1982-04-22 第96回国会 衆議院 科学技術委員会 第5号
この間われわれ科学技術委員会が筑波を訪ねまして、防災科学センターに行ったときにちょうど地震が起きましたよ。地震が起こらないと思ったら、われわれ科学技術委員を歓迎して地震が起きて、その地震の結果、針の動きが全国みんなどの辺にどうなるかということがあらわれてきました。われわれには大変いい勉強でもありました。 この原子力船から使用済み核燃料を引き抜く場合に一日一体ですよ。
この間われわれ科学技術委員会が筑波を訪ねまして、防災科学センターに行ったときにちょうど地震が起きましたよ。地震が起こらないと思ったら、われわれ科学技術委員を歓迎して地震が起きて、その地震の結果、針の動きが全国みんなどの辺にどうなるかということがあらわれてきました。われわれには大変いい勉強でもありました。 この原子力船から使用済み核燃料を引き抜く場合に一日一体ですよ。
○政府委員(四柳修君) 御案内のように、防災科学センターと海上自衛隊とで観測を続けておりますけれども、五十三年十二月十一日の小規模な水蒸気爆発以降には特段の変化はございません。
この中に「雪害」というのがございますが、昨年私どもが防災科学センターの新庄支所ですか、あそこへ寄らしていただいたわけでありますが、あそこの所長さんが言っておりましたけれども、少人数でいろいろな地元の問題を抱えて一生懸命やっておるという、だけど、研究費といいますか図書費、その書類、文献やなんかを収集することも大変であり、図書費も非常に事欠いておるんだという、私どもに見してくれたスライドも何か自分たちでみんな
今度の防災科学センターはその一翼を承ってくださるのですけれども、今後惜しみなく、災害が発生した時点の後始末の金を思うときには、その金を予防につぎ込むということに政治の総力を結集してもらいたいと思うのです。国務大臣としてこの点、もう一度御決意を承りたいと思います。
○末広説明員 これは先ほど申し上げましたように、むしろわれわれはもっと東京に近い地震を気をつけなければならないということで、私からお答え申し上げるのもいかがかとは存じますが、すでに国土地理院と科学技術庁の防災科学センターが中心になりまして、東京に非常に近いところで地震活動がどうなっているかあるいは地殻変動がどうなっているかという特別観測をお始めになっております。
さらに、昨年のやはり建設委員会で、当時の西村大臣が、建設省として今後防災科学センターあるいは環境庁あるいは文部省の文化庁、農林省といろいろ相談して進めたいと答弁しているが、一体建設省は具体的にどのようにその後進められているか、答弁をお願いしたい。
したがいまして、防災科学センターあるいは建設省の土木研究所あるいは農林省の方々、もう一回ひとつ集まって、これは何も形式張った調査会でなくてもいいのですが、今回のあの大量の土砂くずれを契機として、もう一ぺん衆知を集めてひとつ上のほうに挑戦して、はたしてどういうような方法をとっていくかということを、これはもう少し突き進んでやっていかなければならぬのじゃないか。
それは材料を運ぶたって道をつくらなければならぬし、いろいろ問題がございまするから、まあ、一応その辺は建設省といたしましても、今後防災科学センターあるいは環境庁あるいは文部省なり文化庁等とも、あるいは農林省等ともいろいろ御相談を申しましてひとつ進めたい。しかし、主眼点は土石流が道をふさいだり河川をふさいだり、あるいは田子ノ浦まで土石流が流れるということは、これは絶対あってはならぬ。
それから地震の予知に対して、いまのところ文部省やら中央防災会議のほうが専門であって、科学技術庁はつんぼさじきのようなかっこうになっておるが、地震に関しては例の防災科学センターでやっておる程度で、文部省やら中央防災会議のほうへお株を譲って、ただ地震研究所をささやかに持っているのにすぎないのが科学技術庁か。これを一つ御答弁願いたい。
また、今回の研究は、防災科学センターが中心となり、関係の政府機関が協力して実施したものであります。そうして、実験はこれら機関の責任者による研究連絡調整会議によって研究の分担と協力体制を定め、実験の指揮は防災科学技術センターの職員が一元的にとっており、いわゆる寄り合い世帯だったからうまくいかなかったということではございません。
昭和四十四年九月十三日、国立防災科学センター所長から川崎市長にあてた研究協力に対する依頼文書によりますと、そのつど連絡をするということが明記して約束してあります。ところが、実験にあたっては何の連絡もなしに行なったのであります。これは政府が、地方公共団体を単に国の下部機構とする権力支配の姿である、私はこう断じたいのであります。
現在新潟県下には、防災科学センターの機関として、三十九年長岡市に雪害実験研究所、四十四年新庄市にその支所が、それぞれ設置されているそうであります。ところが、これは現地の声でありますが、当初の目標とするところの十分の効果があがっていない、こういうふうに聞きました。
○石川政府委員 地震の問題につきましては、当庁の防災科学センターにおきましていろいろな研究が実施されているわけでございますが、この中でも特調費を使ってやっておるものもございます。四十四年度におきます防災科学技術の中で、地震関係といたしましては北松型地すべりの発生機構とかいうようなものが入っておりまして、地震予知そのものの内容を含んだものはないわけでございます。
まず、国立防災科学センターにございます雪害実験研究所の強化についてでございますが、この雪害実験研究所は昭和三十九年度に新潟県の長岡に設立されたわけでございますが、設立以来、低温実験室あるいは外来研究者の宿泊施設というような各施設、設備を充実してまいったわけでございます。
二年続けてああいう集中豪雨が来ることはどうもということで、昨日私は防災科学センターの寺田博士をたずねまして、集中豪雨ということは習慣性があるのじゃないかということを聞きに参ったのでございますが、そういうような短期間の習慣性はないが、やはりある程度の習慣性というものはあるでしょう。昭和十三年に神戸がやられました、六甲が。また本年六甲がやられたのであります。昭和二十年には呉がやられました。
ところが、報道によりますと、東大地震研究所あるいは国立防災科学センター等の権威者も集まられまして、この地震を、松代群発地震というように、きわめて呼称の範囲を縮めたような名称にして対策を講ぜられるというように報道されておるわけでありますが、政府におきましてはこれはどういうふうにお考えになりますか。
こういうことでは、私ども委員会が極力防災科学センターの設置を推進した意味がないわけです。
○岡委員 それから、防災科学センターの和達さんにお尋ねしますが、ボーリングはもうすでに実施計画が立てられ、そして大体いつ着工するか、その予算の裏づけも確保されたという状態にあるわけですか。
防災科学センターというものは、いろいろと研究の成果を防災そのものに役立てるような行動的なものを何かしなければ、私どもの側から言うと、満足はできない。ところが、どうも研究の範囲にとどまって、それをこうしなければいけないという必要性を勧告はするけれども、ある的確な力をもって必要な何かの措置をある機関にしろというような命令、あるいは指導の強い力というようなものが発揮できないんじゃないだろうか。
○岡委員長 纐纈政務次官にお尋ねしますが、こうして防災科学センターはおおむね水があり余ったときの対策ということが研究の中心であります。ところが、現実には水が足りない。いかにして水資源を確保するかということが問題になってきた。