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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2004-05-18 第159回国会 参議院 総務委員会 第17号

しかし、現実問題として、北海道の中には、これは国からの出先機関等々を含めて、これは非常に、北海道開拓史の歴史から振り返ってみまして、これは実に故事来歴、いわく因縁、これは他の県に負けずとも劣らぬぐらいいろいろございますので、そういった意味では、単なる県がないからというだけで、以外の問題はもっと別の難しい問題をここは抱えていることももう御存じのとおりでありますので、私ども総務省といたしましては、内閣府

麻生太郎

2000-07-26 第148回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第1号

そして、健土健民といいますか、健康な国土、健康な国民というような姿勢でもってこの事業をスタートしたというふうに、我々地元でも、北海道開拓史に残る人物でございましょうけれども、我々県人としても大変誇りにしているというような人でございます。その精神を踏みにじった、泥を塗ったというような大変な事件だというふうに私どもは受けとめております。

小林元

1999-04-06 第145回国会 参議院 決算委員会 第2号

地元所沢市あるいは三芳町におきましては近世開拓史資料館、これは仮称でございますが、周辺地遺跡保全検討委員会報告書というものが一九九八年一月に出されております。これは一番新しい報告書かと思っております。  いずれにいたしましても、先ほど大臣からお答えいたしましたが、この問題につきまして地元埼玉県あるいは所沢市、三芳町でこういった研究が進んでおるわけでございます。

近藤信司

1995-12-12 第134回国会 参議院 外務委員会 第10号

立木洋君 これは厚生省も御承知だろうと思いますけれども長野満州開拓史です。中国に百八回にわたっていわゆる開拓民を派遣した長野県の名簿です。名簿だけで千七百ページにも上る大変な、そして何の何という人がいつ生まれて、いつ日本を出発して、その人が日本にいつ帰ってきたのか、それから死亡したならば、どこでどういう理由で死亡したのか。全部調べ上げてあります。

立木洋

1978-10-13 第85回国会 衆議院 決算委員会 第1号

団地別入植可能面積入植可能戸数、いままでに入った戸数や開墾された面積土地改良が必要かどうかなどを整理した台帳」、「戦後開拓史」中川一郎随想にあるわけですね。六百三十四ページに書かれている。そういうものをつくることがおれの仕事だったんだよというふうに書いてあります。体験的にもよく御存じだと思うからお伺いをするわけであります。  

原茂

1962-03-06 第40回国会 参議院 農林水産委員会 第13号

と申しますと、酪農にいたしましても、肉にいたしましても、新しい形の非常に進んだ農業でございまして、その生産品がうまく有利にさばけるということの配慮なしに、言葉をかえますと、社会経済的な条件の十分な吟味なしに草を植え、飼料作物を植えて家畜を入れるということは、過去の開拓史におきましても失敗の例もございまして、酪農なら酪農がそれぞれうまく循環いたしていくのかどうか、生産されたものと消費圏との関係はどうなるかというような

丹羽雅次郎

1951-05-31 第10回国会 参議院 内閣・人事・地方行政・大蔵・農林・水産・運輸・建設・経済安定・予算連合委員会 第1号

このようにいわゆる北海道開拓史の中から、又開発の現状から考えました場合には、この七つの点が当然考慮されなければならなかつたと存じております。併しその間常にその会議の速記録或いはその他の情報を聞きましても、委任機関として道治上扱つておりましたあれが適当である、妥当であるということが確認され続けてこの法案の提出されるまで続けて来た、こういうように存ぜられるのであります。  

石川清一

1948-01-28 第2回国会 参議院 司法委員会 第3号

北海道開拓史を繙いて見ますと、明治初年に内地の受刑者徒刑執行のために北海道に送りまして、その開拓の基礎を築いたという因縁もあります。殊に今日のように日本領土が圧縮せられまして、狹い領土に多数の人民が押し合つて生きている状態から申しますと、今後の行刑の主力は北海道開拓に注がれなければならんと思うのであります。

東邦彦

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