1999-04-22 第145回国会 参議院 法務委員会 第7号
陳玉璽事件と呼ばれていますけれども、このとき私は、日本の入管の余りの残酷さにびっくりしたんです。非人間的なそういう措置をするということにびっくりして、この国はこんなことをするのかと驚いた思いがあります。
陳玉璽事件と呼ばれていますけれども、このとき私は、日本の入管の余りの残酷さにびっくりしたんです。非人間的なそういう措置をするということにびっくりして、この国はこんなことをするのかと驚いた思いがあります。
○参考人(田中宏君) なかなか難しい、陳玉璽君のケースは私もよく知っていますし、かなり近い時期だと思いますが、柳文卿というやっぱり台湾の留学生が強制送還されました。当時は羽田ですから、羽田空港で舌をかみ切って何とか自殺しようとした。結局それは未遂に終わったんですが、送られたという、ちょっとぞっとするような事件も当時は起きています。
今の事件は陳玉璽の事件として本にもなっていることで、当時私とか加藤周一とか、それからテレビによく出ている中村敦夫等で陳玉璽の人権の保障を台湾政府に要求したことがあります。 以上、まあこういうことばかり言って切りがありませんけれども、どうか中国との国交をさらに好転させることと、人命の問題で日本にかかわりあるところでは配慮されることを希望します。 以上です。
○宮崎参考人 高沢先生から御質問のあった点でございますが、実はこの難民条約に関連いたしまして、日本で関心を持つ契機になりました事件に、林啓旭、柳文卿、陳玉璽三君などの台湾青年の人たちが台湾に強制送還されそうになったという事件がございました。
なお、この際一言私は入管局長、法務大臣に御注意申すことは、いま私それを持ってきませんが、先般入管で強制送還した陳玉璽、これは局長はよく御存じ——局長がやったんだから、よく御存じですが、これの父親が、陳玉璽が入管で収容中、実にひどい目にあったことを切々と訴えてきているのです。なぐる、ける。
さらにしばらくしてまた陳玉璽事件が起きると、受け取りましょう、こういうのだが、何かその辺には、おそらくそういう質問が出たら困るから、大臣が一緒に来てくれということで出かけたということなんだろうが、出ましたか、その話が。
○赤間国務大臣 陳玉璽は、たびたび申し上げましたように、無理に強制送還をやったという考えはありません。日本に観光のビザを持って入ってきて、相談の上で台湾に行って、相談をしてまた日本に来るなり適当な方策を講ずるということで帰国をいたしたのでありまして、危険なところに無理に送ったという事実はわれわれは違うと考えておるのであります。何も、こっちが一方的に送り返したという事実はない。
陳玉璽の問題にいたしましても、たびたび局長から申し上げたように、ハワイから日本に観光に来て、そして日本に長く滞在したいというのでございますから、私は入管局がとった措置は正しいものであると考えております。なおまた、台湾以外のところに行きたいと言っておるのならば、われわれも好んで台湾に送る必要はない、ほかのところにも送る。
○猪俣委員 私は、きょうは陳玉璽——台湾人の主星の日本からの送還問題に関連いたしまして、主として入管局長、及び大局につきまして法務大臣の御所見を承りたいと思うのです。
それからなお一つお尋ねしたいことは、これはこの前ちょっとお尋ねしたのですが、陳玉璽という、二十九歳になる人物、これはハワイ大学の経済学部を出て、そこの助手をやっておった、マスター・オブ・アーツの資格のある人物ですが、これが昨年の八月日本へやってきた。これは観光ビザで来たらしい。
○中川(進)政府委員 陳玉璽は、ただいまお述べになりましたごとく、昭和四十二年八月十七日、私どもの入管の四−一−四というビザで入ってまいったのでございます。日本に参りまして、将来台湾大学の講師になって就職したいということで、そのためには日本の経済の勉強をしたいということで、日本におらしてくれということがございました。
○猪俣委員 そうすると、この陳玉璽がいまどういう立場にいるかは、あなたのほうは調査なさっておるのか、なさっておらぬのか。
陳玉璽、二十九歳、これはハワイ大学の経済学部の助手をやっておったマスターオブアーツの位を持っておる人、これが観光ビザで入国したが、三月まで滞在を許されておったにかかわらず、二月八日の午後一時に入管へ呼び出され、そのまま収容された。交渉に行ったら、いやこれは家族にちゃんと返すから心配ないと入管では言っておったにかかわらず、今日に至るまで所在不明なんです。
ただいまの陳玉璽の件は、実はただいま先生から初めて伺って、全然存じませんので、さっそく調査させていただきたいと思います。 それから、向こうへ行きましたあとの、いまの柳文郷の話でございます。実は私、ある会合で昨年中国の陳大使と四、五分会談する機会がございまして、そのときさっそくこの柳文郷はどうだと申しましたら、彼は、現在高雄だそうでございますが、もう両親のもとに帰って平和に暮らしておる。