2003-07-16 第156回国会 衆議院 内閣委員会 第18号
志願兵として陸軍上等兵でビルマ戦線で右腕をなくされ、足にも負傷されて、今お体は不自由でございます。本日、今回も韓国から、きょうの委員会傍聴のために飛んできてくださいましたし、それから、これも内閣委員会の委員各位の皆様あてにこれだけの要請書、そのほかの書類等々を議員会館の事務室にお伺いしてお渡しさせていただいておりますので、ぜひ委員各位の皆様、ごらんいただきたいと思います。
志願兵として陸軍上等兵でビルマ戦線で右腕をなくされ、足にも負傷されて、今お体は不自由でございます。本日、今回も韓国から、きょうの委員会傍聴のために飛んできてくださいましたし、それから、これも内閣委員会の委員各位の皆様あてにこれだけの要請書、そのほかの書類等々を議員会館の事務室にお伺いしてお渡しさせていただいておりますので、ぜひ委員各位の皆様、ごらんいただきたいと思います。
こういうことを私は自分の体験を通して申し上げているわけでございまして、しかも、この昭和二十年八月現在では、陸軍上等兵の俸給は月額にして十円五十銭ですよ。しかし、これは昭和二十三年ごろになるとものすごく上がっているはずなんです。
この人は昭和十七年四月一日鳥取中部四十七部隊山根隊に入隊した、これは陸軍二等兵、昭和十七年六月一日に広島港を出発した、昭和十七年六月三日に朝鮮の釜山に上陸してシナへ出発した、昭和十七年六月七日に北支派遣第三九一部隊尾尻隊に転属、昭和十七年七月一日陸軍一等兵、昭和十八年四月十日北支派遣戦車二十六部隊山根隊に転属、昭和十八年七月十日陸軍上等兵、昭和十九年十二月十日陸軍兵長、昭和二十年八月十五日終戦、昭和二十一年四月一日北京着
そのために、たとえば陸軍大将と陸軍上等兵は違うわけですから、援護措置の中でも恩給から違うわけですから、そういうような意味では、直接国家に貢献した人を対象とした、いわゆる身分関係によって援護対策が立てられてきたということははっきりしておるわけです。いま大臣もそれをはっきり言ったわけですから。われわれはその中で、やはり新憲法下における国家補償という立場にそろそろ立っていいんじゃないのか。
まあ昔で言うなら、私もかつての軍隊では陸軍上等兵でありましたけれども、何か伍長勤務みたいなかっこうになる。昔もこの准尉というのがありました。しかしいま中曽根長官の言うように、必ずしもこの准尉の任務というのは、そういう任務でなかった、昔は。今度もできちまえば、いまあなたはそう言うけれども、実際は何かの任務を与えなければ、この准尉というものの存在は意味がないのではないだろうかというふうに考えます。
その前の経歴としては、昭和十九年度、下士官教育をうけ、陸軍上等兵、その後日本が投降した後において太原警備司令部で中尉、三四後方病院で大尉軍医をいたしました。大体自分の経歴は以上のようなものであります。 収容された後における自分たちの活動としては、中共の寛大政策と人道主義に基くところの生活を自分たちは送ってきました。
高野 一夫君 高橋 道男君 湯山 勇君 事務局側 常任委員会専門 員 草間 弘司君 常任委員会専門 員 多田 仁己君 参考人 帰国者集団長西 陵地区元華北交 通乗務員 湯浅 質治君 北京地区元軍医 大尉 吉沢 国雄君 西陵地区元陸軍 上等兵
○安部委員 その陸軍上等兵なるものが、そんなに軍の行動に関して詳しく知るわけがないと思うのです。これは單に聞いたことであつて、あるいはうわさを集めたことであつて、信憑するに足らぬと思うのです。この点に関して梨木委員が尋問するということは、あまり関係がないと思うのです。そういう軍事行動に関して、一上等兵の証言はあまり権威がないと思います。その点、梨木君の尋問はきわゆて簡単に願いたいと思います。
証人は陸軍上等兵と聞いておりましたが、その通りでありますね。