1963-06-11 第43回国会 衆議院 社会労働委員会 第43号
陶冶性がない。こういう問題等が障害であって、技術の訓練をするといいましても、たとえば運転手にいたしましても、最も手近な訓練ではございますが、目が薄い、あるいは手足が思うようにならない、こういうことで大体なかなか十分な一人前の技能労働者になることがむずかしいわけです。
陶冶性がない。こういう問題等が障害であって、技術の訓練をするといいましても、たとえば運転手にいたしましても、最も手近な訓練ではございますが、目が薄い、あるいは手足が思うようにならない、こういうことで大体なかなか十分な一人前の技能労働者になることがむずかしいわけです。
どうせ陶冶性がないとすれば仕方がないと思うのですが、とにかくもう少し用語ぐらいは、文部大臣の品位を傷つけることのないようにされる責任が私はあると思うのです。この問題については、この会期中にいろいろの関連事項を通じてさらに質問をしていきたいと思うし、もう少し明るい日本の文教行政の安定線を一つ発見をしてつくっていただきたいと思うのです。
政治的中立並びに学生に対する教育環境としてそれが好ましくないという大学の御方針、そういったことが総合的に判断され、さらに反省を促したけれども、本人に改悛の情がないということを学校が断定されて、つまり退学というものはおっしゃいますように学生に対しましてはきわめて峻厳な措置でございますから、きわめて慎重を要するものではありますけれども、しかし、もしそのような各種の事情を総合して、大学として本人に対する教育的な陶冶性
又対象が、生意氣盛りの青年層から、陶冶性のなくなつてしまつた成年、或いは老年でありますため、教育の効果は疑われるのであります。 それでいかにもまずいやり方のようでありますけれども、法文としてはつきりさせ、道徳観念として許容できないものであるとしておきたいのでございます。