1971-03-10 第65回国会 衆議院 逓信委員会 第8号
当時の郵政大臣は降旗徳弥大臣であったかと思うのですが、逓信省はお手上げ状態にあったのです。そこで逓信病院の労働組合からもたっての要請がございまして、全逓としては——当時東京逓信病院が病床約二百前後だったと思うが、函南の病院が結核病棟としてやはり二百以上の病床を持っておったわけです。私たちは地元の市町村役場、有力な方々に御説明申し上げて、全逓は四十万の職員がおる。現在食糧事情もこういう状態だ。
当時の郵政大臣は降旗徳弥大臣であったかと思うのですが、逓信省はお手上げ状態にあったのです。そこで逓信病院の労働組合からもたっての要請がございまして、全逓としては——当時東京逓信病院が病床約二百前後だったと思うが、函南の病院が結核病棟としてやはり二百以上の病床を持っておったわけです。私たちは地元の市町村役場、有力な方々に御説明申し上げて、全逓は四十万の職員がおる。現在食糧事情もこういう状態だ。
○降旗参考人 私が松本市長の降旗徳弥でございます。本委員会におきまして参考人として私見を申し述べる機会を得ましたことを感謝申し上げます。この際、御列席の諸先生方にはいわゆる新産並びに工特の問題につきまして年来非常にごやっかいになっておるのでございまして、この点あわせて厚く御礼を申し上げたいと存じます。
本日は、本案について参考人として岡山県知事加藤武徳君、松本市長降旗徳弥君が出席されております。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。参考人の方々には御多用中のところ、当委員会の法律案審査のため御出席をいただき、まことにありがとうございます。
経済企画庁総 合開発局長) 鹿野 義夫君 通商産業事務官 (企業局産業立 地部長) 馬郡 巖君 自治事務官 (財政局長) 柴田 護君 委員外の出席者 参 考 人 (岡山県知事) 加藤 武徳君 参 考 人 (松本市長) 降旗 徳弥
第三は、日本海外協会連合会の前身ですが、終戦後、当時生存されておられました村田省蔵氏を会長といたしまして、加藤勘十、上塚司、降旗徳弥、いま故人となりました今村忠助、それに私の五人で、どうしても海外移住を始めようじゃないか、それには戦前にあった海外協会中央会のようなものを復活させようということで、しばしば会合いたしまして、そういう会名をつくったわけでありますが、資金難その他の関係で、これはただいまの財団法人日本海外協会連合会
それは、上塚司氏、松田竹千代氏、中島太郎氏、降旗徳弥氏、楠美省吾氏、吉川兼光氏等でございます。 続いて、現在議席を持っておられて、海外特に南北米の日本人移住地と連絡を持ち、常にこれらの人々を激励しておる方々を思い出しますと、参議院において笹森順造氏、藤原道子氏、戸叶武氏、衆議院におきましては、千葉三郎氏、加藤勘十氏、二階堂進氏等があるわけであります。
これは、降旗徳弥さんだから行こうというのじゃないのですよ。松本市長、降旗徳弥市長の話だから、これはやむを得ず出なければならぬ。そういうことのないために地方公務員法を作ったのじゃないのですか、根本的にいって。従来そういうような封建的な形が職員の間に行なわれておる。そこで、そういうことのないために地方公務員法を作り、国家公務員法を作ったんじゃないですか。
長野県の例をお引きになって、長野県の場合、植原悦二郎、唐澤俊樹両君の出ている選挙区は、落選者に増田甲子七、降旗徳弥両君など、前大臣の経歴を持ち、大物ぞろいの選挙区で、四人立って三人しか出ることができないのであります、ということで、まことにこれを悲しんでおられるのでありまするが、四人立って四人出したいということのようだけれども、これたけは川島君もいかんともすることができなかったようであります。
副会長は青木一男、上塚司、坪上貞二、降旗徳弥、こういうふうにたくさんの人が並んでおる。しかもこの団体が法人格を持っていない。これはこれにもはっきり書いてありますが、法制化していないということですが、これは一体いつごろできた団体なのですか。
同日 委員降旗徳弥君辞任につき、その補欠として松 野頼三君が議長の指名で委員に選任された。 ————————————— 本日の会議に付した事件 食糧、農業団体、砂糖等の農政問題に関する件 農業災害補償制度改正に関する件 —————————————
同月十七日 委員佐藤善一郎君及び降旗徳弥君辞任につき、 その補欠として中川源一郎君及び松野頼三君が 議長の指名で委員に選任された。 同日 委員松野頼三君辞任につき、その補欠として降 旗徳弥君が議長の指名で委員に選任された。 同月十一日 委員長小島徹三君が委員長を辞任した。 同月十三日 田中好君が議長の指名で委員長に選任された。
中山 マサ君 永田 良吉君 長野 長廣君 灘尾 弘吉君 丹羽喬四郎君 西村 英一君 西村 久之君 羽田武嗣郎君 葉梨新五郎君 馬場 元治君 橋本 龍伍君 長谷川 峻君 濱田 幸雄君 林 讓治君 原田 憲君 平井 義一君 平野 三郎君 福井 勇君 福田 篤泰君 福田 一君 福田 喜東君 船越 弘君 降旗 徳弥
西村 直己君 西村 久之君 野田 卯一君 賜田武嗣郎君 葉梨新五郎君 馬場 元治君 橋本登美三郎君 橋本 龍伍君 長谷川 峻君 濱田 幸雄君 林 讓治君 林 信雄君 原田 憲君 平井 義一君 平野 三郎君 福井 勇君 福田 篤泰君 君田 一君 福田 喜東君 福永 健司君 船越 弘君 船田 中君 降旗 徳弥
西村 久之君 野田 卯一君 羽田武嗣郎君 葉梨新五郎君 馬場 元治君 橋本登美三郎君 橋本 龍伍君 長谷川 峻君 濱田 幸雄君 林 讓治君 林 信雄君 原 健三郎君 原田 憲君 平井 義一君 甲野 三郎君 福井 勇君 福田 篤泰君 福田 一君 福田 喜東君 福永 健司君 船越 弘君 船田 中君 降旗 徳弥
中山 マサ君 仲川房次郎君 永田 良吉君 灘尾 弘吉君 夏堀源三郎君 丹羽喬四郎君 西村 直己君 西村 久之君 羽田武嗣郎君 葉梨新五郎君 橋本 龍伍君 長谷川 峻君 濱田 幸雄君 林 讓治君 林 信準君 原田 憲君 平井 義二君 中野 三郎君 福田 篤泰君 福田 一君 福田 喜東君 船田 中君 降旗 徳弥
(長谷川保君紹介)(第一七五号) 同(原茂君紹介)(第一七六号) 同(柳田秀一君紹介)(第一七七号) 同外一件(竹山祐太郎君紹介)(第一七八号) 同(佐伯宗義君紹介)(第一七九号) 同(中曽根康弘君紹介)(第一八〇号) 同(古屋菊男君紹介)(第一八一号) 同(高木松吉君紹介)(第一八二号) 同外二件(神戸眞君紹介)(第一八三号) 同外一件(藤枝泉介君紹介)(第一八四号) 同(降旗徳弥君紹介
農薬代金の国庫補助に関する請願(高橋禎一君 紹介)(第一二六号) 農業災害補償法の一部改正に関する請願(鈴木 善幸君紹介)(第一二七号) 供米検査規格の合理化に関する請願(倉石忠雄 君紹介)(第一二八号) 同(原茂君紹介)(第一二九号) 同(松平忠久君紹介)(第一三〇号) 黄変米の配給停止に関する請願(原茂君紹介) (第一三一号) 同(松平忠久君紹介)(第一三二号) 同(降旗徳弥君紹介
昭和二十九年十二月三日(金曜日) 午前十時四十分開議 出席委員 委員長 小島 徹三君 理事 越智 茂君 理事 中川源一郎君 理事 松永 佛骨君 理事 長谷川 保君 理事 岡 良一君 青柳 一郎君 有田 二郎君 助川 良平君 高橋 等君 降旗 徳弥君 山口六郎次君 佐藤 芳男君 滝井 義高君
理事 内藤 友明君 理事 坊 秀男君 理事 久保田鶴松君 理事 井上 良二君 三和 精一君 古井 喜實君 山本 勝市君 柴田 義男君 春日 一幸君 平岡忠次郎君 委員外の出席者 専 門 員 椎木 文也君 専 門 員 黒田 久太君 ————————————— 十一月二十六日 委員降旗徳弥君及
昭和二十九年十一月二十九日(月曜日) 午前十一時開議 出席委員 委員長 小島 徹三君 理事 越智 茂君 理事 松永 佛骨君 理事 古屋 菊男君 理事 長谷川 保君 理事 岡 良一君 青柳 一郎君 有田 二郎君 高橋 等君 中川源一郎君 降旗 徳弥君 安井 大吉君 亘 四郎君 滝井 義高君
昭和二十九年十一月二十六日(金曜日) 午前十時二十六分開議 出席委員 委員長 小島 徹三君 理事 中川源一郎君 理事 松永 佛骨君 理事 高橋 等君 青柳 一郎君 寺島隆太郎君 降旗 徳弥君 安井 大吉君 亘 四郎君 萩元たけ子君 柳田 秀一君 杉山元治郎君 中野 四郎君 山下 春江君
同月二十日 委員山口六郎次君辞任につき、その補欠として 降旗徳弥君が議長の指名で委員に選任された。 ――――――――――――― 本日の会議に付した事件 参考人より意見聴取の件 金融に関する件 ―――――――――――――
厚生事務官 (薬務局長) 高田 正巳君 厚生事務官 (保険局長) 久下 勝次君 厚 生 技 官 (医務局長) 曾田 長宗君 専 門 員 川井 章知君 専 門 員 引地亮太郎君 専 門 員 山本 正世君 ――――――――――――― 十一月三十日 委員降旗徳弥君辞任