軍政府長官官房長陸軍大佐フランク・キユー・グツトエル作成名義の連合軍特務協力捜査員示達書なるものを作成いたしまして、連合軍に直結して隱退藏物資摘發事業を營む者のごとき態度を示しまして、自己の