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43件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2002-07-12 第154回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第8号

国務大臣尾身幸次君) この軍用地だったところの跡地は、これは長い間米軍用地に使われていたわけでございまして、返還をされた跡地有効利用というのは、私ども、これをしっかりと進めなければならない大変大事な課題であると考えておりまして、地元皆様の御意見も聞きながら有効利用を図っていきたいと考えております。

尾身幸次

2000-08-02 第149回国会 衆議院 予算委員会 第1号

沖縄は、長い間米軍統治下に置かれていた、そして今現在、在日米軍基地の七五%があそこに集中をしているという場所でございますので、まさに二十世紀をしっかり総括をして、二十一世紀の展望を明らかにしていくという場所としてはふさわしい場所だったというように思いますし、決められた小渕さんも、アジアの視点で沖縄から平和のメッセージをと、こう言われていたわけであります。  

横路孝弘

2000-05-11 第147回国会 参議院 文教・科学委員会 第16号

しかも、戦争が終わってからも長い間米軍占領下にあったということでありまして、耐えられない苦痛ではなかったかと、こういうふうに思っております。  その意味におきまして、我々といたしましても、同じ同胞としての沖縄皆さん方が受けられたいろいろなつらさを考えますと、本当に胸が痛むというふうに考えております。

須藤良太郎

1998-09-17 第143回国会 参議院 総務委員会 第3号

また、ある意味において私どもは、沖縄地上戦が行われ、かつその後長い間米軍統治下にあり、そして返還をされたこの歴史を考えるときに、沖縄の痛みにこたえて償いをするために、沖縄振興策というのは積極的にやっていかなくてはならないというように考えて、当時の橋本総理梶山官房長官村岡官房長官、それぞれ内閣を挙げ今日まで努力をされてきたわけでございます。  

野中広務

1997-02-20 第140回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

池田国務大臣 私どもも、沖縄県民皆様方戦争中にあのような大変な辛酸をおなめになった、そしてまた、その後長い間米軍占領下に置かれておった、そしてさらに、本土復帰後も今日に至るまで、非常に多くの米軍基地が集中する状況の中で多大の御負担を強いられ、そしてまた苦痛を強いられておられるということに対しては、大変心苦しく思いますし、その御負担が少しでも軽減されるように努めてまいらなくてはいけないと考

池田行彦

1995-11-09 第134回国会 参議院 運輸委員会 第2号

したがって、暫定的にですね、しばらくの間米軍にゆだねましょうと。しかし、もう世界各国に比較しても全く遜色ないトップクラスの能力を持っている、設備の上でも技術水準の上でも。そうであるなら、この進入管制業務日本に移管するというのが日米合同委員会合意に照らしてこれは当然じゃないでしょうか。

筆坂秀世

1993-04-23 第126回国会 衆議院 外務委員会 第5号

しかも、戦争が終わりましてからも長い間米軍占領下にあったということ、これはやはり沖縄の方にとっては耐えられないことではなかったかと思います。その意味において、本当に我々本土の者としては、同じ同胞として、沖縄皆様方の受けられたいろいろのつらいことを考えますと、できるだけの協力をするというのは当然のことだと私は思っております。  

武藤嘉文

1988-05-13 第112回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

他方、これも申し上げているとおりでございますが、国民の生活と関連がある使用条件等部分は取りまとめて外に出すということで、御指摘沖縄返還がなされましたときに、それまでの間米軍の敷地であった施設、区域を提供する合意書が五・一五メモとなっておりますが、それの今の生活に関連する部分は、昭和五十三年五月だったと思いますけれども取りまとめて、公にいたしております、本土のものも幾つかその際公にいたしましたけれども

有馬龍夫

1988-04-25 第112回国会 衆議院 決算委員会 第4号

○渡部(行)委員 次に、ペルシャ湾における米軍の行動でございますが、この間米軍はイランに向けて攻撃を加えましたが、この攻撃つまり自衛権行使である、こういうふうに言われておったわけです。これは大臣はどのように考えますか。こういう自衛権行使の仕方があるとすれば、これは日本自衛権とも無関係ではないわけですから、私は非常に大きな問題を含んでいると思うのです。

渡部行雄

1987-08-21 第109回国会 衆議院 外務委員会 第3号

日本は同じように長い間米軍占領、引き続いて駐留がございました。そして使える、動く部隊というのは今のようなものがあることは御承知のとおりです。しかし、その部隊で十分であるかどうか。その研究は昭和五十三年以来指針に基づいてしておられるわけでございますけれども、それで十分だと思われるならば事前集積は要らない、十分でないと思うならば来援を求めなければならぬ。

永末英一

1987-08-19 第109回国会 衆議院 運輸委員会 第3号

そしてこの進入管制の問題につきましては、沖縄返還の際の合意に基づきまして、今おっしゃられましたように、運輸省進入管制を引き受けるまでの間米軍が実施するということになっておりまして、現在の運輸省の体制といたしましては、技術的には十分この進入管制を行う能力はあるというふうに私どもは考えております。

山田隆英

1986-05-21 第104回国会 衆議院 農林水産委員会 第19号

どもといたしましては、先ほど先生も御指摘になり私も御説明申し上げました使用条件によりますと、田植えの時期、春には一週間の立ち入りを認め、かつその間においては米軍訓練をやるということにはなっておりますけれども、従来、この田植え期間立ち入りにつきましては一応十日間というものが守られてきておると思いますが、十日間ということで実施されてきておりますし、しかもこの間米軍訓練も中止されておるという実情がございましたので

芥川哲士

1986-03-28 第104回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

志滿説明員 沖縄県におきまして提供施設整備により昭和五十六年度から昭和六十年度までの間米軍家族住宅は千六百六十八戸建設しております。  それから現在米軍基地に所在する家族住宅は、米軍が建設したものも含めまして、リロケーションその他も入りまして六子六百戸所在してございます。(仲村委員リロケーションは」と呼ぶ)ちょっと資料を取ってまいりますので……。  

志滿一善