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39件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1984-10-05 第101回国会 衆議院 地方行政委員会 第28号

それで間々田氏が証言に立って、そんなことは言っていないということは言っているんですよ。しかし判決自身は、間々田氏がちゃんと、十月二十日ごろ自民党公明党本部を襲撃するということを知っておったとはっきりと認定していますよ。知っておりながら何で火炎瓶をつくらせるんですか、金をやるんですか。これは泳がせですよ。逮捕しようと思えばいつでも逮捕できたじゃありませんか。だから判決自身はこうも言っていますよ。

三浦久

1981-04-08 第94回国会 衆議院 建設委員会 第8号

それからもう一つ間々田ですか、塚本総業所有、これは調整区域、農振地域で、二十八ヘクタールを十九億九千八百万円で買わされておる、ですから、これはもともと大企業保有地ではあったけれども、大企業としてもすぐには開発できない、あるいは相当長期にわたって開発できない、言えば不良資産みたいなものなんですね、メリットの余りないもの。

瀬崎博義

1981-04-08 第94回国会 衆議院 建設委員会 第8号

それからそれ以後建設省の方もかなり努力をいたしまして、これらの土地につきましては具体の事業計画を立てる、また都道府県市町村等とも十分な協議をする、こういうようなことでかなり時間を要しましたけれども先ほど指摘間々田につきましては事業着手の見込みがつきました。また、野田山崎につきましても五十七年度には着工できるかと思っております。長津田につきましても県、市とも大体の話し合いが進んでおります。

宮繁護

1978-02-28 第84回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

十日午前三時十五分ごろ、栃木小山間々田、とび職日下実さんの妻久子から「夫を絞め殺してしまった」と小山署に一一〇番があった。   同署員が調べたところ、自宅四畳半で実さんがヒモで首を絞められ死んでいたため、久子と長男の県立高一年生をそれぞれ殺人容疑で緊急逮捕した。   調べによると、実さんは従業員十三人を使うとび職の親方だが、酒ぐせが悪く、日ごろから酔っては妻子に乱暴していた。

津川武一

1975-07-02 第75回国会 衆議院 建設委員会 第23号

柴田(睦)委員 住宅公団土地取得の問題についていろいろ疑義が出ておりますので、その点に関連してお尋ねしますが、その前に、六月十六日に参議院の建設委員会連合審査で、栃木県の小山市の間々田土地の問題につきまして、これは塚本総業から住宅公団取得した土地なんですが、この土地が農振法に定める農用地区の区域であったということ、それから、塚本総業の問題に関して、その席上で大臣から、農用地区域であるならばこれは

柴田睦夫

1975-06-17 第75回国会 参議院 建設委員会 第13号

きのうの連合審査の際にも小山市の間々田農地を、しかもこれは農振地域を二十七ヘクタール余買ったと、こういう点が問題になったわけでありますが、私は非常にふざけたことというか、不謹慎だと思うんですね。まあいろいろ新聞にも書いておりますですね。そうして住宅公団建設省に泣きついて、これは二十億円も金出して買ったわけでありますから、これは金があって買ったんじゃない。これは金利ですよ、国民の金ですよ。

沢田政治

1975-06-16 第75回国会 参議院 建設委員会、地方行政委員会、農林水産委員会、運輸委員会連合審査会 第1号

それから、ただいま大臣の答弁にありましたが、この当該間々田土地につきましては、買い戻し停止条件つきだけではなくて、都道府県知事及び市町村長からもそういう条件がついておりまして、法制的な結論、諸条件が整うまでは、あるいは社会的、経済的条件が整うまでは留保することを条件として、先行取得はやむを得ない、こういう条件がついております。したがいまして、その条件が整わなければこれをやることはいたしません。

大塩洋一郎

1975-06-16 第75回国会 参議院 建設委員会、地方行政委員会、農林水産委員会、運輸委員会連合審査会 第1号

この間々田土地はもう開発するのをやめるのかと言っているんですよ。それともあくまで開発するために農地転用許可を進めていくというのか。もしそのままやるとしたら、これは公団農地取りつぶしの先兵になっている、そういうことを言わなきゃならぬ。この辺一体どうなんですか、はっきりしなさいよ。

神谷信之助

1974-11-26 第73回国会 衆議院 運輸委員会 第4号

時間がございませんから、東北本線の問題に移りますが、きのう小山間々田という駅の中間を私は歩いてみました。実際に歩きましたのは、間々田の駅からずっと上り線小山のほうへ向かって歩いたわけです。約一キロぐらい歩きました。その間に、まくら木荒廃がひどい。特にレール継ぎ目のところのまくら木は全くひどいですね。あとは大体、継ぎ目のないところはコンクリートまくら木になっています。

松本忠助

1973-06-14 第71回国会 衆議院 決算委員会 第16号

あるいは会計検査院長も御存じだと思いますが、背叛社事件警視庁間々田という警部補があの爆弾製造犯人に十一万円も渡した、こういう事例も出ているわけですよ。それからもう一つ事例があります。これはこの間も申し上げましたが、自分が情報提供者と吐きけを催すくらい酒を飲んでいるような捜査のやり方をやっているのですよ。

庄司幸助

1973-06-06 第71回国会 衆議院 決算委員会 第14号

そうしますと、間々田警部補のような問題になると、十一万円、これが爆弾製造犯人に渡って、本来ならば住民の公序良俗、秩序、安全を守るべき警察がそれに反するようなことに金を使ったのに対しても、会計検査院は全然そのまま見過ごす、これじゃ私は警察の予算なり決算というものはきわめて乱脈になっていったってやむを得ないだろうと思うのですよ。

庄司幸助

1973-06-06 第71回国会 衆議院 決算委員会 第14号

これは警視庁間々田警部補が十一万円余をあの背叛社のいわゆる爆破犯人に渡して、それで爆破練習が失敗してアパートが爆発した、これは公判廷でちゃんと証言しているわけですね。こういう人間に対して、はたして渡した、受け取りましたというような証拠書類、この二十五億六千八百万余の全額について、協力者なり何なりに渡した、受け取ったという明確な証拠書類ははたしてあるのかどうか。

庄司幸助

1972-03-09 第68回国会 衆議院 地方行政委員会 第3号

○林(百)委員 これは、判決で確定したものですから、この前も私お聞きしましたが、たとえば背叛社の、間々田警部補和田俊一に渡した十一万円。彼らはこれを軍資金と呼んでいるのですが、そのほかまた十九万円渡しているわけですが、こういう金はこういうところから、捜査費から出るわけですか。これは判決で確定した数字を出しているのです。

林百郎

1971-03-26 第65回国会 衆議院 地方行政委員会 第19号

和田と接触していた警視庁公安一課の間々田敬作警部補深沢亮治巡査部長の二人が、警視庁公安課長補佐の決裁をうけて一九六八年七月から九月までのあいだ、前後五回にわたり合計十一万円を和田に渡したという事実を公判廷ではっきり認めた。和田はこれを「軍資金」とよんでいた。間々田警部補は、そのほかにも十九万円にのぼる和田医療保護手続を世話していたのである。

林百郎

1970-04-01 第63回国会 参議院 予算委員会 第12号

渡辺武君 ところで、おととしだったと思いますが、おととしの八月六日に開かれた同じ暴力学生集団アナーキスト団体ですが、背叛社という団体があります、この団体爆発物取り締まり規則違反事件東京地裁公判に際して、警視庁公安一課の間々田警部補という人が情報を取るためと称して多額の金を背叛社責任者とみなされる和田俊一なる男に渡して、さらに自民党本部を襲撃したらどうだというようなことまですすめていたことをこの

渡辺武

1969-09-10 第61回国会 衆議院 地方行政委員会 第59号

もちろんわが党に対するそういういろいろのスパイ活動が行なわれていることもわれわれはよく聞知しますが、八月六日の東京地方裁判所刑事第十五部の公判の日の和田証言によると、間々田敬作警部補に対して和田が、あなたは私から情報をもらったと言うが、私もあなたから共産党情報をもらっていたはずだ、それから、襲撃するのに共産党だけではおもしろくない、自民党公明党もやったらどうか、そして治安立法の口実をつくったらどうかという

林百郎

1969-09-09 第61回国会 衆議院 法務委員会 第30号

三井説明員 ただいまの御質問の点は、八月六日第八回公判における間々田警部補に対する証人尋問がございまして、そのときに、被告人であります和田俊一が、反対尋問をいたした中で言っておるところでございます。和田俊一と出頭いたしました間々田警部補が会っておった、また間々田警部補アナーキストグループであります背叛社の動きにつきまして、その動向について情報を得ておったということがございます。

三井脩

1969-09-09 第61回国会 衆議院 法務委員会 第30号

アナーキスト背叛社グループに属する和田俊一というものが、最近東京地裁公判廷で、私は警視庁公安一課の間々田警部補と、爆発事件のあった昨年十月六日以前から連絡を持っていた。火炎びんに使う四合びんや硫酸は間々田上司許可を得てもらってきた軍資金で買った。間々田から、共産党本部だけでなく、自民党公明党本部も襲撃したらどうかという指示をされていた。

松本善明

1969-07-10 第61回国会 参議院 農林水産委員会 第31号

沢田実君 直営工場会社にする場合に、まず考えられたことは責任体制明確化あるいは生産能率の向上などということがいわれるのじゃなかろうかと思いますが、先ほど局長も大体飼料関係——餌関係がこの会社になっておる、こういうお話でございますが、それで具体的にその一つの例を申し上げてお尋ねをしたいわけですが、栃木県に間々田飼料株式会社という会社が昭和三十九年の六月に全購連から分離をして独立をいたしたそうでございますが

沢田実

1969-07-10 第61回国会 参議院 農林水産委員会 第31号

政府委員池田俊也君) いま御指摘のございました間々田飼料会社の詳細な内容は承知いたしておりませんが、私どもの理解では、これはその製造原料面あるいは販売面——販売面といいますか、生産いたしました飼料販売先、これは全購連でございます。したがいまして、全購連の第二会社でございますから、会社自体として非常な収益をあげるという運営を必ずしもいたしておらない。

池田俊也

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