2000-04-20 第147回国会 衆議院 決算行政監視委員会第四分科会 第1号
しかし今日、関越高速道路の完成を見て、新潟のかわりばえは極めて大きいものがありまして、政治の衝にある一人として、ここまでに至りました、田中角栄先生を初めとする先輩の方々、また、それを後押しされて、その計画を立案されました建設省、道路公団の方々にひとつ深く敬意を表する次第でございます。
しかし今日、関越高速道路の完成を見て、新潟のかわりばえは極めて大きいものがありまして、政治の衝にある一人として、ここまでに至りました、田中角栄先生を初めとする先輩の方々、また、それを後押しされて、その計画を立案されました建設省、道路公団の方々にひとつ深く敬意を表する次第でございます。
私もそのころちょうどダイオキシン調査で東松山、あそこの所沢、新座、ある意味では関越高速道路のインターチェンジを出るところごとに大変なごみが、寝る前は百メートル平方ぐらいの空き地だったのが、目をあけたら夜明けにはごみの富士山になっているというような状況のところに、一番北に東松山というインターチェンジがあります。そこへ出て、建設産廃も含めて見ますと、その近くに川がある。
そして、その中越も延びているところを見ますと、いわゆる関越高速道路の周りだけなのであります。 私はこれに気がついたときに、日本の全国の高速道路の開通と付近の健康状態の状況をコンピューターで分析してみました。そうしますと、五年たつと高速道路の周りの寿命は急速に延びる、こういう現象がはっきりわかっております。
関越高速道路から車で降りてちょうど十分ぐらいの非常に地の利のいいところです。最近は、観光客も来て、牛を見ながらそこでヨーグルトを食べたり牛乳を飲んだりして、そうした経営を家族総出で、十人未満の家族でやっておる。 その方でさえ、この設備投資を返すのに大変な苦労だ。埼玉県は北海道と違いますから、いわゆる近郊酪農です。
車はぺしゃんこでございます、関越高速道路でございましたけれども。そして、気を失いまして、病院に担ぎ込まれて、どうもほっぺたをたたかれたような記憶がありますが、目が覚めたときに最初に医師が私に言った言葉は、あの事故であれば間違いなくあなたは即死、まあよくて脳死だったなと。
要するにそれは、関越高速道路をつくりあるいはまた北陸高速道路をつくり、そういう日沿道ですね、鶴岡、酒田の方に日本海の道路をつくる、あるいはまた磐越高速道路をつくるということを申されまして、まさしく扇のかなめが新潟に来るんだ。
次に、関越高速道路の防音対策について、これも少し具体的問題をあわせてお伺いしたいと思います。 大臣御存じのように、関越高速道路は今東京から新潟まで開通になりました。当初の練馬-川越間開通が昭和四十六年でございまして、足かけ二十一年目になります。大変に東京と新潟を結ぶ重要な生活産業道路になってまいりました。しかし二十年たちまして、また大きな変化も今起きてまいりました。
これは新潟県でも関越高速道路ができたときは大変企業誘致がふえたわけでございまして、全国で常に一位、二位、三位ぐらいを争っていたんですけれども、最近は福島県の方が随分と企業進出が進んでいるそうでございます。そういうことのためにも国道、高速道路の整備というのは非常に大事だと思うのでございますが、建設大臣の御所見を承って、最後にいたします。
またことしも募れから来年の当初にかけて同じような犠牲者が出ることが予想されるわけでありまして、事は極めて重大である、私はこのように考えておるわけでありますが、この両地区におきます冬季の交通対策を抜本的に見直して、例えばシェルターを設置するとか、あるいは関越高速道路のような自動融雪装置ですか、こういうものを取りつけるとか、何か根本的な改善措置を検討すべきときが来ているのではないか、このように思います。
関越高速道路、湯沢のトンネル四車線、今工事なさっておりますが、これはいつごろできる見通しですか。それから練馬インターおり口の混雑解消、これはいつごろをめどにやっておられるのか。
特に私は、具体的には関越高速道路とぶつかるジャンクション、これが鶴ケ島町でございまして、ここは町が十字路で真っ二つに切られるジャンクションでございますので、この対応についてはぜひ地元の意向を聞いていただきまして積極的な国策に頑張っていただきたい、このことを大臣に一言対応をお伺いして、終わりにしたいと思います。
今回、鶴ケ島町-八王子間、関越高速道路にジャンクション、そして中央自動車道にジャンクション、約五十キロ、三千二百億が投入されるわけでございますが、これに十年かかる。しかし、またこれは全体の計画から見ますと六分の一程度でございまして、全体ができるとなるとこれは大変な、六十年ぐらいかかるか、こんな感じもするわけですね。
私の県は埼玉県で、革新系の知事さんがおられた関係で、この間選挙をやった中でどうも対決姿勢があるんじゃないかと言われて、私たちもそう信じてきていたのですが、最近知事さんは東京の方へもどんどん出てこられるし、大変積極的に政府との対話を図っていきたいというふうに見受けられるわけでございますが、関越高速道路ができたときに、あの辺でエアポケットみたいにちょっとおくれている場所が残っているんじゃないか。
新幹線が終れば北陸高速道路、関越高速道路、電源開発、新潟県にはずっと公共投資がやってくる」「私がね、大臣になった時は新潟県には国道は四本だけ。それが今や二十四本。道路や橋は県や市だけの力じゃできない。」これは田中元総理が最近地元へ帰って述べられている言葉でございます。
また一方、道路の問題になりますと、この地域は御存じの関越高速道路が走っておりまして、防音問題などにつきましては、私も何度か陳情させていただきまして、大分対策も進んでまいりましたが、まだまだ相変わらずの人口急増に伴いまして、道路が先にできて家が後から来るといった問題もございますけれども、やはりこの人口急増という中におけるこの関越高速道路の防音対策、これも非常に重要な問題であろうと思うわけでございますし
ところがその後、関越高速道路が建設されるということでその買収にあい、補償金をもらうということになった。土地を買収されたわけです。そこで、その五万羽を埼玉県から栃木県へ県間移転することを県に承認させた。この間、政府の方にもこの話は十分通じたということで、地元ではけしからぬと言っておるわけです。この兜川鶏業は、その裏には味エサ会社がその資本を出しているとも言われております。
○三木忠雄君 まず、関越高速道路の概況でちょっと伺っておきたいんですけれども、これは大体当初の計画から何年間ぐらいずれ込む予定ですか。
○小林(進)分科員 いみじくも大臣、君も新潟じゃないかとおっしゃったのでありますが、私は郷土の関係は離れましても、ナホトカとかウランゲルのほんとうの近道は新潟港でございますし、そこへまたいま新幹線が入り、関越高速道路が入り、表日本とも近距離でございますから、裏日本の中でも中心港というものをこの際ひとつつくり上げて、これをきちっと受け入れる。
それと常磐高速道路、そうして東北縦貫道路、それからもう一つは、関越高速道路、こういう四本のいわゆるインターチェンジがつくられるわけでありますからして、相当大きなものをつくっておきませんと、またあとで拡張しなければならぬ、こういう問題が起きますので、何でもでっかいことはいいことでありますから、やはり思い切った措置を講じてもらいたい。
○河野国務大臣 ただいま申し上げますように、関越高速道路は、これは新潟と東京を結ぶ道路でございまして、これは将来本州の、先ほどもお話がありましたが、あばら骨のような道路、裏と表をつなぐ場合にどうするかというような道路として検討されるものと心得ます。