2001-04-04 第151回国会 参議院 憲法調査会 第5号
それに、今特に私は緊急だと思いますのは、これはいろんな歴史観があると思いますが、十九世紀の後半から二十世紀の最後の十年ぐらいにかけて世界史を見ますと、いろんな見方があると思いますが、一つの見方は私有財産に対する考え方の闘争史であったとも言えると思うのです。私有財産を廃止するとか、その相続権を奪うとか、そういうのが実際そういうスローガンのもとにできた国家もございます。
それに、今特に私は緊急だと思いますのは、これはいろんな歴史観があると思いますが、十九世紀の後半から二十世紀の最後の十年ぐらいにかけて世界史を見ますと、いろんな見方があると思いますが、一つの見方は私有財産に対する考え方の闘争史であったとも言えると思うのです。私有財産を廃止するとか、その相続権を奪うとか、そういうのが実際そういうスローガンのもとにできた国家もございます。
ここに、私の手もとに「日本漁民闘争史年表」というのがあります。これはある篤志家が、私に贈られたもので、最近の状況は今日に始まったことではない。これは、正保元年からの年表でありますが、これを読んでみて私は、まことに感深いものがありました。その二二ページに次のような一項がある。現在、問題になっておるところの兵庫県の高砂の公害の歴史であります。
君は、この多忙な中で、「六〇年安保闘争史」など、あまたの著書をも残されております。 この献身的な活躍は、君の人柄と相まって、広く人の信頼と期待を集めるところとなり、一昨年の参議院議員通常選挙にあたり、推されて全国区から立候補され、みごと当選の栄を得られました。 君は、当選の直後、立候補した目的と今後の抱負を、こう語っておられました。「私は二つの目的をもって立候補いたしました。
思えば明治十三年、栃木県足尾の山々に源を発し、群馬県を流れる渡良瀬川の足尾銅山鉱毒事件は、わが国の公害第一号として広く知られておりまして、地元の代議士田中正造翁の血のにじむような闘争史は、明治時代における最大の社会問題として歴史に残っているのであります。
あるいは、この張貞礼の持っていた民族解放闘争史というようなものも押収している。女性同盟の会のいろいろな記録がある。これは、朝鮮文のものもあるし、日本文のものもある。これをみんな押収していっている。団体関係のいろいろなことを書いた日本文の雑記帳まで押収していっている。電話の一覧表から団体関係を書いたそうしたもの、小さなノートまで押収している。
ここに今、日教組の闘争史があります。これは文部省の記録じゃないけれども、もっとある意味では大衆的なものです。この中に、たとえば昭和二十二年の三月だったと思いますが、日教組の前身の全教組の時代、当時私は責任者をやっていたわけですが、時の文部大臣高橋誠一郎、これは徹夜にわたって交渉をしたことがある。その中の記録にはっきり現われている、文部省にも記録があるでしょうから、それを読んで下さい。
学校教師風に申しますと、予算の編成権が政府にあるということは、もうすでにストルムやゼーズの時代から、世界の予算学者によって認められておることでありますし、また歴史的に見ましても、議会は予算審議権獲得闘争史ともいうべき発達を遂げてきておりまして、結局納税者の代表者が予算の編成権を持つべきだというように決定してきておるのであります。
従って、必ずしもどこに論争点があるかというよりも、相当露骨に申せば、医薬関係者の非常に歴史的な闘争史を背景にしての感情的な部分も、かなり加わっておるのではないかというふうにさえ、客観的には見られるのであります。しかし、これは私が医薬分業の推進論者の立場としてでなしに、厚生大臣としての客観的な立場からながめまして、そういうふうに国民には印象づけられておるのではないかというふうに私は思っております。
七十有余年来の分業闘争史の上において、今度くらい大金が使用され、しかも広範囲に政治献金がされたということは、おそらく初めてでないかと思うのであります。この点について明確な御所見を承わりたいと思います。