1999-08-04 第145回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第14号
来年は折しも関ヶ原以来の、ちょうどその四百年目になります。国会移転は、いわば歴史的必然的な事業であります。 それでは、JCとして、首都機能移転の必要を述べさせていただきたいと思います。 まず、日本国としての顔をつくる必要があるかと思います。すなわち、自国民だけではなく外国人にも理解できる日本のアイデンティティーがこの国には今必要ではないでしょうか。
来年は折しも関ヶ原以来の、ちょうどその四百年目になります。国会移転は、いわば歴史的必然的な事業であります。 それでは、JCとして、首都機能移転の必要を述べさせていただきたいと思います。 まず、日本国としての顔をつくる必要があるかと思います。すなわち、自国民だけではなく外国人にも理解できる日本のアイデンティティーがこの国には今必要ではないでしょうか。
○参考人(永峰幸三郎君) いやいや、実は私は自分の女房の実家に家を建てましたものですから、その家は関ヶ原の合戦の時代からそこに住んでいるお家でございますので大きいのは当たり前かもしれませんが。その前には当然ごく近くのマンションに住んでおって、女房の親元の一部の敷地の中に家を建てたということです。
上杉家というのは、会津百二十万石の名門であったわけですけれども、関ヶ原で石田三成方についてしまった、徳川方につかなかったということで、その責めを問われまして、そして三十万石米沢藩に転封された。ところが、また不幸なことに、藩主が急に死んでしまったというようなことで相続がもめまして、結局、あの吉良上野介、忠臣蔵で有名でございますけれども、あの上野介の長子の三之介というのですか、その方が養子になった。
政治改革もいよいよ山場となってまいりましたけれども、今から四百年前の一六〇〇年九月十五日、全国の諸大名が関ヶ原に集まって、東西に分かれて、その後三百年の太平の世をつくるために大決戦があったわけでありますが、今まさに自民党案と与党案と大変なこれからの決戦の場を迎えるに当たりまして、私は、自由民主党の一員として、当選後四年間何とか政治改革が実現するようにということで全力で頑張ってまいりましたけれども、いよいよその
それからもう一つは、一六〇〇年、ちょうど関ヶ原の戦いのときだと思いますけれども、そのころの地球の人口というのは五億人だったと推定されているそうです。今は五十四億人。そして数十年たつと百億人を突破するだろうと言われております。
一六〇〇年代、ちょうど関ヶ原の戦いのときは地球の人口というのは五億人だったそうですが、今は五十四億人。そして、もうこのまま行ったら百億人を突破するだろうというような状態。そして、そういう中で、産業革命の当時と今と比較すると、ここの中の炭酸ガスの含有量が毎年毎年〇・五%ずつふえている。二〇三〇年には産業革命前の倍の炭酸ガス濃度になってしまう。こんなことを続けていていいわけがない。
御案内のように壬申の乱、あるいはまた関ヶ原の合戦、織田信長の天下統一の根拠地でもあったわけですね。そういうような意味で、ここで行われる未来博は将来の日本の未来をつくるものではなかろうか、私はこういうふうにも考えておるわけです。
○柄谷道一君 これは旧聞に属しますが、五十六年二月、名神高速道路関ヶ原インターで、三十三台の車両の追突事故が起きまして、死者四名、重軽傷十六名という痛ましい事故がございました。この三十三台の中に佐川急便グループの車両が数台含まれておることは警察も御承知だろうと思うんです。
いまでも新幹線、米原から関ヶ原はしょっちゅうとまりますわね。当時あれは、岐阜県の羽島は計画なかったでしょう。ああいうところに持っていっちゃったんです。そして、そのためにしょっちゅう事故も起きる。やはり国鉄の技術陣が当初考えた計画が正しかったんです。そういう問題にメスを入れないで国鉄再建できますか。そのことは何にも触れてないんですよ。自主的だと。
関ヶ原の合戦のころ天皇の軍隊が存在していたかどうか。大坂夏の陣で天皇の軍隊が働いたかどうか。さらにさかのぼって源平の戦いのころ天皇の軍隊が何をしたかということを考えますと、そのころは天皇の軍隊なんというのは存在しなかったわけです。ずっと下がって元禄時代になって、赤穂浪士の討ち入りのころ天皇の軍隊があったかというと、ありはしないですよ。それが復活したのは御維新になってからなんです。
しかし、信号システムを生かしたままの精密検査というのは限界がございますので、今年度、関ヶ原の装置を一式全部取りかえまして、その使われたものを取り外した状態でさらに精密に点検をして、全体の取りかえ計画というものを早急に決めたいというふうに考えております。
そこでいま、関ヶ原についても対策を急遽とっておるところでございます。そういう意味で、新幹線に関する限りは、在来線以上に雪に対応する対策を初めから考えておかなきゃならぬという要素が一つございます。
しかし、ATC機器もいずれは老朽化することが考えられるわけでございますものですから、関ヶ原の信号機器室におきまして、今年度から、いままで使っておりましたATC機器を取り外して新しいものに取りかえまして、いままで使っておりましたものについては中を詳しく調べるなど、老朽化対策に万全を期しておるものでございます。
関ヶ原あたりでは吹雪で雪が舞ってもう全然前が見えないのですね。そうすると、自分がいま道路の真ん中を走っておるか端を走っておるか、それがわからないのです。ですから、とまった方が安全だということもあるのですけれども、後ろから走ってくるから、とまると危険でしょう、ぼつぼつでも徐行しなければならないのですが、路肩が見えないのですよ。こんな丸いものに何か螢光塗料を塗って、立てておられますね。
われわれもちょっと聞きますと、関ヶ原あたりを避けて鈴鹿山脈を抜いて、むしろ紀の川上流に出て和歌山の方に出る方がいいのではないかという建設省案のワイズマン工法があります。
特に北海道に新幹線を延長するという計画があると思うんでありますけれども、あんな状態で新幹線が走れば、関ヶ原だけで手を上げておる状態が、東北から北海道まで雪の中を新幹線が走っていったらどういうことになるんだろうという気がいたします。
いまの新幹線は関ヶ原だけであのとおりだ、そういうことは大臣としても慎重に考えていただく必要があるんじゃないかということを特に言いたいわけです。まあ、このことはまた改めて申し上げることにしまして、最後にもう一点だけ。 北海道から沖繩の方に話が移って恐縮ですけれども、沖繩の左側通行の問題、実はこのことがきのうもいろいろとわれわれの方の部会で問題になりまして、問題提起があったわけです。
「“非番”がハンドル 事故の前から 検査せずに折り返し」というような形で載りましたし、あるいはまた「新幹線で運転士重体」ということで、「走行中、機器に頭強打幸い二人乗務制だった 関ヶ原付近」、一体国鉄の勤務員は何をしているんだろうかと、私は疑問に思いました。ところが、この間東京駅へ来ましたら、「違法建築により乗務員が殺されかかる」というビラが、今度はこれは国鉄職員の労働組合からもらいました。
の寒冷地手当引上げ等に 関する請願(古屋亨君紹介)(第二五 八四号) 二二六 同(楯兼次郎君紹介)(第二五八五 号) 二二七 岐阜県各市町村の寒冷地手当引上げ等 に関する請願(楯兼次郎君紹介)(第 二五八六号) 二二八 岐阜県大野町の寒冷地手当引上げ等に 関する請願(大野明君外一名紹介)( 第二五八七号) 二二九 岐阜県関ヶ原
第二六一九号) 同(森山欽司君紹介)(第二七二一号) 栃木県鹿沼市の寒冷地手当引上げに関する請願 (船田中君紹介)(第二六二〇号) 同(森山欽司君紹介)(第二七二二号) 同(渡辺美智雄君紹介)(第二七二三号) 岐阜県各市町村の寒冷地手当引上げ等に関する 請願(武藤嘉文君紹介)(第二六二一号) 岐阜県大野町の寒冷地手当引上げ等に関する請 願(武藤嘉文君紹)(第二六二二号) 岐阜県関ヶ原
そのことを申し上げることによってお答えとしたいのですが、ちょうど昨年のいまごろ私は皆さんに申し上げておったのですが、この春闘がどういうふうに決まるか、これが日本経済が発展に向うかあるいは混乱の極に達するか、それを決める天王山、関ヶ原である。そういう意味において私はこの春闘の成り行きを非常に重視し、労使の良識を期待するという発言をずっとしておったわけです。