1977-05-17 第80回国会 衆議院 地方行政委員会 第22号
それから、全港湾労働組合というのがありますが、関西地方の沿岸東支部関光分会の脇田分会長というのが、昭和四十二年の春闘中に暴力団の原田組の組員に白昼刺殺されました。しかも、これは争議警戒中の警察官の目の前で登山ナイフでめった切りにされて死亡したのであります。
それから、全港湾労働組合というのがありますが、関西地方の沿岸東支部関光分会の脇田分会長というのが、昭和四十二年の春闘中に暴力団の原田組の組員に白昼刺殺されました。しかも、これは争議警戒中の警察官の目の前で登山ナイフでめった切りにされて死亡したのであります。
さらに昭和四十二年、関光汽船の全港湾関光分会の脇田という分会長が命を落としております。近くは昭和四十八年、神港労連上津港運労働組合の永井という副委員長が死亡しております。これらの一連の自殺もしくは扼殺行為はどういう背景で起きたのか。冒頭申し上げましたように、御承知だったら簡潔にその内容を御説明願うし、御承知でなければ十分調査の上、後日御報告いただきたいと思うのですが、いかがでございましょうか。
○説明員(三井脩君) 大体先ほど申し上げたとおりでございますが、この原田組は関光汽船株式会社の陸上トラック輸送部門を担当いたしておりまして、組員十八名おりますが、八月初旬ごろからこの会社の他の従業員で組織しております全港湾関西地本沿岸関光分会、これは港湾荷役作業員でございまして、二十二名と聞いておりますが、これに対しまして、荷役作業部門を含めて別会社をつくろうという申し入れをいたしたわけでございます
ところが、全港湾の関光分会では、全くそんな申し込みは迷惑なことである、そんな暴行、脅迫をやるような諸君と一緒に仕事がやれるかというので返事をしなかったんですが、七月二十九日に原田組から文書で申し込んできたわけです。これはどういう文書になっておるか読んでもらいたいと思います。
○亀田得治君 私は、本年の九月十五日ストライキ中に大阪の全港湾関西地方本部所属の関光分会の分会長脇田智男君が関光汽船株式会社の車両部門を下請しておりました原田組の者に殺害されたその事件につきまして、関係当局にただしたいと思います。 最初に、警察当局より、この事件の経過、現在の取り扱いの状況、これを概略御説明を願います。
捜査の状況とかあるいは警備に関しまする点は、ただいま三井課長が申し上げたとおりでございますが、この点について一言申し上げておきたいことは、大阪府警察におきましては、この原田組の問題と閃光分会との関係につきましては、ただいま御質問がありましたように、そしてまた三井課長が答えましたように、すでに八月の中旬ごろからそういう情報があったわけでありますから、いろいろな方法をもって警備もし、また関光分会の方たちに