2014-02-19 第186回国会 参議院 国の統治機構に関する調査会 第1号
特に、ハードルを高くした上で中国との国交をやろうなどと考えても、長い間中国と交流してきた私にとっては、中国は絶対に応じないんじゃないかというような気持ちを私は強く持っておるわけでございます。
特に、ハードルを高くした上で中国との国交をやろうなどと考えても、長い間中国と交流してきた私にとっては、中国は絶対に応じないんじゃないかというような気持ちを私は強く持っておるわけでございます。
この間中国に、私、ちょっとお話をしたんですが、百個の良品を送ってくれと言いましたら、百五十個送るから選んでくれということでございました。これを見ましても、やはり中国の方は量産物で、機械を入れて、それでやれと言えば二十分の一の賃金でできるということは言えますけれども、技術、技能についての比較はまだまだ追い付いてはいないのではないかというふうに思っております。
そういう中で、中国から帰ってこようにも帰ってこられなくて子供が放棄されて、その子供たちが長い間中国におって、しかも中国でほうられた日本人の子供、赤ちゃんだとかあるいは小学校の子供だとかいうその子たちを中国の人たちが養ってくれたんです。そして当時、中国は日本人というのを「リーべンクイツ」と言ったんです。日本の鬼というのは「リーべンクイ」ですね、「トンヤンクイ」、「リーべンクイ」と言ったんです。
ですから、日本の主張のみならず、私は、アジアもさまざまな諸問題を教育問題の中で抱えているのではないかと思いますので、大臣は、この間中国を御訪問になり、中国の教育事情も御視察になったと存じますけれども、それらのアジアの問題も反映し、アジアの代表としてのさまざまな提言もしていただきたいというふうに思っております。それについて、ちょっと一言伺いたいと存じます。
台湾のマスコミは日本の中国政策というのは土下座外交である、あるいはもうあきれ果てて物が言えぬと言うほど、そのような実は論調もあるぐらい長い間中国に対して大変な遠慮をしてきていますね。ガットの申請の問題しかりです。それから特に政府要人、政府の人たち、公務員が台湾へ渡航することを禁止していますよね。
この間中国へ残留孤児の問題で行かれたそうでありますが、中国残留孤児の受け入れの問題で一言伺っておきたいと思うんですが、厚生省の方では中国残留孤児の日本での定住について、資料を見ると、「適度の集中、適度の分散」、こういうような方針をとって、しかし実際には、東京で定住したいと言う人についてもかなり執拗に地方へ行くことを慫慂している、こういうことも聞くわけでありますけれども、地方に行くとやはりいろいろ困る
そういう状況の中で、日本が中国に政治的、経済的、あるいは場合によれば軍事的にも緊密化するという姿勢を見せたことは、例えばベトナムのように長い間中国の影に悩んできた国からすれば、大変深刻な状況だったと思います。したがって、日中平和友好条約締結直後に、ベトナムがソ連との間にソ越条約を結ぶ、それによってベトナム自身の安全保障を強化する、そのことがアジアの緊張を増大させたということがあります。
私、日本に来る前に長い間中国のことをやっておりました、オーストラリアの外務省の中で。我々の目から見て中国は非常に排他的社会です。けれども中国はそんなに外国で批判されていません。中国人のいわゆる排他性は我々欧米人の目から見て納得できるものなんです。中国と比べれば日本は非常にオープンな、開かれて、国際的と言ってもいい社会なんです。
○小川(仁)委員 長い間中国で過ごしてきた人が、四カ月ぐらいではとても、その後の生活の前提として就職その他に対応するような日本語はできないと思うのですよ。これをもっと拡大するお考えはありませんか。
これが長い間中国で苦労してこられたいわゆる孤児に対する処遇かと言わざるを得ないと思うのです。 だから、むしろ逆に当然日本人として扱う。例えば、こういう外国人登録でなくて住民登録をすればそれでいいわけですから、そういうふうに指導するのが政府の責務だと私は思うのですけれども、いかがでしょうか。
ただ、長い間中国におられたわけでございますし、また、現実に中国におられる方でございますから、日中国交回復の基本的な精神に基づいて、わが国は中国国民に対して深く戦争のことについて反省すると、こういう基本的な考え方に基づいて話を進めていかなければならないものだろうと思います。
このことを見てみますと、やはり長い間中国に暮らされて、そして日本へ引き揚げてきますと、いまこれに出ておりますように、いろいろなネックがあるわけですね。 それからもう一つ、時間の関係で、若い方ですけれども読ませてもらいますと、「自分はまだ国籍がないから、卒業証書も本物をもらえない。」こういうことなんですね。
したがいまして、国務大臣といたしましても、できるだけこれが促進され、そして日本に帰れる人は帰れるということにならなければならないし、また、長い間中国におきましてそのめんどうを見られた方に対しまして、日本国民としてあるいは政府として何らかの感謝の気持ちを申し上げるということは当然なことじゃないだろうかというふうに思っておるわけでございます。
それから、これはあとは個々の事情になりますけれども、なかなかやはり三十五年という間中国での生活をしてこられて、日本の社会へ飛び込んで帰ってこられたわけでございますんで、人によりましてはなかなか、何といいますか、地域社会と申しますか、親族社会と申しますか、そういった中に溶け込めなくて、また別に世帯を持たざるを得ないとかあるいは別れて生活せざるを得ないとか、そういった方々もおられるやに聞いております。
それから最後に、さっきもちょっと言っておきましたこの間中国の残留日本人孤児が四十七人来て半分ぐらいが、ほんとよかったことだと思うんです。それで次には秋だとか言っているんですけれども、かなりいるらしいというんでしょう。ですから、これも大臣お願いをいたします。
そういう場合に、長い間中国に日本は戦争中迷惑をかけてきた、賠償は払わなくてもいいと言っておるのですから、日本がこういう機会に、たとえば東シナ海の開発をやる、そして中国と共同でやる形になり、日本の技術と資本とを投じてやり、出た場合にその果実を分け合うというようなことでやれば、中国に対する戦時中の一つのわび状にもなる。
○竹内(猛)委員 私はいままで長い間中国の食肉が輸入されない、それは日本がまだ口蹄疫の非汚染国である、日本、アメリカ、カナダ、ニュージーランドというのは非汚染国であるということを聞いてきた。だから、口蹄疫に汚染をされている国々から見ればおかしいじゃないかということになっているのだが、専門の学者によれば、口蹄疫はないのだということを盛んに書かれるし、宣伝をされるししておる。
今日国交はありませんし、外交交渉の場というものもないということは事実でありますけれども、仄聞すると、第三国で日中大使の懇談なり領事の話し合いというものが行なわれているようにも聞いているし、あるいはそうでないのかもしれませんが、政府としては、やはりアメリカが長い間中国との間に大使会談をやっておりますね、それと同じように、中国との間の接触をどこかでとって、中国の実情というものを政府みずからが自分のはだで
顔の色も浅黒く、日本民族とは言いがたいし、歴史的に見て、長い間中国の支配下にいたこともあるということを、彼は書いたのでございます。当時沖繩を何とかして軍事基地にしようと思っておりましたがダレス国務長官は、渡りに舟とばかりにこのことばに飛びついたのでございます。
と申しまするのは、私は長い間中国に関係をいたしておりますが、大正の末期に私どもは中国の奥地を歩いた。単身歩いて山の中でしまの着物、その当時の遠州じまの着物を着て、そして手甲きゃはんをはめて埼玉県の農村を歩いているような格好をして歩いた。これは何か。これは富山の薬売りです。そのくらい当時といたしまして、日本の商品というものが中国のすみずみまで入っていった。どんな山奥に行きましても仁丹の広告はある。