2010-04-08 第174回国会 参議院 環境委員会 第5号
そして、法律で定められないものについては、環境省令で環境省が責任を持って定め、そして事業官庁、開発官庁はそれに基づいて細則を定めるというような、環境省の位置付けの強化というのはどうしても必要ではないかというふうに思います。それによって初めて環境省が遠慮なく開発官庁に対して物が言えるという条件が整備されるんじゃないかというふうに思います。
そして、法律で定められないものについては、環境省令で環境省が責任を持って定め、そして事業官庁、開発官庁はそれに基づいて細則を定めるというような、環境省の位置付けの強化というのはどうしても必要ではないかというふうに思います。それによって初めて環境省が遠慮なく開発官庁に対して物が言えるという条件が整備されるんじゃないかというふうに思います。
私ども、この法案の趣旨の中に、むだな公共事業というものを、開発を進めていく開発官庁から、早い段階に、計画の段階から、国民あるいは市町村、都道府県の意見を入れていける仕組みというものを中心につくってきたわけでありますけれども、この法律自身は、幾つかの大型公共事業を中止するという枠組みの法律ではございません。
私ども、これは明らかに二十世紀型の、つまり、既存の国による公共事業というものを開発官庁が進めていくことに対する批判というものをしっかりと受けとめて、公共事業改革という民主党の大変大きな柱の中で、明らかに既存の公共事業を減らしていくことを視野に置いてつくられたものでございますが、第五条にありますように、国と特殊法人が実施する公共事業に関する総合的な計画、つまり、公共事業中期総合計画というもの、五カ年間
そうしたときに、開発万能のそうした開発官庁が人選をするそういう審議会ですとか、あるいは、説明者責任と言いながらほとんど国民の声が届かないようなそういう仕組みの中で、実は公共事業というものがどんどん国民から離れていってしまった、それが批判の一番大きな基ではないか。 そういうことを考えると、私どもは、例えば、小泉総理大臣が予算という形で計画を審議しているじゃないかと言われることにはやはり問題がある。
行革会議の最終報告も、環境と開発というふうに、利益相反性への考慮、あるいは省間のバランス及び省間の相互調整、この必要性を指摘しておりまして、国土交通省という巨大な権限と規模を持った開発官庁ができる以上、環境を守る使命を持った環境省にも相応の力を発揮してもらわなければいけないというふうに思います。
公共事業による財政、環境への悪影響が顕著になる中で、本当にこのような巨大開発官庁が我が国に必要なのでしょうか。七兆円という膨大な予算を抱えた巨大な象が、我が国の破壊に向かって暴走するおそれは本当にないかどうか、総理の考え方をお伺いします。 政府は、このような各界からの指摘に対し、地方の出先機関に権限、財源を移すことによって、霞が関は企画立案に限定するという答えをしております。
二十一世紀の「この国のかたち」という言葉とは裏腹に、官僚に依存し、族議員に振り回された結果、巨大な開発官庁である国土交通省や目的不明の総務省などの設置が盛り込まれるなど、まさに醜悪そのものであり、橋本龍太郎君に二十一世紀の「この国のかたち」を論じる資格はないと断ぜざるを得ません。
ところが、橋本内閣が示した中身は、自民党族議員に振り回された結果、巨大な開発官庁である国土交通省や目的不明の総務省などの設置が盛り込まれるなど、まさに醜悪そのものであります。表面的に省庁間の数合わせをしたものであり、行政改革の本質とはほど遠いものになっており、橋本総理の行政改革に対する熱意とリーダーシップの欠如を露呈したものであると言えます。 第四に、政治倫理の欠如であります。
だからこそ、国土交通省などという公共事業の八割を担う巨大開発官庁を提案するのです。この一点だけを見ても、総理に新たな日本の創造という思想がないことは明らかであります。 第三に、その場しのぎで国会や国民を欺くかのような発言を繰り返す橋本総理の言動であります。 昨年末の特別減税の発表、今年度当初予算成立直後の経済対策の発表など、たびたび総理はそれまでの方針や国会における答弁を翻してまいりました。
総務庁長官に御答弁をいただきたいと思いますが、衆参のこの委員会の議論を通じまして、この国土交通省に対して、巨大利権官庁とか、巨大公共事業省とか、さらには世にもまれなる巨大な開発官庁だとか、そういうような妙なマイナスイメージが報道されております。
この巨大な開発官庁を一人の大臣が監督することは全く不可能であります。国民を代表する政治によって制御不可能な開発官庁に日本の美しい国土をゆだねることを総理は望んでおられるのでしょうか。 橋本総理は、今回の行政改革を進めるに当たって、簡素化、効率化、透明化などキーワードを挙げています。しかし、このような巨大な官庁は現在の行政を一層複雑化、非効率化、不透明化させることは明らかです。
定員五万人、年間予算十兆円、補助金三兆三千億円、許認可数二千五百という巨大な開発官庁が二十一世紀の我が国社会において本当に必要だと総理はお考えになっておられるのでしょうか。とりわけ、局長だけでも十数人にも及ぶであろうこの巨大な役所を一人の大臣が監督することが可能だと考えておられるのでしょうか。
まず、質問をする前に、行財政改革の厳しい折柄、環境庁におきましても、その存亡の危機に面していると私は承っておるわけでありますが、ある意味では環境省として、むしろ開発官庁に対するもっと大きな権限を持つためにも活躍をしていただきたい。
開発官庁の責任者として佐藤通産大臣、今回の中環審の答申をどのように位置づけられまして、また環境影響評価法案をどのように受けとめて、そして今回の電気事業法の改正に取り組まれたのか、お答えをいただきたい。まず一点、お尋ねをしたいと思います。
○有働正治君 往々にして、マスコミ、雑誌の中でもはっきりあらわれていますけれども、他省庁との調整の中で開発官庁等に屈伏する傾向があると、今度の場合もそれを憂うる声が既に出されているわけであります。
政府案は、通産省、建設省、国土庁など開発官庁あるいは企業との調整については随分行ったみたいですけれども、しかしながら、国際的な調整あるいは地方公共団体や国民との調整については失敗しているのではないかと思います。それで、憶病な法律、あるいは現状を追認するだけの理念なき法律というふうに述べさせていただきます。
また、昭和五十六年に環境庁が国会に環境アセス法案を提出し、開発官庁や産業界の強い反対があって、この環境アセス法案は廃案になったわけでございます。そして現行の閣議アセスで対応している現状でございますが、その二十年前と今日と、社会状況というのは余り変わっていない、そのように認識をしていらっしゃるのかどうか、この点について伺いたいと思います。
(拍手) 今回提案されている環境基本法案は、その法制化の過程で、情報の公開や住民参加もない国民に閉ざされた密室作業に終始しただけでなく、経団連や通産省、建設省などの開発官庁の圧力に屈して後退し、結果的に実効性に乏しい提案となったことを指摘せざるを得ないのであります。
○堂本暁子君 開発官庁、例えば建設省、通産省、農水省、本当に基本法ができて、具体的に態度をお変えになるのかどうか、三大臣に伺いたいと思います。
○澤井説明員 ただいま先生からも開発官庁というお話ございましたけれども、建設省では、住宅、社会資本整備を通じまして、安全、快適で豊かな環境を実現していく、その中で自然と人間活動との共生を目指していくということが建設省の非常に重要な使命ではないかと考えているところでございます。
なお、建設省等開発官庁のお名前を挙げてございますけれども、こういった問題は何も開発関係行政だけでなくて、地域においても同じような問題をお持ちのようでございまして、私どもとしてはそういった点にもいろいろ配慮してきたところでございまして、そういうことで、こういった今の段階に至っておるということでございます。
そこで、最初に建設省にお願いをしたいのですが、やはり開発官庁という性格を持たざるを得ないし、持っていらっしゃるわけです。そのときに、やはりここは保全をしたい、守っていかなければ生物が守れないという場合のやりとりということの中を含めて、建設省はこの法案に対してどう対応なさるおつもりか、その見解をお尋ねしておきたいと思います。
今御指摘のようなケースが仮に生じた場合、コストが非常に高くてなかなか実用化できないというようなケースのときに、開発官庁においてはそのあと開発委託をどこまで続けていくか。例えば開発期間を延長しあるいは開発計画を少し見直すことによりまして、あと少しやるとコストが非常に安くできる、そういうものを委託制度としてやることがふさわしいという評価ができました場合には、そういった変更もまた可能だと思います。
そしてこれを法律化する段階で、環境庁と開発官庁との間でここが争点になったというまさに重要な部分でしょう。この大津なぎさ公園計画案というのは、結局、中公審などが指摘した水質に最も影響を大きく与えるなぎさ線を大きくいらうわけですね。こういう点では、やはりこういう計画は琵琶湖の水質、環境保全との関係を十分に配慮してやるべき性質のものだ、こう思うのですが、いかがですか。
○磯辺参考人 これは非常にむずかしい質問でございますけれども、私は、まずどれだけデータを持っているかということが意見を言うときの厚み、つまり、それが意見の強さになるであろうということで、これは環境庁にも非常に弱い点もありますし、あるいは開発官庁の方が強い部分もあるということをやはり考えなきゃいけないと思うのです。