2012-07-31 第180回国会 参議院 外交防衛委員会 第8号
昭和八年、旧参謀本部陸地測量部が刊行した地形図及び昭和九年に刊行した地勢図においても使用されたというふうに聞きました。 ですから、そういう意味では従来から我が国でも使用されてきているものだろうということで、先ほどのような見解になっているというふうに承知しています。
昭和八年、旧参謀本部陸地測量部が刊行した地形図及び昭和九年に刊行した地勢図においても使用されたというふうに聞きました。 ですから、そういう意味では従来から我が国でも使用されてきているものだろうということで、先ほどのような見解になっているというふうに承知しています。
戸籍地図掛は、全国の地理、戸籍、こういうものを掌握するということで、明治二年にそういう組織がつくられたということでございますし、間諜隊につきましては、これは軍の組織でございますので、平時においては、地理の偵察、調査と地図の編集、精査を行うということを任務としておりますけれども、この間諜隊がいずれ参謀本部陸地測量部という形に発展をしていくということで、参謀本部陸地測量部となった段階で、民部省のものが、
地震の前兆の横綱と言いたいような例がございまして、これは一九四四年の東南海地震のとき、当時の陸地測量部がその水準測量を観測しておりましたときに非常に巨大な変化が起こったのです。それを茂木さんという方がわかりやすく直したのがこれでありまして、直前の変化のうちの最もはっきりしたものだと思います。
それからもう一つ、非常に重大なことは、南海地震のときに、今村明恒先生という方が、当時の陸地測量部に頼んで測量をしておったのでございます。これはもちろん今村先生は東海地震がそろそろ起こるのではないかと思ったから、そういうふうに陸地測量部に御依頼になったのでありますが、それがまさに東海地震の一日前でございまして、そのために水準測量の結果に理解しがたいことがあらわれたのです。
○原田説明員 国土地理院は戦前、その前身でありました陸軍参謀本部陸地測量部と言われた時代から、時期的には明治以来、全国に水平の位置を決めます基準点になる三角点、それから高さの位置の基準になります水準点を多数設置しておりまして、これらを明治時代には全国をカバーする測量を行い、その後高さの方の水準測量に関しましては、これまでに全国測量が五回繰り返し行われ、水平の方の位置を決めます三角測量は、幾多の大地震
○原田説明員 われわれが得ました昭和五年当時のデータは、微小群発地震と本震、いわゆる地震資料と、それに昔の国土地理院、その当時陸地測量部でございますが、それが行いました地殻の上下変動のデータであります。その地震の推移、それから大地の上下変動の推移、そのようなものは今回の場合にも大いに参考になります。
明治四十四年の旧陸地測量部が調製いたしまして、その後何回か修正をしてまいりました五万分の一の地形図では、問題の両自治体の境界は入っております。御指摘のように、その後新しく地理院で調製いたしました図面では当該分の境界は抜いてございます。
○南部説明員 原口鑑定人が鑑定いたしましたのは、旧陸地測量部の図版の五万分の一にあります自治体の境界を現地におろした作業ではございません。これは五万分の一に表示されております境界をそのまま現地に再現するということは、測量の精度等からいって不可能である、私どもはそういうふうに現在も考えておりますし、その当時も考えておったはずでございます。
○南部説明員 先ほどのお答えで申し上げましたが、明治四十四年に旧陸地測量部が測量いたしましたのが最初でございまして、そのときにできました五万分の一の地形図は、その後昭和六年、それから昭和二十八年、昭和三十八年と修正をされております。
「岩石磁気学から推定される相対運動と陸地測量の結果を合わせ考えると、」トンネルの工事は「数メートルにも達する大きい食い違いに耐え得るよう」に設計しなければならないし、それだけに「危険である。というよりはこんな場所にトンネルを造ること自身に強く反対し、自然の摂理にさからわぬように警告を発したい」ということを述べておられます。
○瀬谷英行君 建設省の国土地理院から来てもらっているので、その国土地理院の人の意見を聞いてみたいと思うんですけれどもね、この川井教授の論文の中には、最近五十年の陸地測量の結果、百年間に三メートル程度の地塊の移動がいまだに見られているといったようなことが書いてあるわけなんですけれども、問題の青函トンネル予定地域の地塊の移動というものが、調査の結果はっきりしているのかどうか。
私どもで出しておりますこの調書は、もともとは戦前内閣統計局が、当時の陸地測量部の指導でもって調書を作製しておりました「全国市町村別面積調」という調書がございまして、昭和十年に作製されたものがわれわれの手元に残っておりました、それの形式、内容を踏襲したものであります。戦後において、昭和二十五年に国勢調査が行なわれたときに、この古い調書を基礎にして、その後のいろいろな変化を加えて調書を作製しました。
ただいまの国土地理院ですかでやらしたらどうかというようなお話でございますが、国土地理院のほんとうの仕事を私も正確には把握しておりませんけれども、これはやはり国の地図と、昔の陸地測量部というような仕事をしているところではないかと思っております。
○原田説明員 関東地震その他の地震の直後、かつての陸地測量部、現在の国土地理院では、多くの場合水準測量を実施しておりまして、先ほどおっしゃいましたような関東の場合、相模灘あたりの周辺で一メートル以上、また、南海道地震の場合にも、室戸岬その他の半島の先にやはり九十センチ、一メートルくらいの変動が検出できたわけでございますが、場所によりましては逆に、たとえば高知平野はそのときに沈下しておるという現象もございます
これは日本の国土地理院の陸地測量部と、それから海上保安庁の水路部、海図をつくっております、この二つを一緒にしたような役所でございます。そこで世界中に標準地震計を、百二十五カ所だと思いますが、置いて、地震学、地震のいろいろ基礎研究に役立てるということをいたしております。
ことにかつての陸軍の陸地測量部がやっておったようなことでない、非常に科学的な、機械的な、機動力を持ったところの調査が可能なんです。地積その他の面については、これはむろん従来どおりの方法でやらなければならぬと思うのですけれども、この国土調査促進特別措置法とからみ合わせて、いつごろまでにこれを完成しようとするのか、完成しなければわからぬ問題です。
○中野説明員 大体地盤沈下というものが東京地区でわかりましたのは関東震災の直後に、私どもの前身である陸地測量部で水準測量の結果、東京下町地区で非常に大きな地盤の下がりがあるということがわかりました。それ以来毎年ほとんどずっと調べておりますが、昭和十九年から二十年まではひどいところで二十三センチばかり下がっております。
提出されました資料の第十四番目に、千代田区永田町土地三百坪、十七世帯、国立国会図書館分館、これが旧来の陸軍参謀本部、陸地測量部、陸軍大臣官舎、こういうところに使われたもののうちであることであります。これがもうすでに終戦直後からだんだん不当占拠をされまして、その後坪数も人数もふえて今日に至っておるようであります。
○木村(秀)政府委員 これは明治何年ですか、ちょっと年は覚えておりませんか、もちろん古くから陸地測量部——国が調べました地図でございまして、それにははっきり県境が線で入っておるわけでございます。
○足鹿委員 よるべき根拠は陸地測量部——それはいつのものですか。どこが出しておるのですか。戦後、参謀本部の五万分の一以上の詳細なそういう地図がありますか。
それでは現在のところなぜ鳥取県とお答え申し上げたかと申しますと、陸地測量部で出しております地図によりまして——ちょっと地図がないので恐縮でございますが、その陸地測量部の地図に基づいて一応そういうふうに考えたわけでございます。
そうしてかつての陸軍時代にあった陸地測量部、これが、今ようやくその古い地図が、五万分の一の地図、よく登山家なんかが持って歩く地図、あの地図だけが頼りなんです。 ところが、御承知のように、山は木を切り、治山というものは、もう忘れておった。そうして現状、年々の災害によって、国土の形は変貌しているのです。
その資料と申しますのはもとの参謀本部陸地測量部、現在では建設省の地理調査所所管の測量でありますが、この測量というのは世界で一番いいくらい非常に丁寧にやってあるものであります。たとえば水準測量といたしましても、ある水準点から二キロ先に行って帰ってくる、そのときに誤差がなければ、もとの高さがきちんと出るはずでありますが、それが三ミリばかり狂っていたならば、その測定はだめということになっております。
一つはこの沈下の状態というものを目で見つけているのでありますが、しかし、これがたとえば陸地測量部の一等水準点、こういう基準になるものとこれとどういう関係にあるか、潮位との関係はどうか、今少しく数字的に明らかにしなければならない。
まず第一に、地理調査所の沿革を申しますか、できましたこと、それから前の、地理調査所の前身であります陸地測量部のやったことにつきまして、それからまた現在大体どんなことをやっておるかというふうなことについて申し上げたいと思います。 地理調査所はいかにして発足したかということを申し上げます。地理調査所は戦前の陸地測量部の仕事を受け継いで、戦後の情勢に即応しこれを発展せしめたものであります。
○田中一君 まあ旧陸軍の陸地測量部のあの職員を全部引き取ったわけじゃないのでしょう。町にも大分散っていると思うのですが、そういう民間の—あなたは優秀な技術、優秀な技術とおっしゃる、なるほど優秀な技術でしょう、先ほどいろいろ国際会議においても日本が相当注目されているようですから。ですが、民間における測量士、こういう人たちを動員する例がございましたか。
たとえば水没の関係などは面積が非常に違っておりますが、実地へおいでになってお調べになったものですか、あるいは机上の書類によってお調べになったのか、あるいは陸地測量部の図面でお調べになったのか、あるいは会社側の図面によってお調べになったのか、どちらでございますか。