1949-05-27 第5回国会 参議院 議院運営委員会 第40号
それからもう一人、三人目といたしましては、実は名古屋の大学の先生をお願いしたのでありますが、お断りになりましたので、二番目の後補者といたしまして、この池田確二君、これは相当長い間司法官でありまして、判事でありました。それが終戰後判事からも檢事を採るということになりましたので、檢事になつて頂きました。そうして仙台の高等檢察廳の檢事長を願つておつたのでありますが、この間お辞めになりました。
それからもう一人、三人目といたしましては、実は名古屋の大学の先生をお願いしたのでありますが、お断りになりましたので、二番目の後補者といたしまして、この池田確二君、これは相当長い間司法官でありまして、判事でありました。それが終戰後判事からも檢事を採るということになりましたので、檢事になつて頂きました。そうして仙台の高等檢察廳の檢事長を願つておつたのでありますが、この間お辞めになりました。
今あなたのおつしやるように、私は長い間司法官生活をしておつたために、正邪ということについて特別に関心の深い、また正しいことをしたことについては何ですが、悪いことをしたことをそのまま承認するというような性格でもない、また今までそういうことをしたこともありませんが、そういう立場で今あなたのお尋ねになるようなことを地崎君がその席で言つたというようなことについては何も記憶はありません。
というわけにいかんために、やはりその周囲の環境の中にありましたために、警戒をされて、甚だ不愉快なる思いをしなければならんことがたびたびあるのでありまして、それがだんだん司法官を固くしいわゆる社会から遠ざかつて、世間知らず、ドイツの諺にいうウエルトフレムドという現象を呈することになると思ふのでありまして確かに長い間司法官の生活をしておられますと、他から見ると余程浮世離れをしておられて、あれではちよつと