1989-12-01 第116回国会 衆議院 内閣委員会 第5号
今度行われたPACEX89というのは、このシナリオを具体的にしかもできるだけ実戦形式に近い格好で試みたということで、例え少々古いですけれども、いわば戦前の旧日本軍の関東軍の関特演、こういうようなものと同じではないかというふうに思うわけであります。だから、こういうような対ソ威嚇的な演習はやめるべきではないか、私はこのように思うわけでありますが、総理はどうですか。
今度行われたPACEX89というのは、このシナリオを具体的にしかもできるだけ実戦形式に近い格好で試みたということで、例え少々古いですけれども、いわば戦前の旧日本軍の関東軍の関特演、こういうようなものと同じではないかというふうに思うわけであります。だから、こういうような対ソ威嚇的な演習はやめるべきではないか、私はこのように思うわけでありますが、総理はどうですか。
そういう罪悪を犯しているのみならず、その年、関特演——関東軍特別大演習の名のもとにソ満国境に日本の陸軍は七十万の軍隊を集めたんですよ。いつでもヒトラーとはさみ打ちできるという態勢をやったんですよ。 こういう悪いことをやっておって、それを口をつぐんで、ソビエトの悪口ばっかり言うのは片手落ちじゃなかろうかと思います。
しかし、大体太平洋戦争の開始以降というふうな考え方と、それから若干おくれまして昭和十七年の関特演という一つの軍の計画ができました以降というふうな問題、そういうふうなことで若干懇談会の議が、もうすぐ出てまいると思いますが、そういう現状でございまして、附帯決議の趣旨もございますし、そういう方向で進んでおるわけでございます。
このいわゆる関特演こそは、独ソ戦が独軍側に有利かつ迅速に進展するとの見透しに基づく対ソ武力行使の準備であった。ところが、あてにした独ソ戦は、ヒトラーの言明通りには進展しなかった。」このように書いておるのであります。 議長より時間の注意がありまして、—————————————————————このため、その国の危急にもかかわらず、ソ同盟軍の多数が極東にくぎづけされたというのが事実のようであります。
このいわゆる関特演こそは、独ソ戦が独軍側に有利かつ迅速に進展するとの見透しに基く対ソ武力行使の準備であった。ところが、あてにした独ソ戦は、ヒトラーの言明通りには進展しなかった。」このように書いておるのであります。
昭和十六年の関特演、関東軍の特別大演習のときには、私はちょうど教練指導員でおりましたししますので、その中の訓練生を五十名すぐ出してくれ、そして指導員一名つけということで、私が行きまして、宝清県から大和鎮に至る湿地の道路建設作業、それを、軍の隊長は滝川中尉でありましたが、その方と下士官、兵が各班に責任者につきまして、約三カ月間軍のまかないを得まして作業に従事しました。
昭和十六年に大東亜戦争が始まりましたとき、いわゆる関特演、関東軍特別大演習で満州の官民の大戦時編成が行われたのでございますが、その前後から国境建設計画――国境地帯の四十キロは青少年で固めなければいけない、一般開拓団ももちろん国防の用をなすけれども、青少年義勇軍は足手まといがないということで、全満に小訓練所が六十三カ所ばかりございましたが、いずれも義勇隊の訓練所は国境地帯に配置をされたわけでございます