2016-03-17 第190回国会 参議院 外交防衛委員会 第5号
それで、清原が上がってきたものですから、上がった瞬間に闘魂、正確には闘魂注入なんですが、びんたをしたらいい音しましてね、バチンと。ざまを見ろ、このやろうと思ったんですけど、まあそのときに彼が改心しておけばこういうことにならなかったかなと思いますが。
それで、清原が上がってきたものですから、上がった瞬間に闘魂、正確には闘魂注入なんですが、びんたをしたらいい音しましてね、バチンと。ざまを見ろ、このやろうと思ったんですけど、まあそのときに彼が改心しておけばこういうことにならなかったかなと思いますが。
○アントニオ猪木君 五月の二十三日ですね、仙台の若林区と福島の相馬市に招待をされまして、東日本大震災の後、田んぼが浸水、海の塩水が入ってしまって、これは田んぼをまた復興させるのは難しいと言われる中で、地元の農家の皆さんの努力で今回その田んぼをもう一回復興させようということで、それで、できたお米は闘魂米という名を付けるそうですけど、立ち上がれ、元気になってほしいということですが。
また、びっくりしたのが、二%しかシェアが伸びていないにもかかわらず、何か全国で今治タオルがこれだけ人気があって名前が知れていて、隣に松田先生おられますけど、松田先生のところの議員の先生の闘魂と書いたタオルを見たら、そこにも今治って書いてあるんですね。それぐらい多くの方が愛用されているという、本当にすごいなと思うんですが。
まずはこの国会が元気でなければ日本も元気にならないよということで、私も何十年、この挨拶と、また気合入れ、闘魂注入といいますが、行く先々でやらされますが。 今日はまず、先日にも質問をさせてもらいましたが、選挙、相変わらず衆議院解散・総選挙という報道をしているところがありますが、この辺も早く、その誤字に対する、どう対処するか、まあ今日のテーマではありませんが、ちょっと言っておきたいと思います。
もちろん、ワーク・ライフ・バランスとかは持論でいらっしゃいますし、やっていらっしゃるんだな、あるいは意識改革、スピリット、闘魂注入というようなことも、これも大臣の属人的な改革としてやっておられるんだろうなというふうには受け取らせていただきました。
でも、この先生は、いつも手術に臨むときに赤い闘魂タオルを巻いて、元気ですかということで気合を入れて手術台に上るそうです。余り冗談を言っているとまずいですから、冗談とふんどしはまたにしろということで。 ちょうど北朝鮮問題も先ほど出ておりました。今日、テレビニュースを見ていると、まさに横田夫妻のお孫さんに会ったニュースで一色だったんですが。
そこの、泉さんの話も今ありましたが、もう壮絶なる、日本に復帰したいということの激しい闘争の中でというか、物すごいその辺の闘魂がそのまま今もあふれていて、お子さんに至るまで、日本に復帰というものがいかに闘いであったか、そして、ずっとそこは奄美大島に住み続けていて復帰を願っていたということがある。
ちょうど私は平成元年に参議院に立候補いたしまして、そのときに、テーマはスポーツ交流を通じて世界平和というのが私の理念で、そして今日に至っておりますが、闘魂外交とも言われていますが、例えば平成の二年でしたか、ちょうど私が議員になってすぐなんですが、湾岸危機が起こりまして、本当に世の中が大変な騒ぎになって、当時政府も、あるいは外務省も国連も打つ手がなしという状況の中で私がいきなりイラクへ飛び込んだものですから
これまでの先生の活動を顧みると、草の根闘魂を掲げながら、絶えず闘い続けてこられたことに思い至ります。与党の一員であっても、信念に反することがあれば、政府の方針にもちゅうちょなく異議を表明されました。中村先生の信念を貫こうとする気迫に圧倒されたものです。 その一方で、ユーモアを欠かさず、温かみのある語り口は、会派を超えて我々の耳を引き付けました。
まさに野田総理らしい真面目な御答弁、愚直に真面目に、そして燃える闘魂を秘めながらこれまで政権に取り組んでこられた、まさに総理らしい御答弁でございました。 総理、まさに、この裏側にも示したとおり、経済成長も、先進国、新興国、大変厳しい状況の中で、我々は土俵際で踏ん張っているんじゃないか、こう思うわけであります。
これは、平成十一年四月二日、健祥会プレゼンテーション開所というのが、この写真が先ほどから読み上げている「草の根闘魂」の中の写真部分にございます。 これは、私も全員存じ上げませんが、一番左の方は今回この通常国会でも大変有名になった方で、鈴木宗男さんの秘書であったのか、今もあるのか、ちょっとこれは定かじゃないんですが、ムルアカ氏です。
○齋藤勁君 中村博彦氏は、後ほども引用さしていただきますが、私の手元に「草の根闘魂 中村博彦半生記」という著書がございます。
青森県でも闘魂旗というのを争っていますよね、高校総体で。学校の生徒が少なくなると全部の部活はできないんですよ。そうすると、大きな学校の強いところにみんな選手は集中しちゃう。例えば、バスケットは能代工業に行けと。なぜかというと、うまい選手は下手なのと一緒にやっていると毎回一回戦負けなんですよ。そうすると、大会が五つあったって五試合しかやれない。強ければ決勝まで行って優勝する。
それには本当に若人が闘魂をかき立てるような政策が伝わってきません、大変難しい質問になるかもしれませんが。それから、これからのそういう政策で十分かどうか、ちょっとお聞きしたいと思います、総理に。
○稻葉修君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員松沢俊昭君は、昭和五十七年一月以来、大腸がんのため再三の大手術を受けられ、文字どおり満身創痍の状態にありながら、持ち前の闘魂たくましく不死身の活動を続けてこられましたが、去る十一月十日御家族の手厚い看護のかいもなく、新潟大学附属病院においてついに逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。
その後、病のため、立候補を断念したり、苦杯をなめる等、幾多の困難に当面いたしましたが、不屈の闘魂と懸命の努力により、再び本院に復活し、昭和三十三年以来今日まで引き続いて在職、ここに満二十五年を迎え、永年勤続の表彰をいただきました。(拍手) 今日、この光栄に浴することを得ましたのは、ひとえに諸先輩、同僚議員各位、本院関係者皆様の御厚情と御鞭撻のたまものであります。
だが、そんな時、絶えず市瀬会長の耳元で失いかけた闘魂と執念とを呼び覚ましたのは、子息が臨終の際に言い残した「親父、くやしい、仇を討ってくれ!」という悲愴にして凄絶な遺言であった。 「負けてはならない、息子の遺志を果すまでは」という決意が蘇えった。
第二師団司令部第一部長の名で各連隊第一科長にあてて、良書の紹介、図書名は堀江正夫闘魂の詩です、これを全隊員に業務連絡文書で送り、坂田道太氏の「推せんのことば」もついている。そして、これには詳しい経歴がついている。こういう業務連絡が旭川の第二師団で行われていたとしたら、自治大臣、いかがですか。
それから先ほどの堀江正夫氏、これは自衛隊の各要職を経た、最後に西方総監を終わった人でございますが、この人が、自分の思い出なり自分の信念を書いた闘魂の詩、これは一度読んでいただいたらおわかりかと思いますけれども、実にわれわれにとってはすばらしい本だと思っております。
有名な人の「闘魂の人」という本です。これはすぐ買えます。闘魂とは何かということなんだが、これはくしくも昭和三十八年から昭和四十三年に至る国有地払い下げをめぐって、おれはこれだけの戦いをやったということを書いてある本です。この中には大平さんの名前こそ出てきませんが、福田さんの名前が出てきます。田中角榮さんの名前も出てきます。佐藤前総理の名前も出てまいります。池田勇人さんの名前も出てまいります。