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48件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2007-05-15 第166回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号

戸籍地図掛は、全国地理戸籍、こういうものを掌握するということで、明治二年にそういう組織がつくられたということでございますし、間諜隊につきましては、これは軍の組織でございますので、平時においては、地理の偵察、調査地図の編集、精査を行うということを任務としておりますけれども、この間諜隊がいずれ参謀本部陸地測量部という形に発展をしていくということで、参謀本部陸地測量部となった段階で、民部省のものが、

藤本貴也

1986-11-19 第107回国会 参議院 科学技術特別委員会 第2号

地震の前兆の横綱と言いたいような例がございまして、これは一九四四年の東南海地震のとき、当時の陸地測量部がその水準測量を観測しておりましたときに非常に巨大な変化が起こったのです。それを茂木さんという方がわかりやすく直したのがこれでありまして、直前の変化のうちの最もはっきりしたものだと思います。

浅田敏

1986-04-25 第104回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第5号

それからもう一つ、非常に重大なことは、南海地震のときに、今村明恒先生という方が、当時の陸地測量部に頼んで測量をしておったのでございます。これはもちろん今村先生東海地震がそろそろ起こるのではないかと思ったから、そういうふうに陸地測量部に御依頼になったのでありますが、それがまさに東海地震の一日前でございまして、そのために水準測量の結果に理解しがたいことがあらわれたのです。

浅田敏

1976-10-21 第78回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第6号

原田説明員 国土地理院戦前、その前身でありました陸軍参謀本部陸地測量部と言われた時代から、時期的には明治以来、全国水平位置を決めます基準点になる三角点、それから高さの位置基準になります水準点を多数設置しておりまして、これらを明治時代には全国をカバーする測量を行い、その後高さの方の水準測量に関しましては、これまでに全国測量が五回繰り返し行われ、水平の方の位置を決めます三角測量は、幾多の大地震

原田健久

1976-08-25 第77回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第12号

原田説明員 われわれが得ました昭和五年当時のデータは、微小群発地震と本震、いわゆる地震資料と、それに昔の国土地理院、その当時陸地測量部でございますが、それが行いました地殻の上下変動データであります。その地震推移、それから大地の上下変動推移、そのようなものは今回の場合にも大いに参考になります。

原田健久

1973-05-31 第71回国会 衆議院 決算委員会 第13号

南部説明員 原口鑑定人が鑑定いたしましたのは、旧陸地測量部の図版の五万分の一にあります自治体境界現地におろした作業ではございません。これは五万分の一に表示されております境界をそのまま現地に再現するということは、測量精度等からいって不可能である、私どもはそういうふうに現在も考えておりますし、その当時も考えておったはずでございます。

南部三郎

1970-07-21 第63回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号

岩石磁気学から推定される相対運動陸地測量の結果を合わせ考えると、」トンネルの工事は「数メートルにも達する大きい食い違いに耐え得るよう」に設計しなければならないし、それだけに「危険である。というよりはこんな場所トンネルを造ること自身に強く反対し、自然の摂理にさからわぬように警告を発したい」ということを述べておられます。

瀬谷英行

1970-07-21 第63回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号

瀬谷英行君 建設省国土地理院から来てもらっているので、その国土地理院の人の意見を聞いてみたいと思うんですけれどもね、この川井教授の論文の中には、最近五十年の陸地測量の結果、百年間に三メートル程度の地塊移動がいまだに見られているといったようなことが書いてあるわけなんですけれども、問題の青函トンネル予定地域地塊移動というものが、調査の結果はっきりしているのかどうか。

瀬谷英行

1969-04-08 第61回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第8号

どもで出しておりますこの調書は、もともと戦前内閣統計局が、当時の陸地測量部の指導でもって調書を作製しておりました「全国市町村別面積調」という調書がございまして、昭和十年に作製されたものがわれわれの手元に残っておりました、それの形式、内容を踏襲したものであります。戦後において、昭和二十五年に国勢調査が行なわれたときに、この古い調書基礎にして、その後のいろいろな変化を加えて調書を作製しました。

村岡一男

1966-02-23 第51回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号

原田説明員 関東地震その他の地震の直後、かつての陸地測量部、現在の国土地理院では、多くの場合水準測量を実施しておりまして、先ほどおっしゃいましたような関東の場合、相模灘あたりの周辺で一メートル以上、また、南海道地震の場合にも、室戸岬その他の半島の先にやはり九十センチ、一メートルくらいの変動が検出できたわけでございますが、場所によりましては逆に、たとえば高知平野はそのときに沈下しておるという現象もございます

原田美道

1966-02-23 第51回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号

これは日本国土地理院陸地測量部と、それから海上保安庁の水路部、海図をつくっております、この二つを一緒にしたような役所でございます。そこで世界中に標準地震計を、百二十五カ所だと思いますが、置いて、地震学地震のいろいろ基礎研究に役立てるということをいたしております。

萩原尊礼

1962-06-01 第40回国会 参議院 建設委員会 閉会後第2号

ことにかつての陸軍陸地測量部がやっておったようなことでない、非常に科学的な、機械的な、機動力を持ったところの調査が可能なんです。地積その他の面については、これはむろん従来どおりの方法でやらなければならぬと思うのですけれども、この国土調査促進特別措置法とからみ合わせて、いつごろまでにこれを完成しようとするのか、完成しなければわからぬ問題です。

田中一

1961-10-17 第39回国会 衆議院 地方行政委員会 第8号

中野説明員 大体地盤沈下というものが東京地区でわかりましたのは関東震災の直後に、私ども前身である陸地測量部で水準測量の結果、東京下町地区で非常に大きな地盤の下がりがあるということがわかりました。それ以来毎年ほとんどずっと調べておりますが、昭和十九年から二十年まではひどいところで二十三センチばかり下がっております。

中野尊正

1961-06-30 第38回国会 参議院 大蔵委員会 閉会後第1号

提出されました資料の第十四番目に、千代田区永田町土地三百坪、十七世帯、国立国会図書館分館、これが旧来の陸軍参謀本部陸地測量部、陸軍大臣官舎、こういうところに使われたもののうちであることであります。これがもうすでに終戦直後からだんだん不当占拠をされまして、その後坪数も人数もふえて今日に至っておるようであります。

天田勝正

1959-11-28 第33回国会 参議院 風水害対策特別委員会建設、自治小委員会 第1号

そうしてかつての陸軍時代にあった陸地測量部、これが、今ようやくその古い地図が、五万分の一の地図、よく登山家なんかが持って歩く地図、あの地図だけが頼りなんです。  ところが、御承知のように、山は木を切り、治山というものは、もう忘れておった。そうして現状、年々の災害によって、国土の形は変貌しているのです。

田中一

1959-03-17 第31回国会 衆議院 商工委員会 第30号

その資料と申しますのはもと参謀本部陸地測量部、現在では建設省地理調査所所管測量でありますが、この測量というのは世界で一番いいくらい非常に丁寧にやってあるものであります。たとえば水準測量といたしましても、ある水準点から二キロ先に行って帰ってくる、そのときに誤差がなければ、もとの高さがきちんと出るはずでありますが、それが三ミリばかり狂っていたならば、その測定はだめということになっております。

坪井忠二

1957-04-23 第26回国会 参議院 建設委員会 第27号

まず第一に、地理調査所の沿革を申しますか、できましたこと、それから前の、地理調査所前身であります陸地測量部のやったことにつきまして、それからまた現在大体どんなことをやっておるかというふうなことについて申し上げたいと思います。  地理調査所はいかにして発足したかということを申し上げます。地理調査所戦前陸地測量部の仕事を受け継いで、戦後の情勢に即応しこれを発展せしめたものであります。

武藤勝彦

1957-04-23 第26回国会 参議院 建設委員会 第27号

田中一君 まあ旧陸軍陸地測量部のあの職員を全部引き取ったわけじゃないのでしょう。町にも大分散っていると思うのですが、そういう民間の—あなたは優秀な技術、優秀な技術とおっしゃる、なるほど優秀な技術でしょう、先ほどいろいろ国際会議においても日本が相当注目されているようですから。ですが、民間における測量士、こういう人たちを動員する例がございましたか。

田中一