2002-07-25 第154回国会 衆議院 安全保障委員会 第9号
私は、一九八六年の第一回の訪朝の後、同じ日本経済新聞社に勤めている同僚記者に、内閣情報調査室と公安調査庁関東公安調査局に連れていかれまして、その当局から日本の安全のために協力してほしいと懇請され、ささやかな愛国心から協力を約束しました。 内調で私を担当したのは、当時一課課長代理で防衛大学一期生の内山實人氏と調査官の小島勝成氏でした。
私は、一九八六年の第一回の訪朝の後、同じ日本経済新聞社に勤めている同僚記者に、内閣情報調査室と公安調査庁関東公安調査局に連れていかれまして、その当局から日本の安全のために協力してほしいと懇請され、ささやかな愛国心から協力を約束しました。 内調で私を担当したのは、当時一課課長代理で防衛大学一期生の内山實人氏と調査官の小島勝成氏でした。
表題が「手記 私が愛した「北朝鮮スパイ」」小見出しで「ヨメ外交のパイプ役・吉田猛氏の父親の正体」、こういう手記が出ておりまして、この久仁昌氏というのは関東公安調査局の第二調査部長を最後に退職した元公安調査庁の職員の方でいらっしゃいますけれども、若干ちょっと読まさせていただきますと、 一九八二年、私は公安調査庁調査第二部の課長補佐として、朝鮮半島情勢の情報収集と国内の北朝鮮スパイ活動の調査を担当していた
ただ、山口氏を連れ去るときに自動車六台が使用されていますけれども、この六台の番号を調べたところが、いずれも関東公安調査局の公用車であることがわかりました。とすれば、あのときに山口氏を連れ出したのは公安調査庁の職員だというふうに推定されますけれども、間違いありませんか。
○説明員(緒方重威君) お尋ねの西元某につきましては、議員が御質問されたとおりでございまして、昭和四十四年の十月から五十二年の五月まで七年七カ月、関東公安調査局に勤務しておりました職員でございます。退職後約十一年たっておるものでございます。 在職当時の職務内容を申し上げますと、過激派関係の調査をいたしておりました。
○説明員(鎌田好夫君) 刑訴法の規定はよく承知しているわけでございますが、先ほども申し上げましたように、犯罪があったのかどうかということを関東公安調査局としてはまだ判断できなかった。かなり調査に当たった人たちは疑問を持っていたわけでございますけれども、それを断定するまでには至らなかった。
○説明員(鎌田好夫君) 確かにこのような事実があったということを知ったのは、先ほど申したとおりでございますが、関東公安調査局におきましては、直ちに吉田医師から事情を聞き、鈴木、沼尻からも事情を聞いたわけでございます。
○安武洋子君 今回の事件の経緯、これを見てみますと、起訴された両名はもちろんですけれども、私は関東公安調査局の幹部、この態度にも大変重大な問題があろうかと思います。鈴木の場合ですけれども、昭和五十四年から五十五年にかけまして開業医から三千万円だまし取っておりますけれども、さらに昨年の五十六年に新宿の喫茶店主からも五百万円をだまし取っております。これで追起訴をされております。
第一、関東公安調査局の公安調査官が、新右翼に属する統一戦線義勇軍の調査に従事中、昨年十二月から本年一月にかけ三回にわたり、独自の判断で右義勇軍の幹部の求めに応じ、警察の作成した資料のコピー数点を交付した事実があったとの報告を受けております。交付いたしました資料は、統一戦線義勇軍の集会、デモの実施状況等を取りまとめて記載したものであったと聞いております。
おおむね新聞に記載されたような事実があったわけでございまして、関東公安調査局に所属する若い調査官でございますが、五十三年から右翼の調査を担当している調査官が、統一戦線義勇軍と称する右翼団体の調査に当たっておったわけでございます。
ところが、私がきょう持ってまいりましたのは、これは松井茂というかつて公安調査庁の元関東公安調査局調査官、この人の、「ソ連の対日戦略」という本であります。この中に大変重要なことが指摘をされております。これは活字でありますから、そのまま読ませていただきますが、ブレジネフ書記長と田中首相とのやりとりがここに載っています。
たとえば具体的に言うと、千代田区に関東公安調査局という跡があるのですよ。あれが三千坪から四千坪、もっと大きいと思うのですが、そういう非常にまとまった、都心部で最後の国有地でありますけれども、そういったものを青年のための施設にやるべきであるということを労働省に言って、労働省の人たちは賛成だと言っているのです。
洗っているという表現が外務省、法務省、警察庁あたりからいえばあるいは不満かもしれませんけれども、要するにその記事によりますと、法務省の関東公安調査局第二部の安田一郎第一課長と公安調査庁の大野義雄調査官の二人が朝鮮総連との関連を確かめるために太刀川氏の周辺を調査したということになっておりますが、はたしてこういうような事実が実際にあったのかどうか、いかがでございますか。それぞれ関係の方から伺いたい。
○大久保(直)委員 先ほどの容疑事項の中に、日本の朝鮮総連の秘密組織員であり、そこからまた指示を受けて云々という一項目がございますのですが、この件については、関東公安調査局が独自の立場でいろいろ調査を進められたやに伺っておりますが、その調査の結果につきましても、外務省当局にも当然結果の報告があったと思いますが、その点についてはいかがでしょうか。
そこで、ここに出入りする人物を尋ねているうちに、たまたま千葉県の千葉市あやめ台団地というところに住んでおられる関東公安調査局の調査官樋口憲一郎という人、これは正真正銘の関東公安調査官が、出入りをしているということがわかったわけでございます。
それから、同じく千代田区に関東公安調査局あと地が五千二百十坪ありますね。これも地元のほうでは緑地をつくってくれ、あるいはその他の公共用のいろいろな施設をつくってほしいという要望があるわけですけれども、こういう点は優先的にぜひ国有地を有効に払い下げてほしい。 それからもう一点。
ただいま先生御指摘のとおり、昨年の十一月から十二月ごろにかけまして、関東公安調査局の職員が、全逓東京地本本郷支部の書記長である櫻庭某という、党員と見ておられる者に対し、接触をはかったという事実はございます。
○青柳委員 それでは、全然内容はわからないでいるということのようでありますけれども、私が公安調査庁関東公安調査局の人から尋ねたところによりますと、ただいま申しましたように、いずれも右翼団体として資料を持っておられる。
私ども公安調査庁といたしましては、羽田事件が勃発する前、一部の学生集団は険悪な動きがあるというような情報も入手いたしまして、これを関係機関に通報いたしますと同時に、八日の当日は関東公安調査局を動員いたしまして特別調査態勢をとりまして、相当数の公安調査官を早朝から現場に派遣いたしまして事態の動向を視察させました。その視察報告を総括いたしました。
先般の衆議院選挙におきましては、党首の赤尾敏が東京の第六区から立候補いたしまして、四千八百二十九票というような得票をおさめておるのでございますが、このたびまた東京都知事選挙にも立候補いたしまして、その言動に穏やかでないような節も見受けられますので、関東公安調査局を中心に厳重にその動向については調査を進めておりますが、現在までのところ、さしたる特段の動きは認められない状態でございます。
○説明員(樺山糾夫君) 関東公安調査局につきましては、三十五年に実地検査をいたしておりまして、それ以後は実地検査をいたしておりません。しかしながら、一昨年、週刊誌に掲載され、再々にわたり非常に問題がありましたので、その際にいろいろと特別に別に調査をいたしております。
〔写真を示す〕 法務大臣、この人は今関東公安調査局に勤めているそうでございます。法務大臣に伺いますが、この住民票によりますと、三十七年八月十二日にまたもとの新潟県の方に住民登録が切りかえられております。そうして、この三月十四日まで、その坂井七郎、という名義のところに今の鈴木警部補がいたということになります。一体こういうことがあるものでしょうか。
○関説明員 お尋ねの松岡君は関東公安調査局調査第一部第一課の職員でございまして、同君が共産党中央本部市民対策部に勤めております本名松本健二さん、ペンネーム宇田真一郎さんに、何とか協力いただきたいというような希望のもとに、そのお近づきを願う手段として、お宅において奥さんが小うたを教えていらっしゃるので、その小うた会に入会してごじっこんを願ったという事実があるのでありまして、その行為は、端的に申しまして