2012-08-07 第180回国会 衆議院 国土交通委員会 第14号
しかし、一九七二年、施政権が本土に返還されてからは、県民の多くはやはり、道路の自動車、バス、タクシーはもちろんですが、鉄軌道などの導入が、大変長い間、県民から多くの期待が寄せられ、この間、振興計画の中でも何とか実行できないかというふうなことが、十年一くくりではあるんですが、振興計画が新しくなるたびにその要求がされてまいりました。
しかし、一九七二年、施政権が本土に返還されてからは、県民の多くはやはり、道路の自動車、バス、タクシーはもちろんですが、鉄軌道などの導入が、大変長い間、県民から多くの期待が寄せられ、この間、振興計画の中でも何とか実行できないかというふうなことが、十年一くくりではあるんですが、振興計画が新しくなるたびにその要求がされてまいりました。
四月から六月にかけてのこの三カ月間、県民にとって恐怖の記憶と鎮魂の祈り、そしてさらにやりきれない怒りと不安、焦燥感が複雑に交錯する季節です。何とかして、我々自身が不運だった歴史、負の遺産を克服して、後世に平和な世界を残さなくてはならないと決意を新たにする季節でもあります。 一九四五年四月一日は、三月末の慶良間列島の悲惨な集団自決を経て米軍が沖縄本島に上陸した日です。
沖縄県には、もう申し上げるまでもなく皆さんがよく御承知のように、多数の施設・区域が集中しており、長い間、県民の方々に大変なその結果としての苦しみを与えてまいりました。
以上、本法案の幾つかの問題点や前進面について述べましたが、本法案は、沖縄の本土復帰以来二十年にも及ぶ長期間、県民がその成立を願ってきたものであり、部分的に不十分な内容があったとしても、その基本的な内容においては沖縄県民の要求が反映されている部分も少なくなく、県民の強い要望にこたえる立場から賛成するものであります。
沖縄の本土復帰以来、十九年の間、県民のたゆまざる御努力もあり、社会資本の整備が大きく前進するなど、沖縄の経済社会は総体として着実に発展してまいりました。 しかしながら、生活・産業基盤の面でなお一層の整備を要するものが多く見られるとともに、解決を要する多くの課題を抱えております。
ところが、今部長がおっしゃいましたように、六十三年十二月の法改正によって逆に、沖縄の慰霊の日にしても広島の平和記念日にしても、今まで長い間県民や市民の願いで特別な休日にしていたことができなくなった、あるいはそれが可能であれば、逆にそれが一つのブレーキになって土曜閉庁制度が導入されない、こういう非常に現実的な問題があるのではないかということも聞いております。
また一方に、私どもの県が長い間県民病とされておりました脳卒中、高血圧というものを克服しようということで、全くの県単独の施設といたしまして脳血管研究センターというものを十数年前に開設いたしております。
沖繩基地は、あの米軍のベトナム侵略の前線拠点にされて、長い間県民が苦しめられたことは、これは私、一番よく知っております。 いまの政府答弁は、ベトナム戦のときに安保の機能を遠く、極東の範囲をいままでよりも超えて、実際はベトナムまで含むんだということを言われていた。さらにこれを中東まで一挙に拡大しているわけです、たまたま。これは実に重大である。
本土の、しかも財政的に非常に欠乏している自治体が、アメリカ政府に肩がわりして、長い間県民に迷惑をかけたからおまえの気持ちを慰謝するためにこれだけの金を分けてやるということは、論理が通らないじゃないですか。
このことは、先ほど申し上げましたように、いままで長い間、県民が日本政府に対し要請を続け、あるいは立法院で決議をし、アメリカ政府に対し抗議をしてきたこれまでの行動の上に立って、これだけではどうにもならない、こういうことを幾ら繰り返してもだれも何ともしてくれない。結局たよりになるのは自分らだけなのだということの県民の決意のあらわれなのだと御理解をいただきたいと思います。
長い間県民は、古荘氏に対して不安を持っておった。だからこそ、日本では珍しい、新しい地方銀行が千葉県にはできた。もう五、六年前、千葉興業銀行という銀行が設立された。これは、私の記憶では、たしか戦後第二番目の銀行です。戦後に新しく銀行として認可になったのはほとんどない。その二番目に千葉興業銀行というものができた。