1987-04-22 第108回国会 衆議院 本会議 第13号
砂田さん、私は長い間文教委員会で砂田さんとともに教育を語ってまいりました。文部大臣としての砂田重民さんは私の尊敬する文化人でありましたし、また、見識のある政治家であると今日まで信頼をいたしてまいりました。ところが、残念なことに、今回の予算委員長としての今日まで行われましたたびたびの強行採決には、非常にお気の毒な立場だなとつくづく思ったのであります。
砂田さん、私は長い間文教委員会で砂田さんとともに教育を語ってまいりました。文部大臣としての砂田重民さんは私の尊敬する文化人でありましたし、また、見識のある政治家であると今日まで信頼をいたしてまいりました。ところが、残念なことに、今回の予算委員長としての今日まで行われましたたびたびの強行採決には、非常にお気の毒な立場だなとつくづく思ったのであります。
私が二カ年間文教委員会で質問申し上げ、御答弁をいただきました範囲によりますれば、この教科書検定基準の中に(15)項というものを設けられて、これは申すまでもなく、例の中国寄りの鈴木内閣の当時でありましたが、中国よりの抗議に端を発しました一連の折衝の結果得られた結論であります。
また、国会を通じまして、長期間、文教委員会におきまして、熱心に、教育の諸条件を整えていこう、与野党を通じて、教育というものを大事にしていこう、こういう御議論を展開していただいておるこういう時期でございますだけに、私自身にとりましても、国民の信頼を著しく損なうという、そういう感じでございまして、極めて遺憾のきわみでございます。
国会は、私も木島先生にいろいろと長い間文教委員会で御指導いただいてまいりましたので、できるだけストレートを投げるようにしたいと思いますので、どうぞしっかり受けていただければ大変幸せであります。 今の御質問でございますが、その当時は私もまだ学生といいますか、むしろ子供のころでございますから、当時のそういう国会の様子等はつまびらかにはいたしておりません。
特に、昭和五十二年七月文教委員長に就任されて以来、委員長在任期間を含めて五年四カ月もの間文教委員会委員を務められました。 また、党にあっては、農林水産局長、遊説局長、総合農政調査会及び文教制度調査会の副会長、参議院自由民主党副幹事長及び文教部会長、自由民主党富山県支部連合会長などの要職につかれ、活躍されました。
要するに、戦後教育の全部がここに総決算としてあらわれているんじゃないかというふうな気がするわけでありますが、文部大臣は特にこうした問題の解決のために大いに嘱望されてなったわけでありますし、私たち長い間文教委員会でおつき合いをしておりましたし、非常に積極的ないい意見を持っておられる方でありますから、あまりこう言ったらばどうだとかというふうな遠慮なしに、あなたの考えていることを率直に、こうした問題についての
でありますから、私はやはりこれが何とはなしにうやむやになるということについては、ここしばらくの間文教委員会の中で常に不満を持ってきたのです。だから、端的にいえば、私は決着をつけてもらいたい。あなたのほうでは政府提案の場合には委員長は採決とこういかれる。
○豊瀬禎一君 五カ年間、文教委員会から調査をして大学を見なかったことはないのですが、いずれの大学もとは言いませんが、私ども国会から調査にきておる人間に対して、うちの学生は学生運動をしないので、また学生運動があまり活発でないので、文部省の覚えがめでたくて寮の予算ももらえました、こういう言い方を学長がしたところもあります。それから学生の補導を担当しておる教授が言ったところもある。