2004-05-18 第159回国会 参議院 総務委員会 第17号
しかし、現実問題として、北海道の中には、これは国からの出先機関等々を含めて、これは非常に、北海道開拓史の歴史から振り返ってみまして、これは実に故事来歴、いわく因縁、これは他の県に負けずとも劣らぬぐらいいろいろございますので、そういった意味では、単なる県がないからというだけで、以外の問題はもっと別の難しい問題をここは抱えていることももう御存じのとおりでありますので、私ども総務省といたしましては、内閣府
しかし、現実問題として、北海道の中には、これは国からの出先機関等々を含めて、これは非常に、北海道開拓史の歴史から振り返ってみまして、これは実に故事来歴、いわく因縁、これは他の県に負けずとも劣らぬぐらいいろいろございますので、そういった意味では、単なる県がないからというだけで、以外の問題はもっと別の難しい問題をここは抱えていることももう御存じのとおりでありますので、私ども総務省といたしましては、内閣府
そして、健土健民といいますか、健康な国土、健康な国民というような姿勢でもってこの事業をスタートしたというふうに、我々地元でも、北海道開拓史に残る人物でございましょうけれども、我々県人としても大変誇りにしているというような人でございます。その精神を踏みにじった、泥を塗ったというような大変な事件だというふうに私どもは受けとめております。
今地元の所沢市あるいは三芳町におきましては近世開拓史資料館、これは仮称でございますが、周辺地割遺跡保全検討委員会の報告書というものが一九九八年一月に出されております。これは一番新しい報告書かと思っております。 いずれにいたしましても、先ほど大臣からお答えいたしましたが、この問題につきまして地元埼玉県あるいは所沢市、三芳町でこういった研究が進んでおるわけでございます。
かって三つの県の時代もあったわけでございますけれども、北海道開拓をいかに効率的に集権的に中央直轄でやっていくかということでの北海道開拓史以来の流れだと思うのですが、その状況にいまだもって置かれている。
○立木洋君 これは厚生省も御承知だろうと思いますけれども「長野県満州開拓史」です。中国に百八回にわたっていわゆる開拓民を派遣した長野県の名簿です。名簿だけで千七百ページにも上る大変な、そして何の何という人がいつ生まれて、いつ日本を出発して、その人が日本にいつ帰ってきたのか、それから死亡したならば、どこでどういう理由で死亡したのか。全部調べ上げてあります。
○説明員(丸山晴男君) 先生御説明のとおり、長野県は大変熱心に対策といいますか開拓史を編さんされておりますが、このほか私どもが調査した範囲では、福井県などの引揚者団体などが開拓団にかかわる資料を取りまとめたということの報告を受けております。
私の地元に「長野県満州開拓史」という大変膨大な記録が残っておりますが、その中にも、拓務省の配当を見込んで県が各市町村へ募集人員を割り当てて募集が行われたといった記述や、県は県下の市町村を初めとする学校長、在郷軍人分会長等に適当者の推薦を依頼していたといった内容も記されております。
参考として一九六六年に刊行された「満洲開拓史」という著書によりますと、開拓民の作付面積は、昭和十八年度は二十三万九千ヘクタール、昭和十九年度は二十五万ヘクタールであったという記述がございます。
○国務大臣(綿貫民輔君) 最近、NHKの朝のテレビの「チョッちゃん」というので、北海道の開拓史の中でお医者さんの占めておる位置と申しましょうか、医療の大変に貴重なことをよく見させていただいております。
○柄谷道一君 満州開拓史によりますと、内原訓練所から送り出されました満州開拓青年義勇隊員の数は八万六千五百三十名に達すると記載されておりますが、厚生省、それは間違いございませんか。
「団地別に入植可能面積と入植可能戸数、いままでに入った戸数や開墾された面積、土地改良が必要かどうかなどを整理した台帳」、「戦後開拓史」中川一郎随想にあるわけですね。六百三十四ページに書かれている。そういうものをつくることがおれの仕事だったんだよというふうに書いてあります。体験的にもよく御存じだと思うからお伺いをするわけであります。
と申しますと、酪農にいたしましても、肉にいたしましても、新しい形の非常に進んだ農業でございまして、その生産品がうまく有利にさばけるということの配慮なしに、言葉をかえますと、社会経済的な条件の十分な吟味なしに草を植え、飼料作物を植えて家畜を入れるということは、過去の開拓史におきましても失敗の例もございまして、酪農なら酪農がそれぞれうまく循環いたしていくのかどうか、生産されたものと消費圏との関係はどうなるかというような
このようにいわゆる北海道の開拓史の中から、又開発の現状から考えました場合には、この七つの点が当然考慮されなければならなかつたと存じております。併しその間常にその会議の速記録或いはその他の情報を聞きましても、委任機関として道治上扱つておりましたあれが適当である、妥当であるということが確認され続けてこの法案の提出されるまで続けて来た、こういうように存ぜられるのであります。
○廣川国務大臣 北海道の開拓史をごらんになればよくわかるのでありますが、北海道の開拓は、決して北海道の自治体に今までまかしてあつたことはないのであります。大体中央において指導いたしておつて、あの程度にまで来ておることは、皆さん方よく御存じだと思います。
北海道の開拓史を繙いて見ますと、明治初年に内地の受刑者を徒刑執行のために北海道に送りまして、その開拓の基礎を築いたという因縁もあります。殊に今日のように日本の領土が圧縮せられまして、狹い領土に多数の人民が押し合つて生きている状態から申しますと、今後の行刑の主力は北海道の開拓に注がれなければならんと思うのであります。