1973-05-11 第71回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第21号
それからまた、この地区の一部は溝部鉱山として、昭和二十六年、日本特殊鉱業に鉱業権が譲渡されておりますが、さらに三十年に阿寒硫黄株式会社に、三十八年に中島吉正という方に鉱業権が移っておりまして、昭和四十六年にこの中島さんがなくなりまして、鉱業権は消滅しております。この間、鉱業権はいろいろ移動しておりますが、溝部鉱山としての稼行実績はない模様でございます。
それからまた、この地区の一部は溝部鉱山として、昭和二十六年、日本特殊鉱業に鉱業権が譲渡されておりますが、さらに三十年に阿寒硫黄株式会社に、三十八年に中島吉正という方に鉱業権が移っておりまして、昭和四十六年にこの中島さんがなくなりまして、鉱業権は消滅しております。この間、鉱業権はいろいろ移動しておりますが、溝部鉱山としての稼行実績はない模様でございます。
しかしかりにやっておって、すでに阿寒硫黄は鉱業権、採掘権を持っておった、それを再開しただけだから、届け出だけで足りる、その面まではわかりますよ。今度中島産業というような、われわれに言わせれば不良会社です。そういう不良会社が新しく、これは岩手県でも長野県でもどこでもけっこうですけれども、鉱山局、通産局長に対して新しい鉱区の出願をした、そういう場合、あなたのほうでは明らかに知っておるわけですよ。
で、お伺いしたいわけでありますけれども、いま北海道の阿寒湖のそばの阿寒硫黄山というのが再開されておるやに聞いています。あの阿寒硫黄がどういう経営者によって経営されておるか、この点お伺いしたいと思うのです。
当時岸総理は、北海道阿寒硫黄の前身日本特殊鉱業株式会社の重役の一人であり、社長は政界に顔のきく中島信吉である。この会社は、中山貞雄のあっせんで、千葉銀行より特段の融資を受けていたが、三十年一月二十六日、大蔵省銀行局が検査を行なった当時、借入額は四億一千万円の多額に上り、当時千葉県の銀行が北海道にまで貸したこと、多額の不良融資があるとの二つの点で問題になったものである。
おもなるものだけを拾ってみても、千葉銀行と阿寒硫黄との問題、昭和製鋼と横浜興信銀行との問題、興銀と日本冶金との問題、勧銀と新潟鉄工との問題、又一商事と三菱銀行との問題、東京麻糸紡績と三菱銀行との問題、最近では近畿紡績と三菱銀行を背景とする勢力との間にも問題が起きているようであります。
ごく簡単に申し上げますと、一つは千葉銀行が日本特殊鉱業株式会社、これは現在名前を改めまして、阿寒硫黄鉱業株式会社と名前が変っておりますが、この会社に対しまして役員を送り込み、その他相当程度会社の経営に干渉いたしておるということで、申告がございまして、現在これは調査中でございます。これはほぼ調査が終了に近い段階にあるというふうに事務局から聞いております。