2016-01-19 第190回国会 参議院 外交防衛委員会 第1号
実は、私のおじも、正確にはおばの旦那さんなんで、まあ、おじでいいんですか、おじになるんですが、防衛医大の教官をやっておりまして、もう既に、随分前に退官して今はもう他界しておりますけれども、非常に実直で真面目なおじでありましたので、ああいう方が防衛医大、そして防衛医療を支えているんだなというのを今更ながらにちょっと印象深く思い出しておるところでございます。
実は、私のおじも、正確にはおばの旦那さんなんで、まあ、おじでいいんですか、おじになるんですが、防衛医大の教官をやっておりまして、もう既に、随分前に退官して今はもう他界しておりますけれども、非常に実直で真面目なおじでありましたので、ああいう方が防衛医大、そして防衛医療を支えているんだなというのを今更ながらにちょっと印象深く思い出しておるところでございます。
その人たちに、地域での災害医療、防衛医療の役割を担ってもらったらどうかと思うんです。 今の現状を見ていると、普通に開業医とか病院に勤務して、医師会に入ってというような形で、一般の医師と同じような形で埋没してしまっているように私には見えるんです。もうちょっと彼らを生かしてもいいと思うんですが、このような発想について、いかがお考えでしょうか。
これはちょっと極論かもしれないんですが、防衛医療、災害医療を実際に将来仕事にする医学生たちですので、学生だとしても、ちゃんとしたルールをつくって、現地に派遣するということを今後考えてもいいのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
医師は、訴訟や逮捕を恐れて防衛医療に走り、あるいは診療環境の悪化によって地域の基幹病院から逃げ出し、周産期医療、小児医療を担う医療機関は次々と閉鎖され、医療難民が続出しているのであります。健康格差は拡大し、保険証を返還する世帯は、二〇〇〇年度十万世帯が二〇〇五年には百三十万世帯に激増し、受診がおくれ病状が悪化、死亡した患者が多数出ていると報じられております。
それで、そういうことによって医賠責の保険料が上がったり、それから防衛医療になったり萎縮医療になったりしているんです。だから、そういうふうにしてはいけない、そういう可能性があるから、そういうことをしてはいけないと。それで、一番やっぱり大事なのは、患者さんの痛みが分かる、そういう本当の苦しみが分かる、そういう医療をしていただきたいな、そういうことを申し上げたんです。
一方、昨今のアメリカにおきましては、医療をめぐる訴訟というのが非常に頻発しておりますし、医療現場も萎縮をして防衛的——萎縮医療、防衛医療と言われていますが、になっているわけでございまして、これらのことが検査や医賠責保険料の増大に結びつき、医療費が増嵩する理由の一つにもなっているということが大きな問題として言われているわけでございます。
治らなかったらすぐにまた何か別のアクションを起こすということでは、これはやはりとてもとても、あのアメリカのような防衛医療や萎縮医療につながってしまうと、結局それは大勢の患者さんにとっては決して幸せなことじゃないわけでございまして、やはりそこの、今のやはり医療のそういう置かれた特殊性というものを十分理解をお互いにしていかなきゃいけない、そういうことが大変重要なことでないかと、このように思っている次第ではあります
第七に、安全保障対話の充実等を図るため、日中防衛医療交流セミナー等各種の交流等を実施するとともに、外国人留学生施設を建設することとしております。 第八に、防衛調達適正化事業については、部外有識者によるチェック体制の整備、監査法人や公認会計士による契約企業の調査の促進、調達実施本部職員に対するシステム監査教育の実施等をすることとしております。
その際行われました日中防衛首脳会談におきましては、こちら側の防衛庁長官の本年前半の訪中を望む、統幕議長と参謀総長の相互訪問の早期実現を望む、また防衛研究交流や防衛医療交流の推進をする、官邸相互訪問の実現に向けた検討の開始等について合意されたわけでございます。
全部言ってしまう、あななどの方法を選択しますか、悪く言えば、アメリカ的な防衛医療ということにいきましょうし、ある意味じゃ無責任医療という形にもなりましょう。そういう中で、あらゆる患者さん、家族の全部、医療、医者に対する信頼を受けて、その中で言う言わないの判断をしながらやる、これが医者の大変苦しいところであるし、それゆえに尊敬されるべきところじゃなかろうか。
アメリカのような発生の仕方をとりますと、どうしても防衛医療になります。何かまずいことが起きるのは何なんだという御質問がありましたけれども、そのまずいことの一つに防衛医療というような形が起きてくるんですね。面倒な難しい病名をさっさと告知して、それできちっと文章に整えて記録に残して、いつ裁判にかけられても、少なくとも私はきちっと説明しました、これが証拠ですというものを整えておけばよろしいと。
それからまた一方、そういう状況の中で、この言葉が書かれましたときに、アメリカ等でも言われておりますように、それを避けるためにあらゆることを説明し、また想定されるあらゆる疾患を想定して検査をしていく、俗に防衛医療と、こう言われておりますけれども、そういうことが起こってしまうという危険もあるわけでございます。
医療裁判、訴訟が頻発するということになると、防衛医療、おっかなびっくり医療、裁判を起こされるぐらいであれば、今までの経験則に基づいて、まずこれならば間違いあるまいという医療しか行われなくなってしまうのではないか、かような御批判もあるようでございますけれども、インフォームド・コンセントなる理念をこれから現場に反映させるという点についてどのような御見解をお持ちか、お教えいただきたいと思います。